初出:Pixiv(2020.12.28)
額へのキスが「したい」のサイン
風見の額にキスをする。
それが、僕の「したい」の合図。
つき合たての頃、額にキスをした僕を風見裕也がソファに押し倒した。それから始まった、なんとなくの習慣。
男同士の性行為。
性経験が乏しかった僕は、上か下かに大したこだわりがなくて。結果、性経験がそこそこ豊富な風見に身をゆだねることにした。
下になることに不満はなかったが、最後までできるかどうかは、体調に左右されることが多い。したがって、僕から誘いをかけ、風見がそれに応じるというのが、なんとなくの約束になっていた。
別に、明確に、ルールを決めたわけじゃない。だから、風見が、僕のおでこにキスをして、「だめですか?」なんて、聞いてくる。そんな夜もある。
その日、僕は、風見の部屋で夕飯を済ませた後、彼の額にキスをするつもりだった。
だから、ハロに留守番を頼んだし。前日にアンダーヘアのトリミングも済ませた。後ろの準備もしてある。風見は、僕のアナルをほぐすのが好きだから。洗浄と保湿だけにとどめて、緩めるまではしない。おそらく、今現在、僕のお尻は、風見にとってベストな状態にある。
家で作ってきた料理を、温める。風見の部屋の台所は、ガスコンロが一穴しかなくて、理器具も最低限のものしか揃えていない。
エプロンをして、鶏のホワイトソース煮を火にかけていたら、玄関から音がした。
いつもだったら、ここで「ただいま」という声が聞こえてくるのだけれど。今日はそれが無く、足音だけが近づいてきた。コンロの火を止めて、おかえりを言おうとふり向けば。風見が僕に抱き着き、それから、額に三度キスをした。
「だめ?」と聞かれる。「だめじゃないけど」と曖昧な言葉を返す。
風見のコートから、タバコのにおいがした。
喫煙者の同僚に移されたか、めずらしく風見自身がタバコを吸ったかのどちらかだろう。いずれにせよ、いつもの風見じゃない感じが、すごくする。
だからこそ、額へのキスに応じてあげたかったし。でも、一方で、不安でもあった。
しゅるり、と。風見がエプロンのリボン結びをといた。額へのキスが四回、五回、六回と積み重なる。やがて、僕は数えるのをやめた。
風見の後頭部に、腕を回す。それから、背伸びをして額に一つキスをしてやる。
このキスを欲しがったくせに、風見はかがもうとすらしなかった。僕の鼻に風見の眼鏡が引っかかって邪魔で邪魔で仕方がなかった。
風見はコートを脱いで、ダイニングの椅子にひっかけた。僕がエプロンを外す傍らで、ジャケットを脱いで、ネクタイを外していく。ちょっと嫌な予感がしつつ。ベッドルームに向かおうとすれば、後ろから、抱きしめられ、うなじに唇を押し当てられた。
コートを脱ぐまで、タバコの匂いで気がつかなかったけれど。シャツだけになった風見からは、ツンとした匂いがして、ここ数日の彼の苦労がしのばれた。
でも、だからこそ、ベッドでするべきだと僕は思って、風見の腕を振りほどいた。風見に向き合う。なにか一言、嫌みを言ってやろうと思う。だけど、よれよれになったシャツの襟であるとか、つやを失った肌を見た瞬間、毒気を抜かれた。
そしてまた、風見に抱きしめられる。抱きしめられて、唇をふさがれる。そしたら、口の中のどこかから微かに鉄の味がして。「好きにしろ」って、そういう気持ちになった。
ダイニングテーブルの上に、押し倒される。
本来食事を乗せるべき場所に、成人男性が乗っかる。さらにそこに、身長百八十センチ越えの男が乗ろうとしている。そりゃあ机だって、悲鳴を上げるだろう。ぎしぎしと嫌な音がする。
僕は、クリーム煮の鍋に蓋をしていないことを思い出して、ほんの少し憂鬱になった。
風見が選んでくれた、生地が程よく伸び縮みするズボン。それを下着と一緒に取っ払われる。風見が腕まくりをし、僕のアナルに指を添える。
