君の部屋を訪ねて、三十分

2020/9/27

風見さんの上司になったばかりの降谷さんが、風見さんの部屋を訪ね、ベッドに引きずり込まれるだけの話。

※エロくはない
※「相不理解の先に」の前日譚ですが、単体で読めます。


 

風見裕也という男が僕の部下になった。
彼が部下になって三か月が経過したころ。僕は「情報共有」のために、彼の家を訪問した。

突然のアポなし訪問。しかし、風見は僕を笑顔で出迎えた。

「狭いですが」

風見は、そう言うと玄関入ってすぐの小さなキッチンを通り抜け、居室のドアを引いた。
部屋に入って、僕は、ギョッとした。たいして広くない床張りの部屋に、大きなベッドが一つ。そして、壁際には本棚と趣味の飾り棚。
僕は、本棚の背表紙を確認した。人気のコミックスや、話題になった文芸小説が並んでいる。

「君……漫画、好きなのか?」
「ああ。普通に好きですね。降谷さん、俺、お茶準備してきますんで、そこのソファで休んでてください」
「うん」

入り口のドアから一番離れた場所。バルコニーに続く掃き出し窓の前。風見が指し示した先には、二人掛けの小ぶりのソファがあった。
窓に対して直角に置かれたソファ。その前には、ローテーブル。そして、その向こうには大きなテレビがある。僕は、ソファに腰を下ろしながら、テーブルの上を確認した。
筋トレ特集の雑誌と、見るからにいかがわしいDVDが三本。DVDのジャケットから察するに、彼の恋愛対象は女性で間違えないらしい。
ガチャリとドアが開き、風見が、こちらに向かってくる。

「お茶、どうぞ」
「ああ、ありがとう」

桜柄の茶碗に注がれた、温かな緑茶。
風見は、俺にお茶を差し出すと、申し訳なさそうに眉をハの字にした。

「降谷さん。すみません。この部屋、本当に狭くて。ソファ……お隣いいですか?」

確かに、この部屋で座れそうな場所は、ベッドかこのソファしかない。床に座れないこともないのだろうが、それを言うのは、なんとなくはばかられる。
座面を横にずらしながら

「いいぞ」

と受け答えれば、風見は

「やったー!」

と、遠慮なくソファに座る。この遠慮のなさが、かわいいというかなんというか。騙し騙されの世界で生きている僕には、とても好ましく思えた。
風見裕也の太ももと、僕の太ももが触れ合う。男だから、別に何ということはないが、なんとなく落ち着かない感じがする。
書類を広げて、情報確認をしようかというところで、風見が大きな声をあげた

「あ! すみません、出しっぱなしでした」

風見は、そう言うと、AVをかき集めて、ソファ脇の雑誌ラックにしまった。
テーブルに広げた資料を指さしながら、風見に、指示を伝える。肩と肩がぶつかった。それで、いたしかたなく、という具合に

「ちょっと、失礼しますね」

風見が、右腕を、僕の背後にまわし、背もたれの上に置いた。この辺りで、僕は、ほんの少しの違和感をおぼえた。風見が、少しずつ、僕との物理的距離をつめようとしている気がする。
しかし、僕たちは、男同士であるし、風見裕也の恋愛対象は女性だ。
それに、この部屋で座る場所と言えば、ベッドかこのソファしかないのだ。こうなってしまうのは、いたしかたのないことなんだろう。
十分ほどで、あらかたの情報伝達が終わる。風見は、左手で、眼鏡を引き上げながら言った。

「降谷さん、本棚の本……確認していきます? カバーと中身がちゃんと同じかどうか」
「……え?」
「いや、降谷さんが、ここに来たのって、書類を渡すだけが目的ではないのでしょう?」

