花冷えの夜に

ほのかに風→降
お花見のお話
くっつかない!(けど、未来ではきっとくっついているはずの風降)
えろくない!
※最後のページはあとがき


 

駅からの帰り道。
彼岸前からしばらく、風見は、ひとつ手前の駅で降りる。住宅地の中にある小さな神社。境内ににょきりと生える、一本の老木。
ソメイヨシノ。植えられたのは戦前だろうか。今はすっかり栄えたこの街も、戦前は田園風景広がるのどかな村だった。
官舎を出て今年で四度目の春。この木を見つけたのは、一人暮らしを始めてすぐのことだった。土地勘を得ようと散歩をしていた時、この木に出会った。四月の一週目。見ごろは過ぎ、すっかり葉桜になっていたが、新緑とわずかに残るピンクのコントラストが青空によく映えていた。
翌年から風見は、桜の気配を感じ取ると、この神社に立ち寄ってから家に帰るようになった。

三月初週。「今年の開花予想は、三月中旬」スマホでそんなニュースを目にした。今年も、帰宅ルート変更の時期がやってきたようだ。

鳥居をくぐり境内に入る。人はいない。
小さな神社ではあるが、だれか手入れをする人がいるのだろう。境内は、きれいに掃き清められていた。
風見は、木の側に寄ると、まだ固く閉じた花芽を観察した。
本殿を照らす真っ白な明かりが、手水場の脇にある老木をぼんやりと照らしている。
一般にソメイヨシノは、樹齢が大きくなるほど開花が早まる傾向がある。しかし、開花の予兆は読み取れなかった。

(桜が咲いたら……)

風見は考えた。おととしは、桜を眺めながら、コンビニのコーヒーを飲んだ。去年は、駅前のカフェでテイクアウトした抹茶ミルクラテと黒蜜ドーナツを一人で。今年はどうしようか考え、浮かんだ答えに風見は苦笑いした。

「降谷さんと一緒に飲む缶コーヒー……って、俺は乙女か」

桜の幹を撫でる。でこぼこしていて、あまりなめらかではない。
降谷零。尊敬する上司。いつも忙しくて、自分に厳しく人にやさしい(風見に対しては、その限りでない)。
自分だけが知っている場所、ということはないだろうが、風見にとっては、誰にも教えたくない秘密のお花見スポット。だけど、今年は。風見は、降谷と一緒に、この桜を眺めながら、缶コーヒーを飲みたいと思ったのだ。

 

 

風見が帰宅ルートを変更して、五日が経った。

『僕は、十日ほどあちらの仕事で忙しくなるから』
「はい」

庁舎のデスク。降谷との電話を終え、風見は、天井に向かって伸びをした。
そうして、ぼんやりと頭に浮かんだのは桜のことだ。
スマホを手に取り、最新の開花予想を調べる。当初より二日ほど後ろにずれている。

「……微妙か」

降谷の潜入捜査が一段落するころ、あの老木は、葉桜になっているかもしれない。降谷を誘うと決意していたわけでもないのに、なんだかがっかりした気持ちになった。
机の上を片付け庁舎を後にする。そして、今夜も、一駅前で降車し、コンビニでアメリカンドッグを購入してから神社に向かった。
いつものように、境内に入り、老木に向かう。ふと、視野に、鮮やかなブルーが目に入る。目を細めてみれば、境内の端に、真新しいベンチが二台設置されていた。前からあっただろうか。近くによると背もたれに氏子一同寄贈と印字されているのが見えた。

「……年三月吉日。今年だな」

新品のベンチに腰掛け、アルコールティッシュで手を拭く。アメリカンドッグにケチャップとマスタードをかける。
ベンチに座ると、桜の枝ぶりがよく見えた。

「……特等席だな」

風見が、この神社に立ち寄るのは、仕事を終えた後。たいてい、午後十時を過ぎていた。この木に出会ったのは、休日の昼間だったが、その時はすっかり葉桜になっていて、花見の時期は過ぎていた。
穴場の桜スポットだと思っていたが、昼間はそうではないのかもしれない。そういえば、境内はいつも掃き清められていた。そもそもソメイヨシノは樹齢五十年を超えると、急激に弱って枯れてしまうことも少なくない。だれかがしっかり管理しなければ、この老木も、とうに花をつけなくなっていたはずだ。
あたたかさを少しだけ残したアメリカンドッグを齧る。風見は、桜が満開になっていることを想像した。昼には、きっとたくさんの人が、この桜を見に来るんだろう。
アメリカンドッグの根元のカリカリを器用に串からはがし、噛みしめる。

