創造と破壊(変わりゆく風降観と、私の書く風見)

※微妙に、ネタバレあるかもです?

ゼロ茶と劇場版二作をベースに風降観を深めた私だけれど。
(というか、ストラップ回だけでは、私の貧困な想像力では深めようがなかった)
原作の四話を読んで、風見君への考えが変わった。

Twitterでも書いたけれど

風見君は、仕事が自己実現っていうか、仕事がそれなりに楽しいと思う人だよね。
降谷さんにふさわしい右腕になるという、職業人としての明確な目標がある。
だから、風見君の人生ってわりと充実している。
趣味も結構楽しんでるし。
ただ、人生(職業上の自己実現)を大事にするあまり、生活を犠牲にしている感じはある……(食生活)

じゃあ、降谷さんにとっての仕事ってなんなんだって話になるんだけど。
彼にとっての仕事は手段であって、目的ではない気がする。
彼には、初恋の人や幼馴染の仇討っていう目的があって、仕事はあくまで手段に過ぎないのかなーと。
降谷さんは、仕事から、それなりに充実感を感じているだろうけれど、役割活動をこなすうえでのよろこびみたいなものは風見君ほどには感じていない気がする。
でも、生活は大事にする。
自家製だしをピッチャーで保管していたり、おいしい料理を作ったりと生活は結構充実している。

風見君は降谷さんに対して「この人、人生の充実とか考えてなさそう」って、思ってそう
一方、降谷さんは「風見、生活をおろそかにするんじゃなーい!」と思っていて
ここに、価値観の相違がある。

しかし、一致する点もある。

二人は、生命を大事にする。
基本的に、誰も死なせたくない人たちだ。
公安の仕事中でも、人命救助を優先する。
風見君は、とっさに救急要請するし、増水した川に飛び込む。
降谷さんは、救助者が飛び込むのは最終手段だと、人命救助の基本を述べるが、風見の行った行為自体は責めない。
人の命が大事だから。

しかし。
二人は命を大事にするが、命に対しての見解は少し違うと思う。

 

あっけなさと、しぶとさ……この二つを分けるものはなんだろうね。

こんなに簡単に人って死んじゃうんだな……と思う時もあるし。
一方で、どうしてこれで生きてるんだろう? というくらいに、体がぼろぼろでも、どうにか生きている人もいる。

ちょっとの加減で、人は死んじゃうし、人は死なない。

降谷さんは「あっけなさ」に遭遇することが、人より多かったのではないかと思う。
だから、すぐに、風見君が死体になることを想像してしまう。
想像して、そして行動する。

一方の風見君はどうだろうな……半々かな?
いや、純黒の観覧車の件や、今回の原作のふるまいを見ると、本人がめちゃくちゃしぶといタイプだから…人の命の儚さをあんまり感じてないかもしれない。

私の書く風見

「降谷さんは、おおげさだな」

で、済ませがちな気がする。
正統派の攻め様だと、なぜ降谷さんが大げさになっちゃうのか、知ろうとするし。
「いつか、君が教えてくれる日を待っている、無理にとは言わない」
とか、言ってくれると思うんだけど。

私の書く風見

「降谷さんは、最悪のパターンを考えてリスクマネジメントするパターンなんだな。へー」

くらいにしか思ってなさそうだから、もどかしい。
いやいやいや……!
風見君!
そこは、降谷さんの心の傷とか、なんか、こう……もっとケアしてこ?
降谷さんのことケアしてこ?
という、気持ちになる。
(いや、書いてるの私なんだけど)

しかも、風見君、降谷さんを理解することを半ばあきらめてる節があるなあって……
あきらめないで……って、思うけど。そこであきらめちゃうのが、風見君らしくていいなって。

ゆとり教育の弊害?
ダイバーシティ教育の奏功?

どっちでもいいけど、価値観の相違を前提としたうえで、お互いの相違を認めるっていうありかたが、本当に好き。

でも、情緒での分かち合いってのは、おそらくあって。
お互いの思想とか、文脈とか、全然わからないけれど。
それでも、ゼロシコの「あの子、怖いよねえ」という分かち合いだったり。
今回の「さあ、行きましょう!」「ああ」であったり。
ムードというか、気持ちを分かち合うことはできるんだよね。
(快感も分かち合うことができるよね♡)

風降って、ぴったりフィットじゃなくて。
お互いの違いを許容しながらも、分かち合える部分を大事にしている気がする。
お互いの思想や行動原理を、理解し合えなくても。
情緒的に、分かち合うことができれば。
愛し合うことって可能なんじゃないかなって……私はそう思うんだ……

と、いうか。
私が書く、風降ってなんか、そんな風になってしまうんだよね……

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