どうやら、風見は、僕の目論見に気づいているらしかった。

「ああ、もちろん。新しい部下のことを知り、親睦を深めるために、部屋をたずねるのは有効な手段だからな」
「降谷さん……少なくとも、あの本棚には、漫画と女の子が好みそうな小説しか置いてないですよ。思想に関するような本は置かれていない」
「……」
「そもそも、ですね。降谷さんもお気づきだと思いますが、この部屋の家具の配置は、お持ちかえりした子を、ベッドに持ち込むために研究に研究を重ねてこうなってるんですよ」

そんなこと、お気づきであるはずがない。
何故、笑顔で、こんな話をするのだろう。酒臭は全く感じられないが、実は、酒を飲んでいるんだろうか。この部下は。

「……そういう話を、上司になったばかりの男にするのは、どうなんだろうな?」
「降谷さんは、部下のことを知り、親睦を深めるためにここにいらっしゃったのでしょう? 心理的距離を縮めるためには、自己開示をすることが必要です」

風見裕也の、理にかなっているような、理にかなっていないような。そんな言葉に、こめかみをおさえる。
風見を僕の部下に推薦してきた男の言葉を思い出した。

―― 一見、裏が無いように見えるが、よくよくつき合ってみると、何を考えているのかわかりにくいところがあり、意外にも食えない一面がある。

なるほど、その通り。風見は、僕の目的を、抜き打ちの思想調査だと看破した上で、インテリアの配置の意味を語っている。

「ですから、俺が、どういう部屋に住んでいて、どういう男であるか……それを知っていただくことも、必要かなと思いまして」

背もたれに添えられていたはずの、風見の右腕が、僕の肩を抱き寄せた。

「こうやって、ソファに座らせて、ボディタッチを少しずつ増やしていくんです」

確かに、この部屋の家具の配置は理にかなっているかもしれない。しかし、だ。女性とのふしだらな関係を、みじんも悪いことと思っていない、彼の貞操観念は、いずれ大きな問題になるかもしれない。
僕は毅然とした声で言った。

「……清廉潔癖であれとは言わないが。不特定多数の相手と不純異性交遊を重ねる不良警察官に、僕の部下が務まるとは思えない」

これで、少しは、焦るかと思ったが、風見はにっこりと微笑んで言った。

「ええ、ですからね。公安警察としての自覚を深めた、ここ一年ほどは、そういったことは皆無でして。先ほども出しっぱなしにしていましたが、ここ最近はAVと右手ばかりで処理してたんですよ」

果たして、それは、嘘か真か。

「官舎を出た時に、大きなベッドとこのソファを買って、この部屋を作り上げたのに……当初の目的通りに活用できたのは、最初の数年だけでした」

風見の右手が、僕の右耳に触れた。
この男……もしかしたら、僕をからかっているのかもしれない。僕は、童顔であるし、風見よりも年が一つ若い。

「君……上司をからかうのか?」
「これを、からかいだと思います?」
「どう考えても、そう見えるが……」

と、言ったところで、風見の顔がぐっと近づいてきた。突然のことに、体が、固まる。
風見の左手が、僕の前髪をかきあげた。僕の額に、風見のおでこが、こつんとぶつかる。

「潜入捜査官をやっているあなたなら……こういう、かけひきや、人間関係の機微を読むことくらい余裕でしょう」

……そんなこともない。
風見は、まだわかっていない。確かに、探り屋をしている僕は、そういうモードで動いているかもしれない。けれど、それは、僕の本質ではない。そういうスイッチを切っている時の僕は、結構雑なのだ。
風見のペースに引きずり込まれていくことへの焦り。風見の思考回路は、とても読みにくい。
負けず嫌いな僕は、つい、余計なことをしてしまった。

風見の頬に手を添わせ、キスをする。

さすがの風見も、これには、びっくりしたに違いない。しかし、軽く触れるだけのつもりでしたキスは、思いがけず、深いものとなった。
風見の両手が、僕の頭を固定して、僕の唇をむさぼった。口の周りが、唾液でぐちゃぐちゃになる。風見を、どうにかはねのけたかったのだが、小さなソファの上で、体重をかけられてしまっては、なかなか思うようにいかない。それで、しかたなく、風見の腹部に、こぶしを打ち込んだ。
風見はキスを止めて、左手で、自分の腹部をさすった。

