とらいあんぐる

初出:2020/8/20(Pixiv)

風降+景光の三者関係

〇風見-諸伏:仲間+α(?)
〇ヒロ-ゼロ:大親友+α(?)
〇風見-降谷:上司部下+α(?)

【注意】

〇風見裕也と諸伏景光が、それなりに仲のいい仕事仲間だった世界線。

〇風降+景光(?)
〇風→景っぽい表現がある
〇ヒロとゼロは、恋愛関係になかったが、距離感がバグっている
〇ねつ造しかない
〇時系列とか、警察組織に関する記述はすごく適当
〇一瞬出てくる裏の理事官は、多分、黒田さんより前の人。


 

諸伏景光とは、ほとんど同期のようなものだった。

あいつの方が一つ年下だったが、警視庁公安部でのキャリアは、彼の方が二か月長い。
二か月とはいえ、あいつの方が先輩なのだから、こんなことを思うべきではないかもしれない。しかし、諸伏景光は、実に公安らしからぬ男だった。
髭を生やしていたけれど、さわやかな雰囲気に優しい笑顔。朗らかで、とっつきやすくて、休憩時間は、よく雑談をして笑っていた。

最初に距離をつめてきたのは、諸伏の方だった。

会議終了後の自動販売機前。コーヒーを買う俺に、諸伏が声をかけた。

「風見さん、仕事慣れた?」

俺が、公安に配属されて、一か月が経過したころ。自分だって、配属されてから三か月しか経っていなかったはずなのに、諸伏は俺のことをおもんぱかった。

「ぼちぼち、ですかね?」

少し、曖昧な返事をする。諸伏は、うんうんとうなずきながら、俺と同じコーヒーを購入した。

「そういう諸伏さんは?」
「まあ、俺の方もぼちぼちですかね。……あ、風見さん、一コ上なんだから呼び捨てでいいですよ。俺のこと」
「そうか?」
「ええ」

諸伏は小銭入れをしまうと、缶コーヒーに口をつけた。

「……あ、これ…結構うまいんですね?」
「あー。わりとすっきりしてるよな。缶コーヒー基準で考えると、なかなか上出来」
「うん。本当に上出来。風見さんが、こればっかり飲んでるの、わかる気がする」

諸伏は目を細めて、にっこりとほほ笑んだ。
俺が少女漫画の主人公だったら、今のやり取りと、その笑顔で、あっという間に恋に落ちたと思う。けれど、俺は、二十四歳の男で、今のところ男を好きになった経験がなかった。

「え……? お前、俺のこと、そんなに観察してたのか? ……なんで?」
「なんでって……? そういう所ですよ。……風見さんって、なんか、おもしろいんですよ」
「俺、おもしろいか?」
「うん。風見さん、表情、コロコロ変わるから……なんていうか、そういうのが公安らしくなくて、見てて飽きない」

いや、諸伏の方こそ、公安らしくないよ……そう言いかけてやめた。
二人で居酒屋ののれんをくぐったのは、その二週間後のことだった。

 

同世代ということもあってサシ飲みは盛り上がった。

それから、ことあるごとに、二人で酒を飲んだ。
先輩に教えてもらったOB経営の飲み屋。その奥の個室で、俺たちは、いろいろな話をした。ちょっとした愚痴、仕事にかける想い、子供の頃にはまっていたアニメや、お気に入りのアイドル歌手。そういう、いろいろなことについて、俺たちは語り合った。

そして、酔いが回ってくると、諸伏は、いつも同じ人物について話した。

「で、ゼロのやつがね」

ゼロさんとは、諸伏の幼馴染で大親友らしい。
俺が「ゼロって、変わった名前だな」と言ったら、諸伏は少し笑って、それがあだ名であることを教えてくれた。

諸伏は、いつも楽しそうに、ゼロさんのことを話した。
料理が、からっきしなこと。好きなものに対して、素直に好きだと言えないこと。一緒に釣りに行ったこと。真夜中に、けんかで傷をこしらえたゼロさんが、諸伏の部屋を訪ねてきたこと。

