風降♀
年齢制限はないけれど、性的な表現があります。
風見に、あるセリフを言わせたかっただけ。
その日、私はとても急いでいた。
喫茶ポアロの、シフトまで、あと三十分。
愛車はメンテナンスに出していたし、雨がざあざあ降っている。天気がよければ、時間貸しの電動自転車を借りることができたのだが、突然の春の嵐だ。路線バスは、いつも以上の混雑で時刻表どおりに動かないだろう。電車で向かおうと、駅を目指して走り出せば、一台の車が、私の前で止まる。
窓が開き、運転手が私に声をかけた。
「お急ぎですか? よろしければ、乗せていきますよ」
私服だから一瞬誰だかわからなかったが、声で分かった。彼は風見の部下のひとりである。
どうやら、非番日に、偶然この辺りを通りかかったらしい。
「では、頼む」
後部座席に乗り込む。
「行き先は?」
ポアロの住所を伝えれば
「ああ、毛利探偵事務所の……」
彼は苦笑いした。
「そうか、君は、毛利先生に顔が割れているんだったな……」
「……近くのコンビニで降ろします」
「それで、頼む」
聞けば、ショッピングセンターに向かう道すがら、私を見つけたらしい。
「すまない」
「いえ。別に、なにか目当ての買い物があったわけではないので」
「そうか?」
「なかなか、こいつを動かす機会がないから……運転するために行き先を決めただけで、別に、距離を走れればどこでもよかったんです」
「そうか。君もなかなか忙しい日々を送っているんだな」
「ええ」
上司の上司を乗せての運転。風見の部下は、慎重に安全確認を行い、一時停止の交差点で、そろそろと頭を出した。
「……風見は、人遣いが荒いのか?」
「んー……どうでしょうね。公安で働くなら、誰の下であっても、大差ないような気がします。ただ、風見さんは、あの顔ですけど、人当たりがいいので」
「……ああ、顔のわりにな」
雑談をしているうちに、目的地に到着する。私は礼を言って車を降りた。これで、バイトに遅刻しなくて済む。
三日後。
今度は、ポアロからの帰り道。目の前に車が止まった。
見慣れたナンバー。垣間見えたシルエット。私は、無言のまま、助手席の乗りこみ、シートベルトを締めた。
「送ってってくれるのか?」
「さあ?」
「……風見?」
車がゆっくりと走り出す。
大通りに向かう道。現段階では、風見が、どこに向かおうとしているのか掴めない。
「降谷さん」
「ん……?」
バッグから、タンブラーを取り出す。
「三日前のこと覚えています?」
「ああ、雨がすごかった日だろ? それより、コーヒー、飲むか? カフェインはいってないやつ」
マスターが、取引先のコーヒー問屋からもらったという試供品でいれたデカフェコーヒー。
「いえ、結構です」
「そうか」
私は、水筒をしまい、風見の表情を盗み見た。
いつもと、大差ない顔。だが、私にはわかる。風見はなにかに腹を立てている。
これは、右腕としての彼ではない、年上の恋人としての風見の表情だ。
怒られているというのに、それが、少しうれしい。そんなことを言ったら、風見は更に、へそを曲げるに違いない。だけど、私は、この仏頂面が大好きだ。
「で、三日前ですけど。降谷さん、何をしてました?」
「あの日は、ポアロでバイトしてたよ。行きは、雨だったけれど、帰りは、晴れていて」
「……そうですね。晴れていたんだから、帰りは、電車で帰ればよかったんじゃないですか?」
国道との交差点。ウィンカーは左。私の家に向かうルート。
「しかし、君の部下は、非番日だというのに、わざわざ、迎えに来てくれたんだぞ? 電車に乗って帰るなんて、言えるわけがない」
「……降谷さん、あなたね」
「なんだ?」
「その……ですね。……乗ったら乗られる。その言葉は、ご存知でしょう?」
「ああ。乗ったら乗られるな。知ってるよ。これでも一応、警察官だからな」
赤信号につかまる。風見は盛大にため息をついた。
「警察官だからじゃなく。女性として……ちゃんと、意識してくださいよ」
「いやー……しかしなあ。君の部下は、そんなに信用がおけないのか?」
「……そういう問題じゃないです」
「それとも、あれか、私が君の部下と、そういうことを期待していたと疑っているのか……?」
「……そんなわけないでしょ」
「だよな。なら、問題ない」