 

 

寒い日が続いた。
東京の開花予想は、さらに少しずつ伸びていき、降谷が組織の仕事を終えて戻ってきても、つぼみは閉じたままだった。
風見は焦った。誘おうと思えば誘える。

その日風見は、降谷の部屋に春服を届けた。

「ポアロで常連さんと花見をする予定なんだけれど、こんな様子だから、日付を決めるのが難しくてな……一応土曜日に設定したんだけれども」

降谷がなんとなく言った言葉。
風見は口に含んでいたお茶を、喉に引っ掛け、ゴホゴホむせた。

「おい……どうした。お茶でむせたのか?」
「あ……いえ……ごほっ……失礼。はい、大丈夫です」

おもちゃで遊んでいたハロが、びっくりして、二人の方を振り返る。

「……えーっと。桜」
「ああ。開花予測がどんどん後ろにずれているだろう? さすがに、今週の土曜日には咲いてると思うんだが」
「今日が月曜日ですから……まあ、あと五日もあれば」
「明日からは暖かいみたいだし、咲き始めれば、一気に開花が進むだろうな」
「本当ですね」
「あ……春服、助かったよ。冬服だが、君に持って帰ってもらう分はまとめておいたから」

降谷が、床に置いた紙袋を指さす。

「……花冷えもありますから、少し冬物を残しておきましょう」
「そうだな。一応少し、よけてある」
「あ、失礼しました……! そうですよね降谷さんなら、自分に言われなくても」
「いや、確認をする習慣は大事だ。ことに僕らのような仕事をしている者にとっては」
「はい。全くその通りです」

冬服の入った紙袋を眺めながら、風見は、まったく別のことを考えていた。
安室透として。仕事の一環とはいえ、降谷には花見の予定がある。おそらくは、大人数で、にぎやかに桜を楽しむのだろう。
ポアロの行事だから料理もあるはずだ。

――夜、小さな神社、男二人で缶コーヒーを飲みながら

そんな、わびしい花見ではなく。
人々に囲まれながら、みんなで和気あいあいと。そこには「安室透」を慕う人たちもたくさんいるはずだ。

「風見?」
「あ、いえ、あ……そろそろ自分はカイシャの方に」
「ああ。じゃあ、例の件も頼んだよ」
「はい。お茶、ごちそうさまでした」

 

 

 

三日後の木曜日。
移動中のカーラジオで、靖国の標本木で開花が観測されたというニュースを聞いた。
その日は、夜になっても暖かった。上着を片手に、無糖の炭酸水を飲みながら、風見は桜を見上げた。昨日までは、まったく開いていなかったのに。すでに三分咲きになっている。この調子でいけば、週末は丁度見ごろを迎えるだろう。

「降谷さんも、花見、楽しめるといいな」

そんなことを、つぶやきながら桜が満開になったら、なにをしようかと考える。
ノンアルコールビールぐらいなら、飲んでもいいかもしれない。

 

土曜日。夕方、風見は降谷に指定された合流地点に向かった。
頼まれていたデータを受け渡す。荒川の遊水地。人目のない橋梁下のスペース。

「ありがとう」
「はい。では……あ、そうだ」

桜。

「今日、花見、いかがでした?」
「ああ。満開だったし、天気も良かったし、いい花見になったと思うよ」
「……そう、でしたか」
「それで。これ、あまりものってわけじゃないんだが。君の分も用意したんだ。保冷剤いれてあるから大丈夫だと思うんだが……夜食でも、朝食でも……まあ、食べなくても」

降谷が紙袋を差し出した。

「もしかして、サンドイッチ? ですか」
「ああ。一応、卵はやめておいた。昼間、暖かったし」
「……ありがとうございます」

紙袋の取っ手をぎゅっと握りしめながら、きっと、今日、満開になっているであろう老木のことを考えた。

「では……そろそろ自分は」
「……待て」

立ち去ろうとする風見を、降谷は引き留めた。
風見は自身のふるまいを鑑みながら、覚悟を決める。

「はい」
「君、なにか、僕に言いたいことがあるんじゃないか?」

降谷零が、気がつかないわけがないのだ。

「……あの、本当に、大したことではないんですよ」
「ああ」
「……降谷さん、たぶん呆れますよ?」
「……いいから、さっさと言え」
「はい。実は、ですね……」

 

