〇風見さんの一人称がころころ変わるのは仕様
〇風見さんが、女性経験豊富っぽい? 風俗も使う
〇思い出話の中で、ねつ造キャラの話が出てきます。
〇性描写はほとんどないですが、下ネタっぽい話はたくさん出てきます
〇降谷零さんが童貞処女です
〇つき合ってないし、つき合わないタイプのお話
だらんと、垂れ下がった風見の右腕を見て、僕は言葉を失った。
木曜の夕刻。黄昏時。
組織への潜入捜査を終えて、風見に回収される。
風見は、追跡がないことを確認しながら、路地の隙間を縫うように、わざと複雑なルートで車を走らせた。
会話はない。
しばらくして、一人暮らしの社会人向けのマンションに到着する。先に風見が部屋に入り、15分ほど経ってから、僕もその後を追った。
組織の潜入捜査の後、僕はセーフハウスで数日ほど身を潜める。
そこで身を潜めながら操作で得た情報や風見から受け取った情報の解析を行い、報告書を作成。それを裏の理事官に回し、次の指令を待つ。
それが、いつもの流れだった。
今回使用する物件は、ゼロが管理しているセーフハウスの一つで、間取りは2K。寝室と居室が分かれていて、台所は狭いものの、独立洗面台がついていた。
普段は、もう少し狭い部屋を使用することが多いのだが、今回は、いつもと事情が違っていた。というのは、裏の理事官から、とあるデータを渡され、その解析も依頼されていたのだ。
ボリュームはあまり多くないものの、玉石混交という言葉がしっくり当てはまるような情報の集合体。それを解析するのは骨が折れそうだった。
裏の理事官は、週明けの月曜日までに、解析結果をよこすよう所望した。
僕が返事にためらうと、裏の理事官は「お前の右腕にもそっちを手伝わせるよう手を回しておく」と言った。
いくら、気心知れた間柄とはいえ。
成人男性2名が、数日間、狭い部屋で缶詰になりながら、仕事をするなんて、不健康極まりない。そういうわけで、今回は、いつもより広いこの部屋を使用することになったのだ。
部屋につくと、僕は真っ先にシャワーを済ませた。
風見が、僕の家から持ってきたジャージに着替える。
今日の風見は、スーツではなくて私服だった。デザインはシンプルだったが、背が高く、それなりにしっかり筋肉がついている彼は、きれいにその服を着こなしていた。
風見は、チョコレートをかじりながら、裏の理事官がよこしたデータに目を通していた。
「風見」
「なんでしょう?」
「あいたぞ、シャワー」
「あ、じゃあ、入ってきます」
風見は、ノートパソコンを閉じ、着替えとタオルを持って、シャワーに向かった。
風見が買ってきたおにぎりを食べながら、プライベート用のスマホを立ち上げる。ペットホテルから送られてきた、定時連絡を確認し、思わず笑った。メールに添えられた、数枚の写真。ハロのやつ、あきらかに不機嫌そうな顔をしている。
しばらくして、風見がバスルームから出てきた。
バスタオルで頭をがしがし拭く風見に、ハロの写真を見せる。
「わ、不機嫌ですね」
「顔に出るとこがかわいいよな」
「昼間、自分とペットホテルに行った時も、車の中ではご機嫌だったんですけど、ホテルに預けようとした瞬間、すっごい不機嫌になっちゃって」
「あー。どこか遊びに連れて行ってもらえると思ったのかもしれないな。君、今日は私服だったし」
「ええ。そうかもしれないです」
「なかれたか?」
「いや、それは無かったんですけど、裏切り者め! みたいな顔をしてましたね」
僕と風見はハロの話を少しして、仕事を再開した。
仕事の進捗は、まあまあだった。
集中力が切れると、軽く筋トレをし軽食を取って仕事を続けた。
そうはいっても、人間には限界がある。いくら、裏の理事官が手を回したとはいえ。風見も部下を何人か抱える、公安部の刑事だ。現場から数日間離れるとなれば、前倒しでこなさなければならない業務も出てくるだろう。
午前一時を回ったあたりで僕は切り出した。
「そろそろ寝よう」
風見は、おでこにつけていた冷えピタをぺらりとはがして
「はい」
と答えた。その目の下には濃いクマができていた。
