僕を抱いてくれないか?

初出:2021年4月18日(Pixiv)

【確認】
※ネタバレという程のものはないですが、SDBを読んで思いついた話です
※降谷さんがセクハラの自覚がありながらも、セクハラまがいの電話をする
※風見裕也に女性との交際歴あり
※年齢制限はつきませんが性的な表現があります
※こんなタイトルだがセックスしない

 


 

「今から、僕を抱いてほしい」

そう告げれば、電話越しに動揺が伝わってきた。

『あの、それは、どういう』
「そのままの意味だ、無理か?」
『いや……どうしたらいいか、わからなくて』
「自分で考えろ。その程度のことが判断できなくて、僕の右腕が務まると思うのか?」

そして僕は電話を切った。
セクハラで訴えられてもおかしくない発言だということは承知している。
しかし、この方法が、一番効率がよかった。
「右腕を取らない」という僕のわがままをカイシャはゆるさない。それはそうだろう。そうやすやすと、潜入捜査官を失うわけにはいかない。僕の生存率を高めるためには、僕をバックアップする存在が必要だ。だが、それは同時に、右腕になった人間を危険にさらすことになる。

僕が消えても、僕のしてきた仕事が効果を発揮するよう、準備は済ませてある。僕が死ぬことによって発動する仕掛けは、あの組織にそれなりの動揺をもたらすだろう。
危険な仕事は僕一人が引き受ければいい。
もちろん、警視庁公安部の助けを借りたい時もある。しかし、NOCという立場上、それは必要最低限にとどめるべきだ。
右腕を持つことによる生存率の向上と、警視庁公安部の人間と定期的に接触を持つことのリスク。両者を天秤にかけた時、僕はどうしてもリスク回避を選びたくなる。

彼からは五時間が経ってようやく「できません」というメールが届いた。
時間の流れは止められない。状況は刻々と変化していく。常に細かな情報を伝えられるとも限らない。たとえ不可解な指示であっても、迅速かつ臨機応変にこなせなければ、僕の右腕は務まらない。

僕は、電話で、彼を解任した。
スピーカーから聞こえてきた声に、安堵の色があったことを、僕は聞き逃さなかった。

 

最初は、ほんの思いつき。
二度目以降は、明確な意図をもって仕掛けた。
数年間、僕は一人で潜入捜査をこなした。それをいまさら、右腕を持つようになど。三十を手前にした娘に、見合い話を持ち掛けるような。そういう余計なお節介はやめていただきたい。
上が僕に右腕を持たせることを諦めるか、あるいは、僕が右腕を持つかの根競べ。正直、うんざりしている。

 

初対面の時、僕は風見裕也に対して特別な感想を抱かなかった。
長身・短髪・強面の三拍子は、この組織において特別目立った風貌ではないし、緊張があったのか彼はあまりしゃべらなかった。

――今回も、いつもの方法でうまくいくだろう。

そう判断した僕は、最初の二週間をたんたんとやり過ごし、例のごとく「あの電話」をかけた。

木曜の午後十時半。
風見はすぐに電話を取った

「風見か?」
『はい。どうしました?』
「急で申し訳ないが、今から僕を抱いてほしいのだが。……できるか?」

通常なら、この時点で相手はそれなりの動揺を見せる。しかし、電話口から、その様子が伝わってこない。

『それは、急ぎですか?』

資料作成を頼まれた時と同じような調子で、風見裕也がたずねる。

「ああ、できるだけ急ぎで」
『それで、降谷さんは、どちらにいらっしゃいます?』
「……自宅だが?」
『了解しました。部屋に入る際にはインターフォン鳴らした方がいいです? それとも合鍵で?』

こんなことを確認されたことはない。

「いや、適当に。合鍵で入ってくれて構わない」

だから、動揺したのは僕の方だ。
そもそも、風見裕也とは、どんな男なのだろう? 一応、資料には目を通したが、どうせすぐに会わなくなる男に僕はそれほどの関心を寄せていなかった。
彼のプロフィールを思い返す。出身高校、出身大学、どのゼミに所属して卒論は何をテーマにしていたか、学生時代に取り組んだスポーツ、警察学校時代の素行、入庁後の経歴。
しかし、紙に書かれている情報など、たかが知れている。
この二週間、僕は風見をそれなりにこき使ってきた。彼がかき集めた資料の綴りは当たり障りなく仕上がっていて、そこに彼のパーソナリティーは見いだせない。僕は一次資料のコピーを求めたし、風見は資料の写しを時系列でファイリングしただけだ。
もちろん、それであっても、限られた時間の中、膨大な資料から、僕が求めた情報を不足なく集めてきた点においては、一定の評価をしている。
だが、僕は、右腕を持つつもりはない。風見裕也がどんな男であろうと、最初からこの”見合い”は破談と決まっている。

