妥協を知らない僕たちは

初出:ぷらいべったー(2020.10.9)

※とある化粧品ブランドの商標を使った言葉遊びをしています。
※そういうのが、許せないタイプの方は、閲覧をお控えください。
※ねつ造しかない

〇風降
〇性交渉をにおわす表現がありますが、直接的表現は皆無です。
〇そしかい後


 

「なあ、僕も、君にぬってあげたいな」

バブルの終わりに建てられた、鉄筋コンクリート造りのマンション。室内はきれいにリノベーションしてある。対面式のシステムキッチンに、広々としたリビング。バブル物件らしく、浴室と浴槽は馬鹿みたいに大きくて、昨年、配管の大規模なメンテナンスがあったという営業マンの言葉の通り、排水は実にスムーズだ。
広々としたバルコニーは、日当たりがよく、寝室には大きなベッドが置いてある。

一年前、人生最大の仕事が終わった。
その事後処理が、あらかた片づいたのが半年前。情勢の変化に伴い、職場で大きな組織改編があった。庁舎勤めをすることになった僕は、安室透として借りていた部屋を整理するよう命じられる。
組織改編の余波は、風見裕也の人事にも及んだ。ゼロから離れ潜入捜査官の任を解かれた僕に、右腕は必要ない。また、裏の理事官は明言を避けていたが、どうやら僕と風見の私的な関係も、この人事には影響しているらしい。
住み慣れた『MAISON MOKUBA』を引き払い、官舎に住まいを移した僕だったが、まあ、いろいろと問題があった。小さな台所、小さなバルコニー、逢瀬をするには不便な環境(風見との交際を隠すつもりは無いが、同僚に自分の性生活の片鱗を見られるのには抵抗がある)。
そして、僕は、愛犬とパートナーと住むための部屋探しを始めた。潜入捜査をしていた頃であれば、風見に部屋探しを頼んだと思う。けれど、そういうわけにいかない事情があって、部屋探しは僕が行った。
仕事の合間を縫い、フレックス制なんかもめちゃくちゃに活用して、めぼしい物件を片っ端から見学した。

『なあ、僕と一緒に住まないか』

言い出したのは僕。

『それ、俺も言おうと思っていたところです』

微笑んだのは風見。

 

一緒に住まないかと言い出してから、この部屋を見つけるまでに、僕は約半年の時間を要した。”住めば都”という言葉の意味も分かる。だけど、やっぱり、完璧な部屋を見つけたかった。

部屋を探し始めて、三か月が経った頃。ホテルで風呂に入りながら、物件めぐりの話をした。

『めぼしいところは、見つかりました?』
『いや、まだ……。やっぱり個室は欲しいだろ? それに、家庭菜園をしたいから、日当たりもよくないと。風呂だって一緒に入りたいし……』

浴槽で、あぐらをかく風見の膝の上に座り、背中をあずけながら目をつむる。

『見学したの、何件目でしたっけ?』
『おとといので四十八』

大きな手が僕の頭をなでた。

『……随分と、がんばりますね』
『あ、部屋がなかなか決まらないのは、君と住むことに迷いがあるとか、そういうことじゃないからな……? ただ、君とハロと生活するんだ。最高の住まいを準備したくて』
『……俺は、降谷さんの欲張りなとこ、大好きですよ』

色をはらんだ、風見の声色。
僕は、首をひねって、風見の唇を求めた。

 

それから、さらに、三か月が経って、百十回目の内見。

この部屋に出会えたのは、運命だと思った。

半年をかけた部屋探し。引っ越しを終えて二週間。僕たちは、新婚みたいな日々を過ごした。
けれど、こんな日々を過ごせるのは、残り数日。庁舎勤めの僕と、作業員として危険な現場に出向かなければならない君。

僕たちは、新婚さんみたいに、裸のまんま、ベッドで抱き合いながら、日曜日の午後を過ごす。

「なあ、僕も、君にぬってあげたいな」

風見が、僕の髪を耳にかける。

「ぬる? ローション?」
「……違う。君が、僕にぬってくれてたろ。組織の仕事に出向く時、薄いピンク色のグロスを」
「ああ、あれですか……」
「まだあるか?」
「……捨てました。もう、おまじないは必要ないし。開封して、随分経っていたから」

風見が、僕の唇を触る。
カサカサにめくれた、下唇。風見の指が、剥離した僕の皮ふを、ぴろぴろさせる。

「なあ? あのグロス、どこで売っているんだ? 明日の帰り買ってくる」
「……ああ、俺が買ってきますよ」
「いいのか?」
「ええ。たまには、おつかいを頼んでくださいよ」

一年前だったら、グロスを自分で買ってこようなんて、思わなかっただろう。
あの頃は、洋服を買うことすら、風見に頼んでいたのだから。

「ああ、じゃあ、ついでに牛乳買ってきて」

わざと、所帯じみたことを言ってみる。

「了解いたしました」

風見が僕の耳にキスをした。

 

 

僕が、組織の仕事に出向く時。風見は、僕の唇にグロスをぬった。

見送りの場所は、安室透の部屋であったり、カイシャの仮眠室であったり、僕の愛車の中であったり、シティホテルの一室であったり。その時々だったけれど、グロスをぬる……その作業は、いつも変わらなかった。
初めて、グロスをぬってもらったとき、僕と風見の関係は、ただの上司と部下だった。
正直、面食らった。しかし「口はあなたの商売道具ですから、メンテナンスが必要です」その言葉に妙に納得した。そして、なぜか、自分でぬるということは思いつかずに、風見が僕の唇に薄ピンクの粘液を乗せていくことを受け入れた。