仕事道具を片付け、一応、鍵付きのボックスにしまう。
歯磨きとトイレを交互に済ませる。
僕がトイレから出ると、風見が、ソファで横になろうとしていた。あわてて、声をかける。
「風見、こっちだ。お前も、ベッド使え」
「え……! ここ、ベッド二つあるんですか?」
風見の質問に、僕は苦笑いしながら答える。
「いや。ここな。バカでかいダブルベッドが置いてあるんだよ」
「え……?」
寝室に風見を招き入れる。
風見が「うわ、ほんとにでかい」とひとりごとを言う。
この部屋は、ゼロが管理するいくつかのセーフハウスの中でも、ある特殊な用途のために使用されることが多かった。
僕たちの仕事は、私利私欲に飲まれないよう自分を律する必要がある。だが、三大欲求の一つである「性欲」というもののコントロールは大変厄介なものであり、なおかつ「英雄色を好む」とか「IQが高いと性欲が強い」という俗説の通り、僕の部署の人間は性豪を自称する者が多かった。
この部屋は、公安部の職員が、息のかかった高級コールガールを呼んで行為するための部屋でもあった。
そんなベッドで眠るのは多少気が引けたが、それでも、背に腹は変えられなかった。風見はどう見ても寝不足だし。僕だって、組織の仕事でそれなりに疲れている。
「これなら、君と僕と二人で眠っても問題ないだろ? まあ、君の寝相がとても悪いと言うなら、話は別だけれど」
「はあ、寝相は普通だと思うんですが。今まで指摘されたことないんで……でも、よろしいんですか?」
「風見。睡眠の質は仕事のパフォーマンスを左右する。僕が今回この部屋を取ったのも、男二人でも十分に快適に過ごせるこのベッドがあるからだ」
「そうですね」
僕がそう言うと風見は、納得したらしくベッドサイドに、歩み寄る。
「それで、だ」
「はい……なんでしょう」
「僕は、君に言っておかなければならないことがある」
風見が、緊張した面持ちで、こちらを見た。
「僕、寝る時、服着ないんだけど。脱いでもいいか?」
風見が、少しの沈黙の後、神妙な面持ちで言った。
「……それは、どういう意味ですか?」
「服を着ないほうが、熱が冷めやすいし、ウェストのゴムなどの締め付けがない分、リンパの流れもよくなる。実際、ハリウッドの女優などは裸で眠ったりするだろ? そういう意味だ」
僕が、裸で眠ることの意味について、簡単に説明すると、風見は、いきなり挙手をした。
「降谷さん!」
「なんだ、風見」
「俺も、脱ぎます!」
「そうか」
こうして僕らはベッドサイドで、服を脱いだ。
風見がパンツに手をかけたところで、声をかける。
「風見、さすがに、今日は僕もパンツを履くから、君も脱がなくていいぞ」
「あ、では、このままで」
風見がベッドの左側から、するりと、ベッドに滑り込む。
上司より先にベッドに入る部下に対して、しょうがない奴だと思いながらも、風見の眠気がピークに近いことは理解していたから、指摘はしなかった。
部屋の電気を消して、ベッドにもぐりこむ。
「ん?」
後頭部に、低反発枕とは違う感触を感じて、風見の方を見た。
「おい……君、僕の頭の下に」
「あ、ごめんなさい……つい、くせで」
眠そうな声で風見が言う。
僕の頭の下には、風見の右腕があって。僕が使うはずの枕はいつの間にか、風見によって取っ払われていた。
「癖って……君は、そんなにしょっちゅう、腕枕をするのか?」
「いや……最近はごぶさたでしたけど。一緒にベッドに入るときはたいがい……自分、やきゅう、して、たんで。にとーきん……そこそこ…あるから……」
そこまで言って風見の、意識は途切れた。
眼鏡をつけたまねてしまった部下の、眼鏡をはずしてやる。
ついでに、腕枕から抜け出す算段を立てたのだが。風見の寝息があまりに気持ちよさそうだったことと。組織の仕事を終えた疲労感が、今更、どっと襲ってきて。
気がついたら、僕もそのまま眠ってしまった。
眠りはとても深かった……ような、気がする。
目が覚めて、僕は風見に背を向けるように寝ていた。
右側頭部に、しなやかなバイセプスの盛り上がりを感じる。
風見は、腕枕をしながら、僕を後ろから抱きかかえるようにして寝ていた。