「ああ、そっか……」
落胆の声。風見はたぶん、僕のアナルが、完全にひらいていないことを残念がった。
君が好きだっていうから、こうしているんだよ馬鹿。そう言いたかったけれど。今日は言わない。僕は、痛みをやり過ごすのが、それなりにうまい。だから、上体を起こして、風見の額にキスをしてやった。
「気のすむようにしていいぞ」
僕がそう言えば、風見は、僕の身体ぎゅっと抱きしめて、それから、調味料の入った棚をあさり始めた。どうするつもりだろうか。テーブルからはみ出た脚をプラプラさせながら風見の帰還を待つ。足音がして、そちらに目をやれば、風見の右手はに、オリーブオイルの瓶。
いや、もう、そこまでするならベッドに行って普通に潤滑剤を使えばいいだろ、と、そんなことを思う。
しかし。今日の僕は、セックスをするつもりで、この部屋に来ている。
正直なところ、それなりに溜まっていた。好奇心は旺盛な方である。キッチンでするセックスに、興味が無いわけじゃない。
ダイニングテーブルから降りて、風見のコートを床に敷く。
『降谷さんが料理をたくさん作ってくださるから』そう言って、風見が半年前に買い替えた四人掛けの食卓を僕は気に入っている。セックスなんかで、これを壊したくない。
風見の額にキスをして、コートの上に四つん這いになる。すると背後から、
「そのコート、高かったんですけど」
なんて、弱気な発言が聴こえてくる。
「仕掛けてきたのはそっちだろ。僕は、ちゃんとベッドに行こうとした」
「そうですが……」
「洗濯なら、僕に任せろ」
「確かに、降谷さんなら、完璧に染み抜きとかしてくださるでしょうけど……」
「速く!」
僕に急かされて、ようやくのこと、風見はしゃがみこんだ。そして、オリーブオイルを僕の中にすりこんでいく。
時折、じゅっと、袋の後ろらへんを吸われる。それがとても気持ちがよくて、僕は、体をふるわせた。
指が3本入ったところで。体をひっくり返され、仰向けになる。
僕がきれいに洗濯すると言ったのに。少しでもコートを汚したくないらしい風見は、僕の腰の下にキッチンペーパーを何重にも敷いた。
ふたたび、三本の指が入ってくる。
ちらっと、風見の股間のあたりに目をやれば、外から竿の形が透けて見えるほどに、パンパンに膨れ上がっていた。
いつもよりは、多少、雑だけれど。それでも僕の粘膜を傷つけないように。風見はそういう配慮をしながら、指の出し入れをした。
「風見」
両手を広げて、僕が呼べば、風見は口をちょこっととがらせながら、顔を近づけてくる。キス顔をしている風見裕也の頭をぐっと抑え込んで、額に三回キスをしてやった。
「降谷さん……?」
「いいよ」
「いえ、でも……しかし……まだ」
前髪をかき上げて、おでこをつき出す。
「あー……もう…今日、いつもみたいに手加減できないですよ?」
僕のおでこに、キスが三回降ってくる。
それから、カチャカチャって、風見がベルトのバックルを外す音。ファスナーを下ろす音、下着とスラックスの衣擦れの音がした。
熱くて硬くて立派なものがちょっとずつ僕の中に入ってくる。
ズブリ、と。体を貫かれる衝撃。快楽に異物感が勝るようなセックスは、何ヵ月ぶりだろう。
だけど、僕は、風見の額にキスをする。もう、動いていいんだよって知らせるために。風見は、僕の額にキスを返す余裕がないらしくて、すぐさま、腰を激しく前後させた。
タバコと汗の匂いと、横暴な風見の腰振り。
一緒に生きていくということは、時に、痛みを分かち合うということだ。制約の多い僕たちは、言葉にできない出来事や想いを山ほど抱えながら生きていく。
だから、こういう夜があってもいい。いや、こういう夜はあった方がいいのだ。
言葉にできなかった風見の想いが、僕の体の中で爆ぜたのは、それから、間もなくのことだった。