私は、ポケットからスマホを取り出し、メールのチェックと返信を始めた。
「問題、大ありですよ」
風見が、ため息まじりに言い放つ。
「ふーん、そうか」
メールの内容を確認しながら、緊急のものから順番に返信していく。
信号が青になり、また、車が走り出す。
しばらくして、ふと、外を確認する。飲み屋のネオンサインと道路標識に目をやる。
「……おい。交差点、二つ通り過ぎてる。私の家に行くなら……」
「……周囲への注意を怠った、あなたが悪い。警察官として、ではなく……男として、俺があなたに、乗ったら乗られるの意味を、教えてあげますよ」
「……そうか」
その言葉は、恋人同士では、成立しないのではないか? と、思う。だが、言葉にしない。
そんなことよりも、メールの返信を考えるので、忙しい。
やがて、たどり着いたのは、都内近郊の大型スーパー。その第三駐車場だった。ほとんど使われていないのだろう。ひび割れたコンクリートから草が生えている。
「監視カメラは?」
「ないですよ」
「そうか……秘密の取引をするには、うってつけの場所だな」
今度、なにかの時に、使わせてもらおうと考える。
「そう……ですね。……それに」
スマホのランプが灯る。先ほど送った返信に、もう、返事が来たらしい。ロックを解除し、メールアプリを立ち上げる。
「助手席の女の上に乗るのにも、うってつけの場所なんですよ」
「え?」
いつの間にか、車のエンジンは止まっていた。
シートベルトを外した風見が、私の座席を後ろに倒した。
かちゃん、とシートベルトを外され、風見がのしかかってくる。助手席のシートに体を押しつけられる。
風見が上着を脱ぎ、ネクタイをはずした。ポカンとしているうちに、スマホを奪われ、ネクタイで両の手首を縛られてしまう。
「……ほら、ね。乗ったら乗られるんですよ」
風見の大きな手のひらが、むぎゅっと、私の胸を掴んだ。風見は今、どんな顔をしているのか? 暗くてよくわからない、しかし、声はかすれている。
掴まれた胸が痛い。
「そりゃあ、乗られるだろ? ……君には、乗られてもかまわないと思っているんだから」
「……そう、ですか」
風見が、ゆっくりと腰をひき、運転席に帰っていく。
分厚いジーンズの生地越しに、風見の両脚の間にある硬さを感じる。
私は、手首に巻き付いたネクタイをほどき、助手席のシートを起こしながら居住まいを正した。
風見が、私にスマホを渡す。それから、ハンドルにもたれかかり、大きなため息をついた。
周囲に人がいないとはいえ。公共の場で、それも公用車の車内で、こんなことをした。
風見は、ずいぶんと落ち込んでいるようだ。
まるまった、背中を、そっとなでてやる。
「ごめんなさい……」
風見がこちらに目をやった。
「いや。いいよ」
「しかし……」
「いいか? 風見。私は、君以外の男に、あんなことをされたら、ちゃんと抵抗するし。そもそも、仕事のメール返信に夢中になったりしない」
「……ですよね」
「だが、まあ、君の心情も、わからんでもない。たとえば、君が、助手席に私以外の女性を乗せて……と、考えたら、私だって、それなりに腹は立つ」
「そう……です、か」
風見が、シートベルトに手を伸ばした。
「……じゃあ、帰りましょう」
「……なんだ、結局、乗っていかないのか?」
「いや……乗ります、けど」
「うん」
「……うちでも、いいですか」
カチャンと、シートベルトの金具が降りる音。
「なるほど、今度は、部屋に入ったら挿れられる……って、やつだな」
「いや……あなたね」
「なんだ? 挿れないのか?」
「……いれ……ます、けど」
シャキッとしない返事に、思わず笑いがこぼれる。
エンジンがかかる音。ヘッドライトが、目の前を明るく照らした。
カチャン。私は、自分のシートベルトを締め、スマホを握りしめる。
風見の部屋に着く前に、なにがなんでも、仕事に区切りをつけてやる。
明日は、久々に、やきもちやきの恋人と、私の非番日が重なるのだ。
今夜は存分に。
乗られたいし、挿れられたいし、乗ってみたい。
風見の運転に身をゆだねながら、私は、指一本で、仕事を片づけていく。
【あとがきなど】
風見裕也に「乗ったら乗られる」という言葉を言わせたくて、風降♀を書きました。
いつも書いてる、泣き虫・降谷零♀とは、別軸のふたりです。