上司を抱き枕がわりにして、気持ちよさそうな寝息をあげる部下に後頭部で軽く頭突きをくらわす。
「わ……あ…あれ? 朝、ですか?」
慌てふためく部下の腕をほどき、ベッドから抜け出す。
「あ、おはようございます。降谷さん」
「うん。で、抱き心地は、どうだったか?」
「え……俺、なんかしましたっけ?」
「いや、今の今まで、僕のことを抱き枕にしてたじゃないか」
「あ、なんだ……そういうことか。……まあ、よかったですよ。とても。肌なんかもすごい、すべすべしてて……」
「おい。皮肉に真面目に答えるな。ほら、さっさと仕度して、朝飯食べて、仕事やるぞ。もう、8時過ぎてんだから」
僕は手早く、服を着て、寝室の遮光カーテンを開いた。
「あ、はい……」
風見が、あわてて、ベッドから這い出る。
そして、
「……すみません、降谷さん、俺、やらかしました」
風見の右手がぶらっと、垂れ下がっていた。
「おい、どうした? それ」
「……昨日は木曜日の夜でしたけれど。これは、サタデーナイト症候群ですね」
「サタデーナイトって……あの、酔っ払いが、変な姿勢で眠って、末梢神経を絞扼した結果起こる一時的な麻痺か?」
「ええ、そうです。もしくは、土曜日の夜に恋人を腕枕した結果おこる一過性の末梢神経麻痺です」
風見は、左手で眼鏡をかけ、動かない右手に四苦八苦しながら、服を着始めた。
朝、だから仕方ないのかもしれないが。パンツの布を、物騒ないちもつが、押し上げていて。早くズボンをはいてほしかった。
「大丈夫か……右手?」
「ええ。まあ、これ5回目くらいなんで。最初の時は、焦って病院とか行っちゃったけど、まあ自然に治るんで……あー、でも、右手でやらかしたのは、10年ぶり2回目なので……ちょっと情けないですね」
風見は、どうにかこうにか、部屋着のジャージに着替えた。
ベッドを簡単に直して、寝室を後にする。
僕は自分の洗顔を終えると、電子レンジでぬれタオルを加熱して、ホットタオルを作り、風見に渡した。
「風見、顔、その手じゃ洗えないだろうから。それで拭け」
「ありがとうございます」
風見がホットタオルを持って、洗面所に消える。
僕は、事前に風見に用意させた食材で、二人分の朝食を作る。ハムサンドと、ゆで卵と、インスタントのスープをリビングのローテーブルに並べる。
「風見、朝飯できたぞ」
洗面所の方向に向かって声をかければ、風見がぱたぱたと、こちらに駆け寄ってくる。
「サンドイッチなら、左手で食べられるだろ?」
「降谷さん……! ありがとうございます!」
まだ、右手の感覚が戻らない風見は、時折、左手で、右腕をもみながらハムサンドを食べた。
「右手、どうだ?」
「んー、感覚は戻ってきたし、ちょっとなら動くので、昼頃には正常に戻るかと」
「本当に、通院しなくていいのか? 確か、長引く場合もあるんだろ? 末梢神経麻痺」
「ええ。でも……数日間、様子を見て、しびれが残ったりしない限りは大丈夫ですよ」
風見は、左手でマグカップを持ち、食後のコーヒーをすすった。
「降谷さん。食器、つけておいてください。右手が治ったら、私が洗いますんで」
「わかった」
食事を終えて、歯磨きを済ませ、一応、私服に着替えてから、データ解析を再開した。
裏の理事官が手を回しているとはいえ、いつ、呼び出しがあるかわからない。さすがにスーツを着るわけにはいかないが、部屋着のまま、外に飛び出すのは気が引ける。
僕は、緩めのスプリングニットに、チノパン。風見は、シャツとジーンズに着替えた。風見は、器用に左手でボタンを留めていった。
そして、昼頃には、風見の右手も復調し、仕事の方も、まずまずのペースで進んだ。
壁に貼り付けたライティングシートに、水性ペンで書き込みをし、メモを貼り付けていく。作業工程をログとして残し、時折、それを眺めながら、次のプランを立てる。
僕は、風見の文字の筆跡が、元通りに戻っていることを確認して、少しばかり安心する。
昼休憩を取る。メニューは、豚汁とおにぎり。
風見が豚汁の具を箸で、口に運ぶ。
「よかったな」
「はい?」
「右手」
「あー。よかったです」