仲良がいいんだなあ……そんなことを思って、ほっこりすると同時に少しだけ胸が痛んだ。

今にして思えば、あれは嫉妬だったのかもしれない。
ゼロさんに対して、というよりは。そういう特別な関係を持てた、諸伏に対しての嫉妬。
けれど、ゼロさんを語る時の諸伏の笑顔は、心底、幸せそうで、その顔を見るのが好きだった。
諸伏景光という人はさ……

「……あ、風見さん、グラス空いてる。次は何、頼みます? 俺、軟骨の唐揚げを頼みたいんですけど、いいですか?」

人のことをよく見ていて、細やかで、気が利く。どうして、ゼロさんが、諸伏の隣を選んだのか、なんとなくわかる気がした。
諸伏の隣は、とても心地がいい。

「あー……俺、諸伏のそういうところ、本当に好きだわ」

しみじみした声で、そんな告白じみたことを言ってしまった。

「……はい?」
「いや、いいやつだよなって」

諸伏が目を泳がせながら言う。

「……風見さん、実は、だいぶ酔ってます?」

それが、かわいらしくて、少しだけ諸伏をからかいたくなった。

「……ああ、酔ってるかもな。お前のかもし出す甘やかな雰囲気みたいなものに」
「なんですか……それ」

諸伏が苦笑いを浮かべる。その表情の変化が、おもしろくて。思わず、本音がこぼれた。

「諸伏ってさ……。なんか、公安らしくないよな」

俺が笑うと、諸伏は、あきれたような顔をして

「いや、風見さんには言われたくないですよ」

と言った。

 

諸伏が、毎回毎回ゼロさんの話をするから、ある時から俺は自からすすんで「で、今日は? ゼロさんの話しないのか?」と、たずねるようになった。
諸伏は、毎度毎度ゼロさんの話をしてしまうことに対して、多少の申し訳なさを感じていたらしい。だから、俺の申し出に、とびきりの笑顔を見せた。

やがて、俺はゼロさんの「テニスをしていたこと」「諸伏の影響でギターを始めたこと」「ボクシングをしていること」……などなどのプロフィールを、暗唱できるまでになった。それくらいに、繰り返し、繰り返し、ゼロさんの話を聞いた。
諸伏は、これだけたくさんゼロさんのことを話したのに、ゼロさんの名前を口にすることはなかった。名前どころか、今どこで何をしているかについても黙秘を貫く。
そのちぐはぐさが、なんだか、おかしくて。冗談が口をついて出た。

「ゼロさん……何者なんだよ…名前も、仕事も内緒だなんて。まるで、公安みたいじゃないか」
「……え?」
「あはは……なんてな。まあ、俺も、ここに来て半年たったからわかるよ。同僚には、打ち明けられない交友関係ってあるもんな」

しみじみとした気分で、ハイボールをあおる。

「風見さん」
「ん?」
「俺、風見さんの、そういう察しがいいんだか、悪いんだかわからないところ、結構好きですよ」

諸伏が笑う。先日、俺が「好きだ」と言ったことに対する意趣返しだったのだろう。にこにこしながらも、諸伏の目はどこか鋭かった。
だから、俺も、にっこり、ほほえんで言う。

「あー…ありがとな。ちゅーしてやろっか?」
「……風見さん…それ、どこまで本気で言ってます?」
「さて、どこまででしょうか」

そして二人で笑い合った。

こんな風に。
諸伏と酒を飲むとき、俺は、ただの二十四歳の男でいられた。彼にはとても感謝している。あの時間があったから、俺は、俺らしさを失わずにいられたのかもしれない。

そして、俺が公安部に異動してから、八ヵ月が経過した頃。諸伏は、一身上の都合で警察官をやめた。

 

