君の名前を呼んでみたかった

〇風見さんが降谷さんの部下になって間もない頃の話
〇つき合ってないのに、体の関係を持ちます
〇直接的な性描写はありませんが、行為をにおわせる表現があります


 

風見裕也は、僕の新しい部下だ。
すでに定期連絡を重ねたが、特に問題なくやり取りできている。
情報のやり取り…と言っても、直接話しをすることはほとんどなかった。人目を避けて、情報媒体や書類のやり取りをし、それで別れる。たまに言葉を交わすことはあったけれど、名前を呼び合うことはなかった。僕には、安室透という偽名があったが、風見の偽名はなかった。

 

その日、僕たちはいつものように、すれ違いの他人を装うってやり取りをした。そして、その場を去ろうとしたとき、ふと、あることに気がついた。それは、捜査を進める上で大事なひらめきだった。
あわてて、後ろを振り向く。風見はすでに5メートルほど先にいた。「風見」と声をかけようとして思いとどまった。
「風見」という名字は、めずらしい苗字だ。そう思って、僕はとっさに

「裕也さん」

と、彼の名前を呼んだ。
さん付けにしたのは、安室透ならそう呼ぶだろうと考えたからで、深い意味はない。
風見はこちらをふり向き、少し困ったような顔をした。でも、僕が笑って手招きをすると、少しきょろきょろしてから、こちらに向かって歩いてきた。

「どうしました?」
「いえ、ちょっと、伝え忘れたことがあって」
「そうですか」
「ええ。あと、全然関係ないですけど……裕也さんの名字って珍しいですよね」
「ああ。確かに。親戚以外では会ったことがないですね」

雑談しているふりをして。事前に決めた暗号を使いながら、用件を伝えた。
風見は、どうして僕が「裕也さん」と呼んだかを理解した様子だった。

この頃の僕たちは、多忙を極めており、風見の偽名を考えている暇すらなかった。
裕也という名前は、僕たちの世代において決して珍しいものではなかったし。安室透が知り合いのスーツ姿の男を「裕也さん」と呼ぶことも、不自然なことではない。だから、定期連絡の折に、僕が風見を「裕也さん」と呼んでも、支障はなかった。

僕は彼を、カイシャや現場で会う時は風見と呼び。街角で定期連絡をするときは「裕也さん」と呼ぶようになった。

お互いに抱えていた諸々の案件が一段落して、少し時間にゆとりができても、僕たちは風見の偽名を考えなかった。「裕也さん」で問題ないのだから、定期連絡の時は「裕也さん」と呼び続ければいい。偽名を考える時間があるなら、もっと、別のことを考えたかった。

けれども、人生には、不測の事態がつきものだ。
詳細は省くが、僕と風見裕也は情を交わし合うようになった。

僕は風見との行為の際。風見を風見と呼んだ。僕らの情交は公私混同の中で生じた、偶発的な事故であったから、風見裕也も僕のことを「降谷さん」と呼んだ。
しかし、偶発的な事故が、そう何度も繰り返されるだろうか。
行為は2回3回と重なり、5回を過ぎたあたりから僕は数えるのをやめた。
ある時から、それは習慣になった。条件が整ってさえいれば、僕は風見裕也と行為をする。

信用し合うことが必要な関係だ。

そういう意味では、性行為というのはとても合理的な手段だったと思う。けれど、ある時。僕は安室透の名義で借りているアパートで、決定的な失敗をした。

「……裕ぅっ…也ぁ」
「……零…?」

何かのはずみで、僕は、風見のことを裕也と呼んだ。それで、タガが外れたみたいに、何度も何度も裕也と呼んだ。
風見は、最初は、ためらいがちに、僕を零と呼び。それから、僕が裕也を呼ぶたびに「零」と僕のことを呼んだ。
もしかしたら、僕はずっと、風見の下の名前を呼んでみたかったのかもしれない。
それこそ、安室透が風見のことを「裕也さん」と呼んだ最初の日から。
行為が終わった後、僕は風見を風見と呼んだ。だから、風見も僕を降谷さんと呼んだ。

当たり前だけれど、それですべてが元通りになるわけではなかった。今思えば、僕たちが本当の意味で一線を飛び越えてしまったのは、僕が風見のことを「裕也」と呼んだあの瞬間だったのかもしれない。

 

それから、少し経って。
平日の午前10時。僕たちは街角でやり取りをした。セミがよく鳴いている。

ほんの数分間のやり取り。僕は、いつも通り、その場を去ろうとした。
けれど、名残惜しさに負けた。「裕也さん」と彼の名前を呼んだ。

「……なんでしょう、安室さん」

風見が返事をした。
風見のことを見つめる。風見の頬は赤く染まっていた。僕はぎょっとした。

「いや……裕也さん、今日の夕飯…何を食べるのかなって」

動揺した僕は、実にどうでもいい質問をした。
仕事上のやり取りは数分ですべて済んでいて、だから、これは完全に公私混同の時間だった。

「ああ。会社にストックしてあるカップ麺でも食べようかなと考えてます。今日は、おそらく残業ですから」

いつもは姿勢よく起立している風見が、きまり悪そうにもぞもぞと体を動かした。
僕は男だから、なんとなく、その理由を察したし。チラ見で確認した風見のそこは、僕の予想以上に存在を主張していた。