「しびれはないか?」
僕がたずねると、風見が、笑い出した。
「おい。人が心配してやってるのに、笑うな」
「いや……降谷さんが、すごく心配してくれてるのを見て、初めて、これをやらかしたときのことを思い出しちゃって」
別に、部下の思い出話につき合う必要はないのだが。風見は、僕に聞いてほしそうな顔をしているし、まあ、気晴らしを兼ねて、風見の話を聞いてやることにした。
「で、何を思い出した?」
僕が、切り出すと、風見がこちらをじっと見つめた。
おそらく、僕が、話を聞くと思わなかったのだろう。いつもは、風見の話を最後まで聞かないから。
「降谷さんは、年上の女医さんに心を奪われたことはありますか?」
ピンポイント過ぎる質問に変な声が出そうになったが。どうにかこらえた。僕が、だまっていると、風見は話を先に進めた。
「俺は、あります。初めて、サタデーナイトシンドロームになったとき。彼女も俺もあわててしまって。近所の総合病院に駆け込んだんです。ちょうどその日は、大学病院から、週に数回きている若い女の整形外科医が日直をしていて」
「え、まさか、君。彼女いるのに、その女医さんに?」
僕の質問に、風見が照れくさそうに笑う。
「ええ、恥ずかしながら。……でも、仕方なかったんですよ。日曜日で人なんていないのに、わざわざカーテンを引いた処置台で…とても、丁寧な触診を受けまして」
「うわ……」
「あ、性的な意味の触診じゃないですよ? ……なんていうか、確実にさわる必要のない腰回りの筋肉まで、丁寧に触診されてですね……君、野球やってたでしょ? なんて言い当てられたりして」
「うん」
「降谷さんも男だったらわかると思うんですけど。年上の美人な女医さんって、めっちゃそそるじゃないですか」
風見の力説に対して、柄にもなく、むきになって反論する。
「僕を君と一緒にするな。 僕はそういう不純な感情を抱いたりはしない」
「……? はあ? そうですか。さすが降谷さんです? まあでも、俺は、凡夫ゆえそーゆーのに、とてもそそられちゃったんです」
「ほー……で?」
「ええ。実は、その時点で、右手の麻痺はずいぶんよくなっていたんですが。その女医が、もしもしびれが残っていたら、三日後にまた受診に来いって言うんです。その日が、自分の外来当番日だからって」
「……で? 行ったのか? 彼女いるのに? 君って案外、不誠実な男だな……」
じろりと、風見をにらみつけると。風見は冷や汗をかきながら、苦笑いを浮かべる。
「……降谷さん。若気の至りですよ? それに、彼女には、すぐに別れを申し入れましたので。不誠実ではないです」
「え……? それ、彼女は納得したのか」
「いやー……彼女はね。自分にはもったいないほど、頭の切れる女でしたからね。司法試験もストレートでしたし。……損切も早かったんですよ。女医に、ちょっかい出された程度で、ぐらつくような男につき合っているような暇はないっていう判断ですね」
「ご慧眼」
風見は、食器をシンクに運びながら、話を続けた。
「で、約束通り三日後、しびれなんてとうにないのに。学校をさぼって、受診に行ったんですよ……まあ、そしたら、念のため、後で細かく見てあげるからって言われて、部屋に誘われまして」
「その日のうちに、関係を持ったのか?」
「そうですね。まあ、そうなります」
「君って……」
「……しょうがないじゃないですか! 美人! 女医! 年上のお姉さま! それも自分から誘ってくる肉食系! 降谷さんはともかくとして、これで舞い上がらない男います?」
「……君、ハニートラップとか引っかかってないよな」
「ああー。言われると思いました。絶対それ、言われると思いました……! ないです。それはないです。……ただ、あの頃は、ほんっとうに耐性がなかったんですよ。俺、高校までは野球と勉強しかやってこなかったし……」
風見が食器を洗い始める。
「その女医さんにもしっかり遊ばれて……まあ、いい体験でしたけどね」
「ふーん」
僕も、シンクに自分の食器を運ぶ。
ふきんをもって、風見が食器を洗い終えるのを待つ。