上は、俺と諸伏の関係を知っていたのだろう。

六本木の会員制のバー。そこで諸伏景光と酒を飲んだ。雑談をしながら、誰にも気づかれないよう記憶媒体をやりとりする。
友人同士の会合を装うった定期連絡。
カモフラージュの意味もあって、俺と諸伏は、目的を果たした後も、おしゃべりを続けた。お互いを偽名で呼び合う。慎重に、しかし、表情は朗らかに。あたり前だけれど、今日の諸伏は、ゼロさんのことを話さなかった。それがなんとなくさみしい。
あたりさわりのない質問をする。

「そういえば、新しい仕事は順調か?」

諸伏は満面の笑みを浮かべて語り出す。

「飛田さん、聞いてくれる? 仕事……というか。仕事仲間の話なんだけどさ」
「うん」
「なんか、そいつ、昔テニスをやってたらしいんだけど……すごく運動神経がよくて」
「……うん」
「仕事で、楽器を背負って移動することがあるんだけど。あいつ……ギター弾かせると、すごくうまいんだ」

俺は、笑ってしまった。
テニスをしていて、ギターを弾いていて……そういう男のこと、俺はよく知っている。

「……よかったな」
「なにが?」
「いや、なんか、お前が、いいパートナーと仕事できているんだなって。今ので伝わってきたから」
「……うん」
「また、次に会う時も、仕事仲間の話聞かせろよ」
「うん」

諸伏が笑う。
もしも、俺が、恋愛ドラマのヒロインだったら、この笑顔で恋に落ちたかもしれない、なんて、そんなことを思った。

それから、定期連絡の度、俺は諸伏の仕事仲間の話を聞いた。そして、九回目の定期連絡を最後に、諸伏からの通信は途絶えた。

 

諸伏がどうなったか。

その仔細は知らされなかった。しかし、上司の言葉の端々から、伝わってくるものがあった。
上は、俺の処遇について、考えあぐねていた。
諸伏と接触していた俺は、それなりに組織の情報を握っている。当然、その情報の中には、上にあげていないものも存在する。

俺は、イチかバチかの賭けに出た。

――もう一人の潜入捜査官の連絡係に、俺を任命しろ

そういう、取引を持ちかけた。

上は、ずいぶんと驚いていた。そして「弔い合戦をしたい気持ちはわかるが、感情は判断を狂わせる」と、俺を諫めた。
だから、俺は、さも、何もかもを知っているような顔をして「もう一人の潜入捜査官は、諸伏の幼馴染で、ずいぶんと優秀な人のようですね」などと、精一杯のはったりをかました。

この件で、裏の理事官がお出ましになったのには驚いた。けれど、とにかく、俺は賭けに勝ったのだ。

俺が、この取引を持ちかけた動機は、単純だった。
弔い、という気持ちがなかったわけではない。この案件に対する、特別な思い入れがなかったとも言わない。
けれど、俺は、ただただ「ゼロさん」という人に会ってみたかったのだ。

 

ことは、じっくりと時間をかけて進んでいった。俺が警察庁への出向を命じられたのは、それから、一年以上が経過した後のことだった。

二十七歳になった俺は、自分で言うのもおかしいけれど、それなりの公安らしさを身につけていた。
初めて降谷零という男に会った時も、俺は、実に淡々とした声で自己紹介をした。

「よろしくな」

降谷さんが、右手を差し出す。そして握手を交わした。
その、手のひらは、ちゃんと温かくて。ゼロさんが存在するという事実に、うれしさがこみあげてきた(が、表情には出さなかった)。

結局。上は、俺と諸伏の関係を降谷さんに伝えなかった。
だから、俺も、その話をしなかった。

 

警察庁での勤務は、思っていたよりも時間に余裕があった。

日々、ゼロの右腕としての在り方を深めていく。
どうしたら、降谷さんが気持ちよく仕事できるのか。一日のほとんどの時間、そのことを考えた。諸伏の話を思い出しながら、降谷さんへの理解を深めようと試みる。