「降谷さん……今の、けっこー重かったです」
「あ……! すまん、しかし、君が……」
「ひどいじゃないですか……キスを仕掛けてきたのは、あなたの方なのに」
「そうだけど……全般的に君が悪いだろう?」

僕がそう言うと、風見は、眼鏡の位置を直しながら、僕に抱き着いてきた。

「そうですけど……俺、降谷さんが家に来てくれて、嬉しかったから」
「……よく言うよ。僕が何のために、ここに来たかを、知っているくせに」

風見は、凝りていないのか、僕の背中を、さわさわとさすった。

「わかっていたって、嬉しいんですよ。どんな思惑があるにしても、降谷さんが俺の部屋にいるっていう事実が、俺にとっては、すごくすごく嬉しいことなんです。降谷さんが、このソファに座っているのを見た時、俺……なんだかテンションが上がってしまって」

その言葉に、なぜだか、甘い気持ちになった。
しかし、たとえ、嬉しかったのだとしても。

「君……恋愛対象は、女性のはずだろ……? そこにあった、DVDだって、そういう種類だったし……」
「……降谷さん、本当にそう思います? 例えば、俺とあのベッドに横になったとして、俺があなたに対して、変な気を全く起こさないと、断言できますか?」

――風見が、僕をベッドに誘導しようとしている。

そう思った。頭に血が上る。
さきほどのキスを思い出した。とっさのことで、びっくりしたが、あのキスに情欲が絡んでいることくらい、潜入捜査官モードでない僕にもわかる。
風見が、体を起こし、僕の手を握って立ち上がった。
僕もつられて、立ち上がる。風見が僕の腰を抱いた。そして、ベッドの方に歩き出す。逃げ出そうと思えば、逃げ出すこともできただろう。
けれども、耳元で

「俺のことを知ってほしいんです」

そう、ささやかれてしまっては、もう、だめだった。
何を考えているのかわからないが、遠慮がなくて、素直で、僕のことを好意的に思ってくれている……そういう男の吐息まじりの声だとか、そういうものに、僕は抗えない。探り屋の時の僕だったら、こんな失態は犯さなかっただろう。
けれど、僕は、今、普段通りの僕で、ここは、風見裕也が訪問者をベッドに引きずり込むために、研究に研究を重ねた、そういう部屋だ。不可抗力、という言葉を思い浮かべる。

風見が僕をベッドの端に座らせた。そして、僕の前に跪き、僕の指に自分の指を絡ませる。ふたり、じっと見つめ合う。
恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。僕はやけを起こして

「……抱けるものなら、抱いてみろ」

と言った。風見の満面の笑み。
風見が立ち上がりながら、僕の体をベッドに押し倒した。僕のトルソーに、風見の大きな体が、重なる。

新しい部下の部屋を訪ねて、ものの三十分。

こうして、僕は、ベッドに引きずり込まれた。
そして、柔軟剤のいい香りのするシーツの上を、ゆらゆらと泳ぎまわりながら、風見裕也がどういう男なのかを、嫌というほどに教え込まれる。

 

【あとがきなど】

相互不理解の先に」という話について。

「この部屋の家具の配置は、お持ちかえりした子を、ベッドに持ち込むために研究に研究を重ねてこうなってるんですよ」

という、セリフに対してのお問合せ(?)を、いただき。
自分でも、ここの解像度を上げる作業……萌えそうだな…?!!! という予感があったため、文章に起こしてみました。

私の中に
「降谷さんが、風見さんに恋をするのは既定路線なんだから、対風見さんの降谷さんは、基本的にちょろい」
という確信があるため。
私の書く降谷さんは、基本的にちょろいです。

 

 

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