風見が水道の水を使って、洗剤の泡を流す。僕は、食器を受け取り、水気を拭きとった。
午後からの仕事は、そこそこにはかどった。
壁に貼ったログもずいぶんな量になってきて、そろそろ、ライティングシートを貼る場所がなくなってきた。
いったん手を止めて。古い方のログを精読してから、写真に収めて壁から外す。
「降谷さん、なんか見えてきました?」
風見が、インスタントコーヒーを飲みながら、たずねる。
コーヒーの湯気で、白く曇った眼鏡が、なんだかおもしろかった。
「んー……風見、いったん休憩しよう。作業効率が落ちてきている」
「了解しました」
「……君、それ飲んでるけど、僕が淹れたコーヒーも飲むか? 確か、ここ、誰が持ち込んだかわからないけど、コーヒーミルがあるんだ」
「あ、それで、豆も持って来いって言ってたんですね」
「そうそう」
「じゃあ、お言葉に甘えて、いっぱいいただきます」
風見はそういうと、データのバックアップを取り始めた。
コンロで湯を沸かし、コーヒーを淹れる。
さすがに、やかんは、普通のものしかなかったから、慎重に少しずつ湯を落としていく。
風見は、僕に背を向けて、スマホをいじっていた。気配を消して、そっと後ろからのぞき込むと、なにやら、ゲームをしている。三十路の大男が、スマホの小さな画面を見ながら、一喜一憂する姿は、なかなか滑稽だった。
「顔、にやけてるぞ?」
「え……あ、えっと、これは」
「君も、ゲームなんてやるんだな」
僕がそう言うと、風見は、背筋をびしっと伸ばして
「ええ。市井の人間のことを知ることは、公安警察に所属するものとして、大事な職務の一環だと考えておりまして」
「そうか。……コーヒー入ったぞ」
「あ、いただきます。……そうだ、コーヒー買う時に、ちょっといい、チョコタブレットを買ったんですけど。降谷さんもお茶うけにどうですか?」
「あ、もらうかな」
風見が、板チョコをぱきりとわって、こちらによこす。
「しかし……さすがに、二人だと、はかどるな」
「え……?」
「いや……さっきログを眺めながら思ったんだが。やっぱり、二人で作業すると、扱える情報量がちがうなーと。それに、君と僕とでは着眼点が違うから、そこもいいな。本当だったら、もう少しメンバーがいるのがベストなんだが……」
「ああ。自分も、それは思います。三人そろえば文殊の知恵というか……」
風見がチョコレートをほおばる。
僕も、ひとかけらのチョコを口に放りこんだ。
「うまいな」
「ええ。これ、新発売だったんで買ってみたんですけど……リピート決定ですね」
コーヒーブレイクを楽しみながら、今晩の夕食のリクエストを聞く。風見は少し悩んでから
「んー、肉じゃがですかね?」
「肉じゃがか」
「ええ。俺は、へーぼんな男なんで、手料理と言ったら肉じゃがなんですよ」
「そうか……まあ、材料的には作れなくもないけど……糖質がな……君はスリムだからあんまり気にしたことがないかもしれないけど、もう三十なんだから、少しその辺も意識した方がいいぞ」
「あ……そうですね」
「まあ、ちょっと……一緒に運動でもするか」
「……一緒? ですか?」
「ああ。HIITのいいアプリを見つけたんだ。コーヒー飲んだら、一緒にやろう」
「……あ、そうですね。えっと。俺も、タバタ式をちょっとやってた時があるんですけど。降谷さんのは、どんな感じのやつですか?」
「んーと。僕のは、カナダのトレーナーが開発したやつで……今、アプリ開く」
それから、二人で筋トレをして、肉じゃがを仕込んで、午後七時までパソコンと向かい合った。
夕飯を食べ終え、お茶を飲みながら、食休みをする。
風見がそわそわしながら、僕にたずねる。
「降谷さん、昼間のアプリ、なんて検索すれば出てきます?」
「ん? あーあれな。後で、招待URLをメールで送るよ」
「ありがとうございます」
「結構よかったろ?」
「ええ。食休みしたら、もう一セットやろうかなと思ってます」
「あ、じゃあ、僕もつきあおうかな。あと、仕事の方も、あらかたの方向性は決まったし。明日もそんなに詰め込まなくても終わりそうだから。今日はさっさと風呂に入って、お互い自由時間を取ろうか。スマホでゲームしてもいいぞ」