しかし、諸伏景光を前にした「ゼロさん」と、風見裕也を前にした「降谷さん」は同じ人物だけれど違う人間だった。だから、諸伏の「ゼロさん話」は、「降谷さん」を理解する上では、あてにならないことの方が多かった。
けれど、一つだけ。諸伏から教えてもらって、ずいぶん役に立った情報がある。

『ゼロは、食事をしている時は、結構、すなおなんだ』

その言葉を思い出してからは、ことあるごとに、コンビニのおにぎりを買って、降谷さんに差し入れた。

やがて、警察庁への出向が終わった。
警視庁公安部の仕事をこなしながら、降谷さんをサポートする日々が始まる。仕事量は増え、残業が続いたが、なんだか楽しくて仕方なかった。
降谷さんの部下になって、一年が経過した。
梅雨時。雨に降られながら、いつもの場所で降谷さんに情報を渡した。午後十時半。人気のない河川敷。俺が、コンビニのおにぎりを差し出せば、降谷さんはそれを受け取る。

「君は、今日は家に帰るのか?」
「ええ。明日は午後から登庁すればいいので、少しゆっくりできます」
「そうか。じゃあ、帰ったらよく寝ろよ」
「……そうなんですけど」
「ん?」
「ウィンブルドン。あれな……テレビでやってると見ちゃうんですよね」

降谷さんは、あきれたような顔をして言った。

「君な……もう二十八なんだし、睡眠はちゃんととった方がいいぞ」
「そうですけど……逆に、降谷さんは気にならないんです? テニス経験者なら、ついつい見たくなりそうなものですが」

降谷さんは、ちょっと考え込んでから答えた。

「……確かに、テニスの試合を見るのは楽しいけれど。僕は、どちらかと言うと、自分がする方が好きなんだ」
「そうでしたか。では、いつかお手合わせ願いたいものですね」
「できるのか?」
「いや……体育の授業でやった程度です」

 

数週間後。俺は降谷さんに呼び出されて、酒を飲んだ。
店の名前を聞いたとき、嫌な予感がした。
けれども、あそこは、公安部御用達の店だ。自由に飲みに行けない俺たちのために、酒の種類も豊富に取り揃えてある。だから、降谷さんがこの店を選んだことに、特別な意味はないはずだ。そう思い込もうとした。

……が。そういうえば、降谷さんの行動に意味がなかったことなんて、一度もなかったじゃないか。

「この店は、僕の親友もずいぶん気に入っていたんだ」

どこでバレたんだろう。冷や汗が噴き出る。

「はあ……」
「なんでも、歳の近い同僚と、この店でよく飲んでいたらしくてな……」

乾杯のビールは、ずいぶんと前にぬるくなっていた。

「そうでしたか」
「君は、この店は初めてか?」

降谷さんはにっこり笑いながら、ハイボールを口に含んだ。

「いや、俺も、一時期よく来てましたよ。それこそ、歳の近い同僚と、ここで何度も何度も語り合いました」

――そして、「ゼロさん」の話を聞いていました。

「そうか……。風見。僕はね、テニスをしていたことを、君にはもちろん、カイシャに入ってから知り合った人間に、話したことがなかったんだ」

確かに、そうだったかもしれない。

「気が、ゆるんでましたね……」
「かもな」

降谷さんは、なすの揚げびたしに箸を伸ばした。
俺は、ぬるくなったビールを、胃に流し込み、ジョッキを空にする。
降谷さんは、俺に酒のおかわりを勧めなかった。そりゃそうだろ。降谷さんは俺の上司だし、諸伏景光じゃないのだから。俺のジョッキが空になったかどうかを、チェックする義理がない。
そんなことを思って、少し笑ってしまった。

