好き

文章を書く感覚を取り戻すために書いた短文。
手癖がすごい風降です。


何度その言葉を飲み込んだことだろう。
だが、気持ちはこみあげてくる。とめどなく。ひと仕事を終えた後の缶コーヒー。雑居ビルの屋上で、夜風を感じながら雑談する。その時間がとてもとても幸せだった。
綱渡りの日々。血なまぐさい仕事。
無礼講って言ったのに、君は僕を呼び捨てしなかった。情報交換を口実に相席で味わった名店カレー。君がはりきって買い集めた、僕の衣装。
ひとつひとつは大したことじゃない。だけど、君はいつも一所懸命で、だから、愛しくて。君に向ける僕の感情は、とってもシンプルだ。だけど、僕たちを取り巻く状況はいつだって複雑で、繊細で、だから、関係性を揺るがしかねないその言葉を、僕は飲み込み続けるしかなかった。

けれども、君は、あまりにもやさしくて、なんだか声もかっこよくて。

「すきま風の対策について、最近いい方法を知ったのだが」
「すき、んケアについて、ポアロの女性客が話していたのだが……」
「すき…るアップセミナーの案内が、君の部署にも届いているだろうか?」
「すき…ぴおっているだろ? ああ、古代ローマ帝国の。そうだ。大スキピオの方だ。ハンニバルから学ぶことも多いが、しかし、僕はスキピオからも……」
「すき…やきでも、するか? いや、まあ……もう、いい時間だが。駅前のスーパーはまだ営業中だし、この時間ならいい肉を割引で買えるかもしれない」

出かかったその言葉を、ごまかすのに、僕はいつも必死だった。

だから、すべてが終わったゆるやかな日常の中で、僕は、ただただ、この言葉を、君に伝えたかった。

「風見……今日から、僕は時折何の脈絡もなく、君に”好き”と言うかもしれない。しかし、この”好き”という言葉には、たいして深い意味はないから、あまり真に受けないように」
「……え? それは、どういう?」
「だから、深い意味はない」
「はあ……そうですか……?」
「というわけで、早速言わせてもらう。好きだ」
「なら……自分もです。降谷さんが好きです」

思いがけないカウンターが、飛んできた。
僕らは現在、バーで酒を飲んでいるわけでも、部屋で一緒に食事をしているわけでもない。深夜の警視庁。組織の残党狩りをもくろんでの作戦立案。二人、おのおののパソコンにかじりつきキーボードをたたきながらの応酬。

「ハァ?! なんだそれ?」
「いや、俺も、深い意味はないんで。気にしなくていいです」

深い意味はない、好き。その言葉に、心臓がきゅっと、冷たく縮こまるのを感じた。

「……深い意味ないのか?」
「ええ。降谷さんだって深い意味ないんでしょ?」
「……」

たしかに、深い意味はない。僕の気持ちはいたって単純だ。好きと口にした動機も単純。ただ、この言葉を届けたかった。

「そうだな……深い意味はない」
「じゃあ、いいですね。お互いさまってことで。……気を付けてください。降谷さん? こういう言葉はね、冗談のつもりで軽く言ったものの、相手にとっては……ということもあるんですよ」

キーボードをたたく音が消えた。
いつしか、二人、パソコンの画面ではなく、お互いの顔を見つめあっていた。
ちゃんと年上の顔で、風見は僕をいさめた。彼はいつだって、真剣に僕と向き合ってくれる。

――ああ、また、こみあげてくる。

こらえなければ……そう思う。だが、もう、こらえなくていい。
これで、僕らの関係はぎくしゃくするかもしれない。けれども、僕を取り巻く環境は、あの頃と比べてずっと安全になっていて、これからの仕事は、ゼロとその右腕でなくても成立するはずだ。

「……好きだ」
「だから、冗談は……」
「深い意味はないかもしれない。だけど、純粋に。僕が君にずっと抱き続けていた感情だ」

関係は壊れるかもしれない。
だけど、僕は、どうしても伝えたかった。好き、という言葉を。風見を好きであるという気持ちを。

「降谷さん……」
「……すまん」
「……自分も、あなたが好きです」
「え……? 深い意味、ないんだろう?」
「深い意味は、ないかもしれませんが、熱い気持ちがあります」

風見がまっすぐに僕を見つめている。ああ、こみあげてくる。気持ちが、言葉が……。

「風見……どうしよう、僕……」
「なんでしょう?」

好き

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