『了解いたしました。今、カイシャを出ますので……そうですね。三十分……いえ、二十分程でそちらに向かいます』
「わかった。あんまり無茶をするなよ」

電話を切る。
果たして、風見はどうするつもりなのか。
彼が僕のセクハラまがいの指示に対して、どのような判断を下したのかはわからない。しかし、本人の言葉の通りであれば二十分ないし三十分後に、風見はこの部屋にやってくる。
僕は、そわそわとした気持ちになった。
あの言葉を本気にしたとは考えにくいが、もうすぐ彼はここにやってくる。彼には女性との交際歴があったし、本人の申告が正しければ男性と肉体関係を持ったこともないはずだ。
落ち着かない気持ちを紛らわす方法を考える。
そういえば、先ほどの電話。風見は今から庁舎を出ると言った。残業をしていたのかもしれない。なら、少しくらいねぎらってやろう。
僕は、みそ汁を作ることにした。

 

 

合鍵で入ればいいと言ってあったのにインターフォンが鳴る。少しの逡巡があったのだろう。数十秒の沈黙のあと、彼は玄関を開けた。
僕は、台所に立ち、ラップでおにぎりを握る。

「ふるやさん」

走って来たのだろう。風見の声は、ほんの少しかすれていた。
仕上がったおにぎりを、皿にのせ、後ろを向く。風見が少しずつ距離をつめてきた。

「失礼」

ふいに頸動脈を触れられた。
風見の顔がとても近くにある。

「脈……」
「うん」
「正常ですね」
「ああ」
「呼吸も、いつも通りだ」

三本の指が離れていく。
そう。僕の呼吸は、いつも通り。いつもと同じ、一分間に十四回。

「二十三分かかったな」
「すみません。買い物をしたら遅くなってしまい……」

風見が食卓の上に紙袋を置いた。袋の口を止めたテープには、ドラッグストアのチェーン名が書いてある。それで、なにが入っているのかおおよその見当がついた。

「いや……急に呼び出して悪かったな」

まさか、あの電話を本気にするとは。

「いえ」

僕は、話をそらそうと試みた。

「おにぎり……食べるか?」
「……あの、降谷さん」

風見が三歩後ろに下がって、僕と距離を取る。
ずいぶん離れるな……と思ったが、先ほどまでが近すぎたのだ。脈を取られている間、まつ毛で呼吸を感じるほど、風見は僕のそばに居た。

「なんだ?」
「てっきり、薬でも盛られたのかと思っていたのですが……」
「……フィクションじゃないんだ。薬を盛られたら病院に行って胃洗浄と点滴」
「たしかに、そうかもしれませんが……」
「どうした?」
「いえ、緊急にセックスが必要な事態と考えた時に、一番妥当なのはそれかなと思ったんです。……しかし……そうでないとすれば」
「うん」
「ハードな仕事をした後の精神的興奮を鎮めるための性欲処理……ですか?」

いや、君を、右腕からふり落とすためだ。
それを言葉にはせず自分の中に押しとどめる。
この男は、なにを考えているんだろう? 大まじめだからたちが悪い。

「……そういうわけでは」
「……となると」
「うん」
「練習、ですね。潜入先で肉体関係を求められたとか」
「いや、それも違う」
「……え?」
「先ほどの電話は……僕の私情によるものだ」

右腕を持ちたくないという意地を貫くための方策。

「私情、ですか?」
「ああ」
「では、降谷さんは単に俺とセックスをしたかったということですか?」
「……いや、そうじゃない」

なぜだ。どうにも、かみ合わない。
ここでようやく、風見裕也と今までの右腕たちとの決定的な違いに気がついた。そうか。この男は、僕の言葉を真に受けているのだ。

「君は、言葉の裏を考えないのか?」
「言葉の裏……ですか?」
「いや、だから……その。上司が部下に、抱いてくれと頼むなんて明らかにおかしいだろ? だいたい、僕と君とは、まだ、出会って二週間しか経っていない」
「そうです?」