「どうした?」
「いや、あいつだったら、俺に”おかわり頼みますか?”って聞いてくれただろうな、とか。そんなことを思ったら、なんか笑えてきて」

降谷さんの目が泳いだ。
俺が首をかしげると、降谷さん小声で

「……風見、おかわり頼むか?」

と、言った。
その言葉に、また、笑いがこみあげてくる。俺につられたのか、降谷さんもめずらしく声を立てて笑った。
そして、ひとしきり笑ったのち、降谷さんが絞り出すような声で言った。

「……正直、びっくりした」
「俺が、あいつと飲み友達だったことですか?」
「いや。君が、一年間、この件について、ぼろを出さなかったことに驚いているんだ」
「……ひどいな。降谷さん。俺は公安の人間ですよ」
「ああ、わかってる。君が優秀なことはわかっているんだけれど。なんていうか、君って、ちょっと公安ぽくないだろ? いい意味で浮いているというか……」

――公安ぽくない

その言葉に、心が弾んだ。

「公安ぽくない……ですか? ……でも、俺は、降谷さんのパートナーには、公安ぽくない男の方が合っていると思っているから、そう言われるのは、少しうれしいです」

俺は、諸伏にはなれないけれど。でも、俺は俺らしい形で、この人にふさわしい男でありたい。

「うれしいのか?」
「ええ。少し…じゃないな、結構、だいぶ、うれしいです」

 

俺が、工藤邸への討ち入りにも、来葉峠のカーチェイスにも参加しなかったのは、降谷さんの判断ではない。
これには、少しだけ別の力動が働いた。

『この件で、風見が感情的になることはないと説明したし。彼との関係性を重く見るのであれば、真っ先に外すべきなのは僕なんけどな……。なんか…すまないな』
『……いえ、いいんですよ。俺の同行を押し通そうとすれば…それこそ、向こうの思うつぼだ。風見は冷静でないと……いや、それどころか降谷さんまで、そのように判断される』
『……そうだな。そういうわけで、たいへん心苦しいのだが、今回は……』
『ええ。後方支援で、できる限りを尽くします』

かくして、その夜は終わった。

俺が参加していれば、結果が変わっていたかもしれない、などとそんなことは思わない。
だけど、降谷さんの右腕として、彼の側に居られなかったことが悔しかった。

本当は、お祝いの席になるはずだった。
結局、後方支援どころか、この案件に関与することすら許されなかった俺は、それでも降谷さんのために何かをしたくて、見た目は悪いけれど、味はいい。そういう料理をしこたま作って降谷さんの帰りを待っていた。

明け方、俺は、降谷さんからの電話を受けて、庁舎にかけつけた。目の下にクマを作った降谷さんを車に乗せ、自分の家に連れ帰った。
降谷さんは、黙ったまま、助手席から窓の外を眺めていた。

家に着くなり、俺は、降谷さんを風呂にすすめた。

降谷さんが風呂から出てくる。俺のTシャツと、ハーフパンツを履いて、肩にはフェイスタオルをかけている。
そういう、素朴な降谷さんを見たのは初めてで、なんだか不思議な気持ちになった。

「降谷さん、ご飯、たくさん準備したんで、食べてください」

温めなおした料理を、テーブルいっぱいに並べた。

「うん」
「ご飯、軽めにしておきます?」
「いや……普通…。んー…やっぱ、大盛で」

俺が大盛ご飯をさし出すと、降谷さんは、お行儀よくいただきますをして、ご飯を食べ始めた。
そして、男二人、何を話すでもなく、がつがつと目の前の料理を平らげていった。

