【はじめましてを重ねる】
呼び出されたのは、いつもの歩道橋だった。
平日、夜中の0時23分。
通行人を装いながらの接触だから、時間は中途半端になる。天気は晴れ。月は出ていないが、街灯の灯りで十分に明るい。
何を言われたわけではないが、少し前に頼まれていたデータをポケットにつっこんで、待ち合わせの数十秒前、例の場所に立った。
スマホをチェックするふりをしながら、しばし、そこに留まれば、ガタンガタンと階段を登る音がする。
肩と肩がぶつかり合う。
「すみません」
謝罪をしながら、記憶媒体を手渡せば
「あの……はじめまして。飛田さん……ですよね?」
なぜか、偽名で呼ばれた。
「えっと……そうです」
とりあえず話を合わせてみる。
「僕、あの求人を出した安室透です」
求人って、なんの話だ……? あむろとおるってなんだ……? と、思いながら
「ああ。あなたが、あの求人の……」
と、話を合わせる。
「ふむ……。ここにいらっしゃったということは……探偵助手の志望者としては最低限の素養があるようですね。あの暗号……簡単でした?」
ますます、話がわからない。
確かに、今日の待ち合わせに関しては、暗号めいた文書によって日時場所の指定があった。しかし、探偵助手のくだりについては、何も知らされていない。
「少しだけ、解読に時間がかかりましたが、謎解きは好きなので……」
暗号よりも問題なのは、今この状況だ。
「そうですか。謎を解き明かし、真実をつきとめる……。探偵の仕事に興味を持ったのも、謎解きが好きだからですか?」
どう答えるのが正解か?
少しもわからない。しかし、これが、飛田が探偵助手になるための試験なのだとしたら、真面目に志望動機を伝えなければならない。
降谷さんが何を考えているのかわからないが、俺は目の前の状況に応じてベストを尽くすまでだ。
「謎を解くだけが、探偵の仕事だとは思っていません。迷い猫の捜索や、人探し。もちろん、事件の謎を解き明かして被害者やその関係者の無念を晴らすこと。自分は、そういうことを通して、困ってる人の助けになりたい」
「ホォー」
「それに、事件を迷宮入りさせず、すべて解決すること。これが、犯罪の抑制になる。自分は、あなたの助手になり、あなたの仕事を手助けすることで、この街の平和に寄与したい」
そこまで言うと、降谷さんは、普段ではありえないほどに、やわらかく、やさしい顔で笑って見せた。
月が出ていれば、この笑顔を、もっとはっきりと、目に焼き付けることができたのに。
尊敬する上司の初めて見る表情に見とれていると
「でも、僕らで、すべての難事件を解決してしまったら。犯罪は起こらなくなって、探偵業は先細りますね」
と、思いがけない、言葉が返ってきた。
就職試験は、まだ、続いているのかもしれない。
「……いいんですよ。それで。誰かの困りごとを前提に成り立つ職業なんて、本来、存在しない方がいいんですから。それに……犯罪はなくなっても、猫は気まぐれですし、出会いは一期一会です。この街が平和になっても、迷い猫の捜索や、人探しで、ほそぼそと食っていけますよ」
降谷さんは、顎に人差し指を添え「うーん……」と、少し小首を傾げてから
「……合格です」
と、言った。
「ありがとうございます」
よくわからないけれど、俺の受け答えは及第点に達していたらしい。
「飛田さん。それでは、今日から僕の右腕として、助手の仕事をお願いできますか?」
「ええ、よろこんで」
「では、今日のところは、これで、終了です」
「はい」
面接終了を告げられ、お辞儀をする。来た道を戻ろうと、降谷さんに背を向ければ
「風見……このあと時間あるか?」
と、いつもの調子で降谷さんが言った。
そして、俺は、また、ふり向きながら
「はい」
と、答える。
「ちょっと、飲みに行こうか?」
と、降谷さんがいつものように、にこりと笑った。やわらかさはないけれど、きれいな笑顔だ。
「ええ。行きましょう」
「あそこでいいか?」
「まあ、この時間ですしね。一応、電話入れときます?」
「ああ。頼む」
『さっきの試験は、どんな意味があったんですか?』とか『あむろとおるって、どういう字を書くんですか?』とか。そういうことは、今は聞かない。
そういうことは、そのうち、きっと、あむろとおるという男が飛田男六に語ってくれるだろう。
「店、今からでも入れるみたいです」
さて、飛田男六と、あむろとおるが、はじめましてをした夜。
俺と降谷さんは、公安御用達の、いつもの居酒屋で、ビールを飲みながら、警察官を志した理由について語り合った。
「初恋?! えっ? 志望動機……そこ?」
「ふふ……チャラいだろ? 僕?」
「いや……むしろ、一途でびっくりしました」
はじめて知った、降谷さんの一面に、なんだか嬉しくなる。
こういう、はじめましてを重ねながら、俺はこの人の右腕になっていく。