 

「乾杯」

ノンアルコールビールの缶を突き合わせる。
本殿のライトがぼんやりと桜を照らす。そよ風に、ひらひらと、花びらが舞い落ちた。

「……誘ってくれてよかったのに」
「……ここ、俺の家からは近いですけど、降谷さんのとこからはちょっと離れてますし」
「車を使えば大した距離じゃない」
「まあ、そうですけど」
「しかし……特等席だな」
「……去年までは、立見席しかなかったんですけどね」

近所のコインパーキングに車を停め、小さな神社の、一本しかない桜の木を眺める。

「去年もここで花見を?」
「ええ。おととしからですね」
「そうか」
「春先のちょっとした楽しみです」
「一人で?」
「ええ」
「君は、こんないい桜を、たった一人で見ていたんだな」
「はい、独り占めです」

サンドイッチをつまみながら、ノンアルコールビールをごくごくあおる。

「いい飲みっぷりだな」
「ええ」

風見は、桜ではなく降谷の横顔を見つめた。

「一日に二回、花見だなんて贅沢だな」
「そうですね」

うっすらとした明かりの中で、桜を見つめる降谷の瞳だけがきらきらと輝いて見えた。

「独り占め、です」
「……? 君、ノンアルで酔ったのか? その話はさっきも」
「降谷さんを……」

時間は午後十一時を過ぎていた。
静まり返る境内をぴゅうっと夜風が通り過ぎていく。
沈黙を破ったのは風見だった。

「……ッハックションッッン!!」
「……?! 君、漫画みたいなくしゃみだな」
「すみませ……ッックシュ!」

風見は、ティッシュを取り出し鼻をぬぐった。

「……花粉症か?」
「いえ、違います。花粉じゃないと思います。くしゃみだけなんで。眼とかかゆくないんで……花粉じゃないです」
「じゃあ、砂ぼこり……?」
「いや……」

ぶるりと震え上がる体。

「冷え……ですね。上着、車に置き忘れちゃって」
「え……?」
「……急に、寒くなりません?」
「……ああ」
「ちょっと、上着取りに行こうかな」
「あ、そうだこれを……」

降谷は、ベンチの横に丸めて置いていたマフラーを、風見の肩にかけた。

「え……?」
「花冷えの話。君、この前、自分で言ってたろ? だから、一応、持ってきてたんだ。マフラー」
「あ、いや……でも、そうすると降谷さんが寒いんじゃ?」
「僕は上着も着ているし、マフラーするとさすがに暑い」

風見はノンアルコールビールの缶をベンチに置くと、ゆっくりマフラーを巻いた。

「なんていうか……あったかいです」
「よかった」

そして、意を決して言う。

「あの。降谷さん……。自分は、また、あなたと一緒に、この桜を……見に来たいです」

降谷は桜を見つめながら、うーんとうなった。

「そうだな。明日から少し寒いようだし、雨さえ降らなければ、あと一週間は、持つかな?」
「……今シーズンのことではなく。来年もって意味です」

桜を見つめたまま、降谷が言った。

「来年のことなんて、わからないだろ……僕も君も……」

ぴゅうっと風が吹く。花びらが、光に照らされ青白く、はらはらと降谷に降り注いだ。
弱弱しい声。しゅんと垂れ下がった眉。
こんな風に自信なさげな降谷を見るのは初めてで、どう声を掛けたらいいかわからなかった。
だけど、この人を守りたい、と思った。不遜であると自覚しながらも。
降谷零を守りたい。

しんしんと冷えていく、花冷えの夜。
風見裕也は降谷零を抱きしめたかった。

 

終🌸

 

 

【あとがき】

 

花冷えって言葉を見たときに、風降に似合う言葉だなと思い、お話を作りました。
青空のもと、みんなでわいわいする花見も楽しいけれど……
風降の二人は、真夜中に秘密のスポットで二人っきりで花見をするのが似合うんじゃないかなって思います。

「え……♡ 来年も僕と花見をしたいってことは……♡ 来年も僕たち、仲良し……♡」

って、なっちゃう、きゅんきゅん体質の降谷零も大好きなんですけど。
やっぱり、桜を見たらしんみりしていてほしい気持ちもあり、このようなラストになりました。

 

 

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