「えっ、本当ですか。やったー!」
無邪気にはしゃぐ部下を見ながら、唐突に、普段はあまり考えることのない。同世代の独身男性の日常に思いをはせた。
安室透としての潜入任務はあるものの、安室のライフスタイルは、普通の成人男性の生活とは隔たりがある。
どこかで働いて。空き時間にスマホゲームをして。同性の仲間と飲みに行ったり、恋人がいればその人とデートをしたり。休みの日には、趣味で、どこかに遊びに行ったり。店員と雑談しながら、自分の着る洋服を選んだり。そういう日常を送っている、この国の、不特定多数の同世代の独身男性たちのことを思った。
「よし、じゃあ、降谷さん、やりましょうか?」
「え?」
「トレーニング。というか、アプリのURLはやくください」
「ああ。そうだったな」
トレーニングを終えて、交互にシャワーを浴びた。風見は、僕が先に入るようにと言ったが。
「君の方が汗だくなんだから、先に入れ」
という、僕の命令におとなしく従った。
風見に続いて、シャワーを使う。
シャワールームには、ずいぶんといい香りが立ち込めていて。ふと、見るとOLに人気の固形石鹸が、石鹸ケースと共に置き去りになっていた。
ずいぶん、かわいいものを使うんだな……と、思いながら、それを手に取って匂いをかいでみる。
ああ、そういえば、昨日の夜もかすかに、このにおいがしたなとか、そんなことを考えた。
風呂から出て、ソファでくつろいでいた風見に石鹸ケースを渡す。
「忘れ物」
「あ、はい……って、あれ、これ……」
「うん、置き忘れてたぞ……」
「うわ……はっず」
「確か、彼女ができたっていう報告は上がっていないが」
「ええ。その通りですよ」
「ん? 彼女のやつ、とかじゃないのか? これ?」
彼女でないとすれば、風見個人の趣味だろうか?
「……降谷さん、笑いません?」
「なんだ、笑わないから言え」
コップに牛乳を注ぎながら、風見をにらむ。
「……降谷さんみたいに。何でもできて……昔から、もてもてだった人にはピンとこないでしょうけど……ハウツー本です」
「ハウツー? なんの?」
「ああ。もう、降谷さん、ぜええったい、読んだことないし、読もうとすら思ったことないですよね? 夜のことまで含めた、男女交際の手引書ですよ」
「ん……? 君、30にもなってそんなの読むのか?」
「いや、さすがに読んだのは、10代の頃最初の彼女ができた時とか……あ、いや、大学の時も読んだな。セックスうまくなりたくて」
突っ立ったまま、牛乳を飲み、風見をにらむ。
「まあ、その本の中に、石鹸の香りを好む女性は多いって書いてあったんです」
「ふーん……で、どうして、こんなしゃれた石鹸を?」
「それは……結構前につきあった彼女がプレゼントしてくれたやつが、すごくいい匂いだったんで、継続して使ってるだけです……」
「未練があるのか?」
僕がたずねると、風見は、ため息をついた。
「いや、その彼女と終わった後に、ちょこちょこ遊んでた子たちに評判がとてもよくて……それで、ずっと、使ってます」
「とっかえひっかえか?」
「……安心してください。その数名の女子たちとは、偽名で遊んでいたので……」
僕は、牛乳の入ったグラスをテーブルに置いて、深くため息をついた。
「びっくりした……君が、そんな遊び人だったなんて……」
「いや……たいして遊んでないですよ。経験人数だって、両手で足りますし。降谷さんほどじゃないはず」
「……経験人数、僕、ゼロだぞ」
僕がそう言うと、風見が、顎に右手を添えて、天井を見上げた。
「そんな驚くことか? 別に、性欲処理に性交渉は必要ないし……それに、僕の場合、君と違って一途なんだ」
「いや……うーん。むしろ、納得しました」
「納得?」
僕がそう言うと、風見が背筋をピンと伸ばして、こちらを見る。
「ええ。まあ。昨晩からの降谷さんの……反応が……うまく言えないんですけど、処女っぽかったんですよ?」
「……おい、風見、僕は男だぞ」
「あ、すみません……なんていうか、そういう意味じゃなくて、処女の子にありがち? な、反応だったから」