『ピリピリして、スーッとしますけど、唇がつやつやぷっくりになるんで、がまんしてくださいね』

チップを動かす風見の目は、いつも真剣で。その顔に見とれていたから、僕はいつもリップグロスの商品名を見落とした。
ほんのり香る、チョコレートの香り。

『これ……なんで、ピリピリするんだ?』
『唐辛子の成分が入っているからですよ』
『ふーん。じゃあ、唇がぷるぷるになるのは、激辛カレーを食べた後、君の唇が真っ赤に腫れたのと同じ原理か』
『あー……その節は……すみませんでした』

 

最後にグロスをぬってもらったのは、安室透の部屋のベッドの上だった。大仕事を前にハロは信頼できる人のところに避難。二人きりの部屋で、僕たちは若い恋人同士のように求め合った。

身支度を整えながら風見にたずねる。

『今日も、おまじない、してくれるんだろ?』
『ええ』
『なあ、ずっと聞こうと思っていたのだけれど、どうして、そのグロスなんだ?』

風見が、眼鏡をかけ、リップグロスを取り出した。

『……そうですね。いろいろと調べてみたけれど、これが一番、あなたらしいと思ったからですよ』
『僕らしい?』
『そう』

少し考える。

『甘いにおいを漂わせながら、実はピリッとしている……とか?』

僕の推理を聞いた風見は、声をこらえながら笑った。

『……なんだよ?!』
『そう言われてみれば、そうだなって思うんですけど……それを自分で言っちゃうところがおもしろくて……』
『自分で言ったら悪いのか?』
『いや……かわいいと思いますよ。そういうの』
『おい……なんか、僕が恥ずかしいやつみたいじゃないか』

抗議する僕の顎に、風見が、左手を添えた。

『降谷さん、時間がないので』

キスをされるかと思って目をつむったのに、風見の左手は、あっさり僕から離れた。唇にひやりとした感触。目を開ける。とんとんとんと、風見が、僕の唇にグロスを乗せていく。その眼つきとか、汗ばんだ首筋だとか、そういうものから目が離せなくて、やっぱり僕は、商品名を見落とした。

『風見……?』
『降谷さん……貪欲で、あってください。持って帰ってこれるものは、全部、持ち帰ってください。俺は、あなたが、最大限の成果を上げることをお祈りしています』
『うん……なあ、風見』
『なんでしょう?』
『僕の唇、ぷるぷるになってるか?』

風見が、笑顔を浮かべ、僕の唇にキスを落とした。
先ほどまで、あんなにも絡み合っていたのに。そのキスは、一秒にも満たずに終わる。

『降谷さん……ぷるっぷるですよ』

 

エコバックからは、紙パックの牛乳と、ブランドの紙袋。
そのちぐはぐさに、僕は笑った。

「おつかい、ありがとうな」
「どういたしまして」
「そのグロス、百貨店で買ってたんだな」
「ええ……。早速、開けてみます? ぬって差し上げますよ?」

牛乳を冷蔵庫に入れる。

「いや……これは、君のためのものだから」
「しかし、降谷さんの唇……最近、荒れ気味なので」
「だが……」

風見が、上着を脱ぎ、シャツを寛げながら言う。

「……白状しますけど。俺は、あのグロス……自分の唇にも使ってました」
「は……?」
「それこそ、おつきあいする前から……。あ……! 俺のこと、嫌いになりました?」
「いや……嫌いにはならないけど…ひいている」
「あはは……すみません」
「うん、ひいてはいるんだけどな……」

ちょっと、嬉しくなってしまう自分が恥ずかしい。
どういうわけか、風見の「欲に対して素直である」ところを愛おしいと思ってしまうのだ。

 

こだわりのベッドの上。
風見を見送る一時間前になって、僕はようやく、紙袋を開けた。箱からフランス製のそれを取り出しながら、商品名を確認した。

「風見……」
「なんでしょう」

気取らないように見えて、案外、気障。
時折、決め台詞っぽい発言をして、部下たちを困惑させる。風見裕也とは、そういう男だった。
グロスの蓋を緩める。

「唇、こっちによこせ」

風見が、ぐっと、顔を近づけてくる。距離はたったの十五センチ。さすがに近すぎるだろうと思ったが、押しのけるのも、違う気がして、やりにくさを感じながらも、チップにとった薄ピンクを風見の唇に乗せていった。
切れ長の鋭い目が、僕のことを見つめる。僕もこんな風に、風見のことを見ていたんだろうか。そんなことを考えながら、グロスの蓋を締める。

「風見」
「なんでしょう?」
「僕からの訓戒だ」
「……はい」
「いいか、強欲であれ。妥協をするな。君の丈夫な体も、健やかな精神も、この国の利益になるような情報も、一つも落とすことなく持ち帰ってこい。……以上」

風見が僕を抱きしめた。

「了解いたしました」

グロスをぎゅっと握りしめる。小瓶には”MAXIMIZER”シルバーの文字。

「なあ、あと、一時間ある」

僕がそう言えば、風見が僕を押し倒す。

――なあ、風見。生き続ける限り、僕たちは、強欲であろう

 

【あとがきなど】

降谷さんにリップグロスをぬってあげる風見裕也って、なんかいいな……
そう思って、この話を書きました。

商標を出すのは、少し気が引けたのですが。
そのグロスが、Di〇rのM〇XIMIZERだったら、最高じゃん?!!!
(チョコレートの香りってのもいいし、何よりも名前がいい……)
という気持ちをおさえきれず、この話をしたためました。

それから、最近、そしかい後の、立場が逆転した風降(降谷さんが風見さんを見送って、風見さんの帰りを待つ)妄想にはまっているので、そういう感じの話にしました。
立場逆転、なんか、エモいよね……

 

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