偽りの恋

※本誌2023年30号ネタ
※特殊性癖です!
※”大物”の性癖が厄介
※降谷さんが風見に嘘をついている
※数時間後には、別の男に抱かれる予定の降谷零


 

断るはずがなかった。

一仕事終えた車内。
探りあうような会話。僕とベルモットは、今のところ、いくつかの利害が一致している。探りあうような会話。例の切り札が、まだ有効であることを確かめながら、次の仕事の打ち合わせをする。

「そういえば」

赤信号。右手の人差し指。色の欠けたネイルの先端。
ベルモットが不機嫌な声で切り出した。

「かなりの大物が、あなたに興味を持っているわよ」
「大物……? ですか?」
「ええ」
「それは、どのような……?」

大女優の微笑み。
彼女とやり取りをするようになってから、ずいぶん経つ。しかし、僕は彼女の表情が演技かどうか判別することができない。

「いい話よ。私にとっても、あなたにとってもね」

ベルモットは、弾んだ声で僕に持ちかけた。
それは実に不愉快な提案だった。だが、僕はそれを引き受ける。
おそらく彼女は、僕が断らないことを見越したうえで、この話をしたにちがいない。

 

 

「この後、ある人に会うから、服を見立ててほしい」
「……はい。では、お会いになる人物のプロフィールとシチュエーションなどを教えていただけますか?」

風見裕也は僕の右腕であり、つい最近、僕の恋人になった男だ。
『潜入捜査に必要な衣類を準備する』恋人という関係になる以前から、僕は彼にその仕事を任せてきた。

「それを君に教える必要はない」
「そうですか……。では、せめて、どのような服を準備したらいいか……ジャンルと言いますか、系統について……」
「店を予約してある」
「予約……ですか?」
「ああ。いろいろと指定があってね。たとえば、シャツの色は”黒”だとか」

ベルモットを経由して指示された、錦座の高級ブティック。
これから僕は、風見に服を選んでもらい”大物”に会いに行くのだ。

 

 

「すっげー……これ、経費で落ちるんですか?」
「経費……というか。まあ……」

店の奥に作られた、VIPルーム。
三十畳ほどの空間には、大きなフィッテングルームと立派な応接セットが設置されている。
少しミーハーなところがある風見は、ドラマみたいだと言いながら部屋の内装をつぶさに観察した。
僕は、風見が店員と選んだ黒いシャツを試着しながら、今日の段取りを確認した。

ベルモットの提案は、僕にとって渡りに船だった。
組織の内情の知る”大物”への口利き。彼女は、それを買って出た。
しかし、それは、非常に不愉快な提案でもあった。
ベルモットの話によると、その”大物”は僕の仕事ぶりだけでなく、容姿にも興味を持ったらしい。

『この世界で探り屋をやっているのだから、これくらい、どうということないでしょう?』
『……僕はその人物との接点を得ることができ、あなたは僕をアテンドした見返りを受ける』
『ええ、どちらにとっても、いいお話でしょ?』
『……』
『どうかした? バーボン?』
『いえ……しかし、恋人……というのは困りましたね』
『そうかしら? それ専用の恋人を作ることくらい、あなたにとっては朝飯前でしょう?』

シャツのボタンを留め、フィッティングルームの扉を開ける。
風見はソファから立ち上がると、まっすぐに僕を見つめた。

「降谷さん……すごく、似合っています」
「風見……いや……裕也……。ここは、秘密が守られるプライベートな空間だから……」
「えーと……零。……すごく、すてきですよ……」
「……なあ、裕也。昨日のここ、うまく隠れているか?」

首元に指先を添え、上目遣いでたずねれば、風見が照れくさそうに受け答える。

「ああ……はい。隠れてます。すみません。自分が昨日……調子に乗ったから」
「いや……僕も、少し、昨日は、はしゃぎ過ぎたから。……反省しなくていい」

こうなるように、仕向けたのは僕だから。

 

三週間前のこと。
“大物”との関係づくりを円滑に進めるため、僕は風見と恋仲になった。
相手は『金と権力』『裏社会の情報』それらすべてを持ち合わせている。対して、僕の手札は少ない。
だから、手段を選べなかった

――恋人との情事の跡を残した体に、恋人と選んだ服をまとい、恋人の見送りを受けながら約束の場所に向かう

その人物は高齢で、男根が使い物にならないらしい。だからだろうか? 歪んだ行為によって、欲を満たす。

ベルモットを介し、僕が”大物”と結んだ契約。
彼から直接仕事を請け負うことに加え、僕は恋人への裏切り行為により男を満足させる。
これから、どうなっていくのか……?
具体的なことはわからない。顔合わせについてベルモットから受けた指示は二つ。指定された時刻に新幹線に乗り込み、次の駅で降りること。そして、その駅で迎えに来た男と……

「ふる……えーっと……零。ジャケットは、これで、どう?」

ぼんやりとしている僕をよそに、風見は仕事をすすめる。

「えっ……ああ。すまない。ちょっと考え事をしてた」
「……疲れてるんじゃないですか? 係の人に頼んで、なにかあたたかい飲み物を頼みましょうか?」
「じゃあ、カフェインレスの飲み物で、なにかあたたかいものを」
「はい。では、頼んできます!」