「……? ちょっと、よくわからないのだが? 僕が、その…処女にありがちな行動をとっていたのか?」
風見の横に座る。ちょっとずつ距離を詰めながら、風見を問い詰める。返答次第では、絞め技だ。
「えーっと……ですね。まず、降谷さんは、俺が降谷さんに対して、その気があるかもしれないという前提がないです」
「……いや、だって、君、基本的に女が好きじゃないか?」
「……まあ、基本的にはそうなんですけどね。で……ですね。降谷さん…合コンでお持ち帰りをするときに、どんな手段があるかわかりますか?」
「……甘い言葉をささやく? とかか?」
「あ、うん。降谷さんなら、それで一撃ですね。でも、俺のこの顔で言っても、場がしらけるか冗談で言ってるとしか思われないわけですね」
「じゃあ、どうするんだ?」
風見は、ため息をひとつついてから、説明をした。
「わざと、性的なことを想起するような発言をして、相手の様子を見るんですよ。そういう話をした時に、眼がきらっと揺れる子がいるんです。それで、いけそうと踏んだら、もうちょっと直接的な話もしてみたり……」
「うん……? それで?」
「降谷さん、昨日から、無自覚に微妙にきわどい発言してくるので、俺も、同じくそういう発言してたんですけど。降谷さん……淡々と流してましたよね?」
「え……まあ、そうかもしれんな?」
「そういう反応する子って、経験が乏しいか、言葉の裏を読むのが苦手かのどちらかなんです。降谷さんの場合……」
「……まあ、後者ではないな」
僕は、少しびっくりしていた。
僕は、自分のことを余すことなく、きちんと把握できていると信じていた。それが、風見に指摘されて、自分では認識しきれていなかった、一面を知ることになった。
「ありがとう……風見。つまり、恋愛経験が不足している僕は、そういった、性が絡むようなやり取りに未熟さがある……と、いうことだな?」
「あ、いえ。未熟……というほどのことでは……ただ、いつものやり方では、落とせないタイプだなと思ったまでです」
「え……?」
「俺、昨日の夜、ベッドに誘われた時、そういう意味だと思いましたし。裸で寝たいと言われた時も、そういうふうに捉えましたし。腕枕……ほどこうと思えばほどけたはずなのに、それをしなかったから……いけるって、思って…まあ、睡魔に負けたんですけどね。でも、その後のやりとりで、降谷さん全然揺らがないから」
「……それは、僕の行動が、君を誘っているように見えた……? ということか?」
「……まあ、そのようにとりました」
風見が、眼鏡の位置をなおす。
「……そういう……恋のかけひきのようなものって……やはり手引書を読んだ方がいいのか?」
「……あ、いや。ハウツーは、結構、変なことも書いてあるので、やめておいた方がいいかと……それに、降谷さんは、顔がいいのでそんな小細工は要らないと思いますが……?」
風見の言葉に、なんとなく、すねてしまう。
「そういう、ことじゃないんだ」
少しだけ、語気が強くなってしまう。
「降谷さん……?」
「というか、君が、おかしいんだ。公安のくせに、普通の男みたいに合コンとか参加して……女の子を口説いたり……」
「……あー、じゃあ、降谷さんも行きます? 合コン?」
「そういうことじゃない」
八つ当たりのようになってしまう。
僕は、ただ悔しいのだ。トリプルフェイスを完璧に、使い分けて仕事をしている僕が。普通の男には、化けれそうにないことが悔しいのだ。
「……俺が、遊んだのは、降谷さんの前の上司の教えですよ」
「上司の教え?」
「ええ。公安に配属されて、最初の週末に、一緒に酒を飲んだんです」
風見は、表情を変えず、淡々としゃべった。
「俺たちは、治安の維持などというたいそうな職務を担っているが。所詮、俺たちが相手にするものは、人間だ。だから、人間を理解せねばならん……ってね。熱燗やりながら、俺にそんな話をするわけですよ」
「それで」
「ええ。で。人間の本質は何だと思うか? と聞かれて、俺が……まあ考えることですか? とか、まじめに受け答えたわけですよ。そしたら、なんて言ったと思います? その人」