「そうですか。では、お仕事がんばってくださいね…!」

僕は、足早にその場を立ち去った。
これは、ゆゆしき問題だ。

 

その夜、僕は、いくつかの職権を行使して、残業予定の風見裕也を、安室透の部屋に呼んだ。
いきなりの呼び出しに、風見は緊張した様子だった。確かに、こんな風に手を回して、風見をここに呼ぶのは初めてだ。
ひとまず、手料理をテーブルに並べる。
食卓に座りながら、風見裕也はカチコチに固まっていた。

「あの……降谷さん、これは…?」
「僕の手料理だ。まずくはないはずだから、とりあえず食え」
「え……では、いただきます」

風見裕也は、きちんとした所作で、箸を持ち上げた。
そういえば、風見が食事する姿をじっくり眺めるのは初めてだ。風見が、ご飯を頬ばるのを見ながら、僕も食事を始めた。
こんな風に、一緒に食事をするとか……。信頼関係を築くためには、いろいろな方法があったはずなのに、僕たちはどうして、性行為をその手段に選んでしまったんだろう。

食事を終え、淹れたてのお茶を飲みながら僕は本題を切り出した。

「風見……僕がここに君を呼んだ理由なんだけど…」
「ええ…なんでしょうか?」
「いい加減、潮時だと思ったんだ」
「……そうですね。自分は、降谷さんの決断に従うまでなので…俺の意見はいいから、降谷さんが決めてください」
「……そうだな」

僕は、午前中、風見と別れた後、考えて考え抜いた結論を風見に伝えた。

「男六……が、いいと思うんだ」
「……え?」
「…いや、あんまり、あけすけな話はしたくないんだけれども……今日の午前…僕が君を裕也さんと呼んだ時、勃ってしまったろ? ……前々から、安室透の時に、君のことを裕也さんと呼ぶのやめたほうがいいと思っていたんだが……この前、僕が…その……あれの時に、君のことを裕也って呼んでしまったから……それで、今日……勃ってしまったんだろ?」

僕がそう言うと、風見が、机に伏せて、ぷるぷると体を震わせた。

「……おい、風見…どうした?」
「降谷さん……待って…今、俺、笑いをめちゃくちゃ…こらえてるんで……っ…いや、むり」

そして、風見は、大きな声で笑った。

「おい、君、なんで笑うんだよ」

僕の問いかけに、風見は、笑いをこらえながら答える。

「……だって…今の流れ……絶対に、俺と寝るのやめたいって…言い出す……ふふ…流れじゃないですか??」
「え……? そうなのか???」
「俺は、覚悟決めちゃいましたよ」

風見はそう言うと、深呼吸をして、お茶を一口すすった。

「それは、そうと、どうして男六なんですか?」
「……いや、男六と呼ばれる分には、さすがの君も、勃たないだろうと思って。あと、名字は飛田な。飛田男六……なんとなく語呂がいいだろう? 君は、どう思う? 男六という名前?」
「んー。団鬼六の名前がよぎらなくもないですけど。まあ、男六では、どうかな…多分、勃たないと思いますけど……どうでしょうね…少し自信ないな」

風見裕也は首を傾げながら言った。

「……君、男六で勃つ可能性があるのか? 僕は、なるべく、そういう気持ちにならなそうな名前を考えたつもりなんだが……」
「んー……降谷さんの声で呼ばれたら……男六でも鬼六でも五十六でも…俺、勃ってしまう気がします……。降谷さんの声、とても、かわいらしいから」
「え……?」

風見の言葉に、僕は固まる。そういえば、僕たちは、いつも事務的に行為を済ませていたから。風見から、かわいいなどと言われたことは一度もなかった。

「君、僕の声、かわいいと思っていたのか?」
「ええ…。だから、この前の夜、降谷さんに裕也って呼ばれた時、すごくたまらなかったんです……。だから、降谷さんに、そういう風に男六って呼ばれたら。自分……勃っちゃうんじゃないかという気がするんですよね。……ねえ、降谷さん…どうです? もしよかったら、今晩、試してみます? 男六、で俺が勃つかどうか」

僕は、なんだか、とても腹立たしい気持ちになった。
どうして、腹が立つのかよくわからない。だけど、風見のことを男六と呼びながらするのは、なんだか嫌だった。だって、僕は

「ばか! セックスの時くらい、君のこと、裕也って呼ばせろよ!!!」

風見のことを裕也って呼びたくて仕方ないんだから。

 

おわり

 

【あとがきなど】

私の書く風降、つき合ってないのに、すぐ関係持つよね。
何度目だろう……注意書きに、つき合ってないのに体の関係ありますって書くの……。

私は、安室透さんが、風見さんのことを「裕也さん」って呼ぶのが大好きです。でも、男六という名前もすごく好きで……。男六の名付け親、降谷さん説も大好きで。そういう好きを全部ぶち込んだら、このようなお話になりました。
そして、降谷零には天然であってほしくて……その要素もぶち込んでみました。

私……ファーストネームで呼び合う風降書いたの初めてな気がします。公私混同恋愛が好きなので、ついつい、名字呼びにしちゃうんですけど。名前呼びもいいですね。
裕也も零も……本当、いい名前……。

 

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