「……ごちそうさま」
「お粗末さまでした」

がちゃがちゃと、皿をシンクにつけていく。
降谷さんが、俺の背中に言った。

「そういえば。前から思っていたけれど……君ってさ、僕に、食べさせるの好きだよな。コンビニのおにぎりとか、しょっちゅう差し入れしてくれるし」

台所用洗剤をスポンジに垂らす。

「あー…なんでだと思います?」
「さあ? なんでだろう。考えたこともなかったな。んー……そうだな、君自身が食べるのが好きだからかな?」

スポンジを泡立てる。声が震えそうになった。

「昔ね、一緒に働いていた仲間が、教えてくれたんですよ。ゼロさんていう人は、食べてる時は、結構、素直だって」
「そうか……ヒロがそんなことを」
「ええ。あいつね、たくさん話してくれたんですよ。ゼロさんのこと。テニスのこともそうだし、釣りに行った思い出とか、そういうの……すごく、いい笑顔で話してくれたんです」

皿を洗いながら、あいつは「ヒロ」って呼ばれてたんだなあと思った。
カチャカチャ、わしゃわしゃ音を立てながら、食器を洗っていく。よく眠っていないせいか、感情の揺らぎを抑えることができない。
窓から、朝日がさしこんだ。

降谷さんの方から、信じられないような音が聴こえてきた。

けれども、俺は、ふり返らなかった。そういう降谷さんの顔を見てはいけない気がしたから。
そして、なによりも、自分の情けない顔を、降谷さんに見せたくなかった。

ずいぶんと時間をかけて食器を洗い終えた俺は、降谷さんをベッドに連れて行った。

「君は?」

立ち去ろうとする俺の手首を降谷さんが握りしめた。

「あっちのソファで寝ます」
「……だめだ」
「ですが……?」
「僕、寝相はいいんだ」

降谷さんの瞼は、腫れている。
だから、というわけではないけれど。俺は、降谷さんと一緒に、セミダブルのベッドで横になった。
そして、そのまま、泥のように眠った。

目が覚めた時には夕方になっていて、ベッドには、俺しかいなかった。

キッチンに、ありあわせの材料で作ったと思われる野菜スープが鍋ごと置かれていた。
鍋を触る。ほんの少しだけ温かい。
カレースプーンで、スープをすくい口に含んだ。

そして、俺は

「諸伏、ゼロさん……料理、からっきしじゃなくなったみたいだぞ」

ひとりごとを言った。

 

それから、時折、俺と降谷さんは、一緒にご飯を食べて、一緒に眠るようになった。
料理は、降谷さんが作ることもあったが、たいていは俺が作った。

そんなある日。
降谷さんから「料理はいいから、今日は、僕のふて寝につき合ってくれ」というメールが届いた。
俺は、あわてて、シーツを取り替え、新品のバスタオルを準備し、風呂を掃除した。

お湯をはるのは、まだ早いかもしれない。そんなことを思いながら、風呂に栓をしていたら、背後から物音がした。ふり返ると降谷さんがいた。

「……風呂、もらっていいのか?」
「ええ。ただ、今から入れますので、少しソファで休んでてください……」
「うん」
「……おとといの、波土禄道の件、ニュースで見ました」
「うん」
「……入浴剤、入れますか? 温泉シリーズのやつ」

降谷さんが、俺にぎゅっとしがみついてきた。
抱き返していいものか、俺の両手は、空をさまよう。

「……君も一緒に風呂入るか?」
「はい?」
「……冗談だよ」

降谷さんは、俺を解放し、にっこり笑った。

 

結局、降谷さんと俺は一緒に風呂に入らなかった。ソファでスマホゲームに取り組む。そわそわを抑えきれなくて、普段ならあり得ないミスを連発した。
ぱたぱたと、足音がして降谷さんがやってくる。

「え……?」

手からスマホが滑り落ちた。
そりゃあ、そうだろう。だって、降谷さんは俺が準備した部屋着を身に着けずに

「君も脱げ、パンツは履いてていいぞ」

パンイチで、仁王立ちしていたんだから。
当惑しながらも、降谷さんに言われたことだから、しぶしぶ服を脱ぐ。別に男同士だし、これくらい、なんてことない……などと思うこと自体が、何かしら思っていることの証左で、俺は、ものすごくドギマギしていた。