「さあ……なんだろうな」
「人間の本質は、遊びだ、と言ったんです」
「ああ。ホイジンガだな。ホモ・ルーデンスだ」
「そんでね」
風見が笑いながら言う。
「というわけで、堅物のお前に遊びを教えてやる。吉原いくぞ……! ですよ」
「……豪快だな。君、行ったのか?」
「ええ、まあ」
それから、風見は、初めての風俗体験を語り。
その上司の教えを守って、業務に支障の出ない範囲で遊びの方もがんばったという話をした。
「まあ、さすがに、ゼロの作業員になってからは、控えてますけどね」
「ああ。でも……たぶん、その上司の言ってたことは正しいな」
普通の男として。仕事も遊びもそこそこ頑張る。そういう経験があるからこそ。風見は、街の中に自然となじむことができる。
「ええ」
「いつか、僕も、その人に会ってみたいな」
「……ええ。俺も、会いたいですよ」
風見の口調はとてもやわらかだった。
死んだのか? とは、聞かなかった。
僕は、こてんと、風見の肩に自分の頭を預けた。
「降谷さん?」
「そういえば……君、朝……ずいぶんと勃ってたけど……その、たまってたのか?」
わざと、そういう話をふってみた。
「……どうしたんです?」
「僕も……遊んでみたくなった。君なら、この意味わかるだろ?」
「……じゃあ、今日じゃなくて、明日にしましょう?」
「なんでだ? 据え膳食わぬは男の恥だろ?」
「ええ。だから明日。さくっと、仕事終わりにして、夜中……おつきあいしますよ」
風見は、スマホを取り出してゲームを始めた。
「……おい」
「なんでしょう? この時間は自由時間にしようとおっしゃったのは、降谷さんですよ」
「そりゃ、そうだけど」
「あと、今日、俺、ソファで寝るんで」
「……今しないなら、しない」
僕がそう言うと、風見は、眉間にしわを寄せてこちらをにらんだ。
「ええ。じゃあ、しないままでいいですよ」
「なんだよ! 君、僕としたいわけじゃないのかよ」
僕が、風見のほほをつねると、風見は、ほほをさすりながらひとこと
「したいですよ」
と言った。
「なら……」
「あー、もう。ほんっと、そういうとこが、処女。俺……遊びにも…っていうか、遊びだからこそ、手を抜きたくないんですよ」
「……それも、例の上司の教えか?」
「ええ。そうです。だから、明日まだ仕事あるのにとか、そんなことを考えながら、手加減するのやなんです。……だから、明日……仕事終わるまで我慢してください」
敬語ではあるが、風見の声色には、明らかに怒りの感情が混ざっていた。
だが、僕だって、処女扱いされたことに腹を立てている。
「でも……僕、男だし……頑丈だから……明日の仕事には、」
風見が、眼鏡を外して、スマホをテーブルに投げた。
そして、思いっきり、僕の頭をつかんでキスをした。
風見の指が、僕の耳や首筋をなぞる。口の中を隅々まで、舐め尽くされていく。力が抜けて、うまく抵抗ができない。
一方的にキスされることが悔しくて、自分でも何か仕掛けたいけれど、何をしたらいいかわからない。
しばらくして、風見が、唇を離し。僕の体を抱きしめた。
「降谷さん……いいですか? 俺は、あなたの中をぐちゃぐちゃにしたいし。今のキスの百倍くらいの時間をかけて、あなたとそういうことをしたいんです」
「ひゃく…ばい?」
「そう。百倍」
体が熱かった。
他者から与えられた刺激によって、自分の体が反応するという現象に頭がくらくらした。
風見が僕の体から離れる。
そして、眼鏡をかけなおしながら言った。
「と、いうわけで。降谷さんさっさと寝室に引きこもってください。で、別々に寝て、明日はしっかり、仕事に励んで、夜もしっかり励みましょう」
「眠れるか、バカ」
右ストレートを繰り出し、風見の眼鏡の直前でとめる。
風見は、無表情で、僕の顔をにらんだ。
僕は牛乳のコップを片付け、歯を磨いて寝室に入った。
明日。土曜日の夜。僕はここで、風見裕也に抱かれてしまうらしい。
そう考えると、体がまた熱くなった。
それで。
ベッドに残る、かすかな石鹸の香りをかぎながら。
僕は久しぶりに、自慰行為を行った。