……いや、これは、仕事ではなく、恋人としての愛情表現かもしれない。
覚悟を決めていたはずなのに、心が重くなる。
そして、着るのはジャケットなのに、僕は再びフィッティングルームに入り、巨大な鏡の前でため息をついた。

――重要人物と近づくために、風見の感情を利用する。

つい一か月前まで、風見は僕に一切の恋愛感情を抱いていなかった。
だが、三週間ほど前。僕から突然の告白。風見は、その求めに応じ、僕の恋人になった。

『……降谷さん、この前の告白の返事……なんですが。自分、男性相手というのは初めてで、よくわかりませんが……。しかし……なんといいますか、俺、あなたとなら、付き合えるなって思ったし。そういったもろもろをする自分たちを想像した時、ぜんぜん嫌じゃなかったです……』

ジャケットが、僕の体に、しっかりなじむ。
上等な品物とはいえ、既製服の中から、これほどまでに僕に合う服を見つけてくる風見の目は確かだ。
フィッティングルームを出る。それから、風見の前で、くるりと一周回って見せた。

「どうかな……?」
「ああ。お似合いです……とっても!」

ニカッと、風見が満面の笑みを浮かべた。わかりやすい。
現場ではどうにか取り繕っているものの、基本的に、彼の表情に裏表はない。
僕は、はにかみ、そして、人差し指で風見の手の甲をさすった。

「ふる…」
「れい……だろ?」
「……れい」
「君は、本当に、僕の服を見立てるのが上手だな」
「え、ああ……はい。係の方も手伝ってくれたので……」
「そうか」
「それに……」

風見が僕に耳打ちする。

(昨日の晩で……あなたの体のことが、さらによくわかったので)

低く、色っぽく、しっとりした声。その甘さに、持っていかれそうになる。

「調子に乗るな」

照れ隠しのように、僕は言う。風見の体を押しやりながら、努めてそっけない声で。体の芯から湧き上がる衝動と、昨晩の刺激的でありながら穏やかな夜の記憶をかき消すために。僕はつんとした態度で、風見をあしらった。

時計を見る。約束の時間まで、二時間を切っている。少し、ゆっくりしよう。

僕らは、応接用のソファに、隣り合わせでこしかけ、運ばれてきたハーブティーを飲んだ。
その姿は、監視カメラと盗聴器越しに、例の男に届く。
下の名前で呼び合い、それなりに近い距離で言葉を交わす僕らは、本物の恋人同士に見えることだろう。

だが、これは、偽りの恋だ。

きっと、風見はわかってくれる。彼は根っからの公安刑事だから。僕らは時に、非情な手段を用いて、目的を成し遂げる。
僕の恋人役は、だれにでも務まるわけじゃない。嘘の中にはいつも少しばかりの真実を。やはり、僕と風見でなければ、この作戦は成功しない。少なくとも、風見はこの恋が本物であると信じている。
真実を知った時、風見は、傷つくだろうか……? そのことが少しだけ怖い。
この数週で知ってしまった。彼が、僕を、とても大事に思ってくれているということを(たとえ、それが恋でなかったとしても)。

 

 

錦座を後にし、新幹線の駅に向かう。事前に送られてきた乗車券をもう一度確認し、風見と二人、改札を抜けた。
それから、駅中の立ち食い蕎麦で、かけそばを注文する。先ほどのブティックとは大違いだ。
七味をばさばさと、ふりかけている風見をしり目に、僕はもしかしたらこれが最後の食事になるかもしれないなんて、そんなことを考えた。

――風見は”最初から”これは仕事であると気がついていたのかもしれない。

新幹線のホームに向かう道すがら、彼は僕に「誰に会うのか」をたずねた。
いつもであれば、一度はぐらかしてしまえば、それ以上は追及してこないのに。今日はしつこいほどに質問してくる。
僕を心配する風見の感情は、偽りのない本物だ。そこには、確かに愛がある。

だから。

去り際。僕はどうしても”裕也の”顔を見ることができなかった。

――偽りの恋を、本物にするわけにはいかない

新幹線に乗り込み、意識をバーボンに切り替える。
発車直前だというのに、車両は、空っぽだった。緊張に、鼓動が速くなっていく。恋に悩む暇もないほどに、僕の仕事は忙しい。

 

 

【あとがきなど】

風見が、お見送りに来ていた理由を真剣に考えていたら……
真剣に考えすぎて、一周回って、性癖に走ってしまいました……
仕事のためだけに、風見をそそのかして、おつきあいしちゃう降谷零です。
偽りの恋にとどめなければならないのに、うっかり、ガチ恋になってしまいそうで、戸惑う降谷零です。

そして、偽りであろうと、なんであろうと……数時間後には、別の男に抱かれる予定の降谷零です。

「大物」さんの性癖を厄介なものにしてしまって申し訳ない……
そして、不能設定を付与してしまって、マジで申し訳ない……

 

 

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