降谷さんに促されて、ベッドに入る。

体が触れ合うことは、今までにもあった。けれど、それは服越しのふれあいであり、肌同士が触れ合うわけではなかった。風呂上がりの、降谷さんの、あたたかな肌。
自分の衝動を抑える自信がない。そして、俺は自己申告をした。

「ねえ、降谷さん……俺、我慢できないかもしれません」
「我慢できないって……? なにが?」

降谷さんは、きょとんとした顔で俺を見た。

「こういうこと……我慢できそうになくて」

降谷さんの首筋に、唇を押し当て舌を這わせる。

「……いきなり、なんだよ!」

降谷さんが、俺の頭を押しのけた。

「なにって、だから、こういうことですよ」

すっかり元気になってしまった愚息を、降谷さんの体に押し当てた。降谷さんの顔が赤く染まった。

「だめ、ですか?」

金色の髪に、指をさしこんだ。
ちゃんと乾かし切る前に、ドライヤーを切り上げてしまったんだろう。降谷さんの髪は、とても、しっとりしている。
手櫛で、前髪を後ろに流してやる。降谷さんは、目をつむり

「……ヒロは、こういう時、こんなことしなかった」

と言った。

(いや……むしろ。諸伏のやつゼロさんと、こんなことしてたのかよ)

そう思いながら、降谷さんの背中に腕を回す。

「でも、諸伏は、こういうことをしたかったのかもしれない」
「……なんだよ、それ?」
「諸伏が、ゼロさんの語る時の顔って…好きな子の話をする高校生みたいな表情で……すごくかわいかったんです」

降谷さんが、俺の背中に手を添えた。

「それ…本当か? ヒロは僕の話をしながら、そんな顔を……?」
「うん。してましたよ。あれ、ほとんど、のろけ話だと思って聞いてましたもん」
「でも……それは、君の都合のいい解釈であって、ヒロはそんなこと、みじんも思っていなかったのかもしれないだろ?」
「ごもっとも」

俺は、降谷さんの体をぎゅーっと抱きしめた。

「だから、諸伏がゼロさんのことをどう思ってたとかは、どうでもよくないんですけど、今は、どうでもよくて……。今一番大事なのは、風見裕也が降谷さんを抱きたいと思っている……ということです」

降谷さんが、俺の胸にすりすりと、おでこをこすりつけた。

「…君……男を抱いたことあるのか?」

その問いかけに、正直に答える。

「ないです…でも、うまくいかなかったら、それはそれで、いいじゃないですか」
「本当に、いいか……それ?」
「うん。うまくいかなかったら、ふて寝しましょう。二人でふて寝をして、それで予定通りです」
「それもそうか……」

背中にまわした手で、降谷さんの肩甲骨をなでた。

「俺は、降谷さんのことが好きですよ」
「……それは、知っている」

降谷さんが、もぞもぞと体を動かす。降谷さんの唇に、自分の唇を重ねた。

そして、舌を差し入れるまでの、ほんの束の間、俺は諸伏景光のことを考えた。

 

 

【あとがきなど】

本当は、この設定を掘り下げて本にしたいと思っていました(自分へのクリスマスプレゼント本)。
しかし、書き上げる前に、諸伏編が来た場合、この設定では書けなくなってしまう気がしたので、今のうちに、書いておこうと思って書きました。

これを書いて、私は、自分の脳内の風見さんが「総攻め」であることを知りました。
居酒屋のシーン。風見さんが、諸伏さんをお持ち帰りしてしまうのではないかと思い、ハラハラしました。飛田さんとスコッチのシーンもそうです。飛スコにならないよう、気をつけながら書きました。

私は三者関係が好きです。

〇風見-諸伏:仲間+α(?)
〇ヒロ-ゼロ:大親友+α(?)
〇風見-降谷:上司部下+α(?)

という、トライアングル……最高だな?!!!!!! と思って、そういう気持ちで書きました。

 

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