風見が首を傾げる。

「そうだろ」
「……うーん」
「なんだよ」
「うまい言葉が浮かばないのですが……降谷さんの言葉は、なんか」
「なんか?」
「本当って感じがします」
「は?」

僕は、彼の正気を疑った。

「なんででしょう。俺にもよくわからないんですけど。今の降谷さんにとって、抱いてほしいと伝えることが必要だったのかなって、なんかそんな感じ……?」

風見は笑う。
そして

「降谷さん」

なんと

「腹減ったんで、さっきのおにぎり、いただいてもよろしいですか」

僕に食事を要求した。
……気が抜ける。

「……ああ。のり、切るから座って待ってろ」

焼きのりに、キッチンバサミを入れる。ジャキジャキという音が響く。
マイペースな男だと思う。ここで、おにぎりを求めるなんて。いや、先に勧めたのは、僕なんだけれども……。
風見裕也はまっすぐな男だ。
それに比べて僕ときたら。もともとの性格か。あるいは、仕事の弊害か。
あまのじゃくな自分に嫌気がさしてくる。

「……みそ汁もあるが」
「え、マジすか?! 飲みたいです! ありがとうございます!」

即席よりいくらかまし、という程度のみそ汁を差し出す。

「急ぎで作ったから、顆粒だしだけれど」
「いえ……インスタントじゃない味噌汁飲むの久しぶりなんで、俺にとってはごちそうです」

僕は風見と向かい合うようにして座った。

「そうか。忙しくても食事はちゃんととった方がいいぞ。もしも、ここに寄らなかったら夕飯はどうするつもりだったんだ? まさか抜くつもりだったとかじゃないだろうな?」

図星だったんだろうか。風見がしゅんと肩を落とした。

「……申し訳ありません」

それにしたって、なにをやっているんだ僕は。
「抱いてほしい」と。そんな不可解な電話をし、今日限りで切ろうと思っていた部下に食事を与え説教をしている。これらの行動は、あまりにもちぐはぐだ。

「……すまん。食事中に説教なんて」
「あっ……いえ! うれしいです! 降谷さんに説教されたの……今日が初めてですし」

たしかに説教をしたのは初めてだ。
しかし、うれしいというのはよくわからない。

「……うれしいのか?」
「あ、Mッ気があるとかそういうわけじゃなくて……! むしろ俺、どっちかっていうとSです」

要らない情報が入ってきた。そんなことを聞きたいわけじゃない。

「……じゃあ、なんでうれしいんだ?」
「なんていうか、あなたの感情に触れたような気がするからですよ」

そんな言葉が出てくるなんて、思ってもみなかった。
僕の頸動脈を触れた、三本の指。あの感触を思い出す。どうして僕は、急所であるはずの首に触れられることをゆるしたのか。
実にマイペースな男。そのペースにひきずられる。
もう、どうでもいい。唐突に、あらゆることが面倒に思えてきた。

「実はな。君を解任する口実を得るために、あんな電話をしたんだ」

僕は種明かしをした。

「……えっ?! そうだったんです?」
「ああ。びっくりさせてすまなかった」
「降谷さん……自分の仕事に、なにか問題がありましたか?」

風見が、お椀を置いた。

「いいや。僕の問題だ。だから、私情、なんだよ」
「私情、ですか」
「僕は。右腕という存在を持ちたくないんだ。君だから、ということではなく、誰に対してもそう思っている」

どうして、こんな話をしているんだろう。
不思議に思うが、心は穏やかだった。

「……そうでしたか」
「うん」
「あのー……降谷さん」
「なんだ?」
「年上として言わせていただきますが。……いいですか。社会ってのは、自分の思い通りにいかないことがたくさんあるんです。それでも、折り合いつけて生きていくしかないんですよ」

僕は笑ってしまった。

「なんです?」
「部下に説教されるのは初めてだなって」
「あ……す、すみません!」
「いや、かまわんよ。……うれしかった」

うん。そうだ。うれしい。

「うれしい?」
「ああ。なんだか……君の感情に触れたような気がした」
「……そうですか」
「うん」

風見が再び、おにぎりをほおばり始めた。
セックスをしたわけでも、ハグをされたわけでもない。だけど、僕はたしかに。目の前の男に抱かれたような気がした。
できることなら、右腕なんて持ちたくない。その気持ちは変わらない。
けれど、風見とはお互いの気持ちが触れ合ってしまった。

こうして僕は、風見裕也の解任に失敗した。

 

【あとがきなど】

右腕要らない派の降谷さんが、なんか知らんけど、風見を受け入れちゃう話がすごく好きです。
気が進まないお見合いで、思いのほか相手としっくり来てしまったような。そういうタイプの風降が好きです。
私は、風見裕也のことを、いい意味でやべえやつだと思っています。
なんだろうね、風見が醸す独特のグルーヴ感?(笑)
すっごい癖になる。

あと「本当にいい男って、言葉とか存在感で相手を抱けてしまう」って。
私は、そんな風に思っていて。
風見裕也には、それを期待してしまいます。

 

 

 

2