〇風見裕也の覚悟を、愛しいと思う降谷零のお話。
〇風見が、毎日を楽しく生きてるのって、いろいろな覚悟を決めてる人だからじゃないかな……って思ってる。
※風見の親族ねつ造
風見と出会ってすぐ。
「君、ずいぶん、いい時計をしているんだな」
ハンドルを握る風見の左手首に、一目見てわかるほどに、高価な腕時計がはめられていることに気がついた。
「ええ。おかげで、貯金はなくなりましたが」
「なんだ、自分で買ったのか?」
「まあ。一応」
別に、ブランドの時計になんて、興味はなかった。
だが、潜入先で、探り屋などという賤業を始めてから、調度品や高級品についての知識を深めた。
情報を求め、巨額のカネが動く世界。「いいものを見分けることができるか?」値踏みされることが、しょっちゅうある。
探り屋を続けるために、ものの価値を知らなければならない。そして、なぜ、それが価値を持つのか。根拠となりうるストーリーについても学ぶ必要がある。
自分より、一つ年上の男。ただの一公務員に過ぎない彼がつけるに、その時計は、いささか……
「部不相応、だと思うでしょ?」
漠然と思い浮べていた言葉を、言い当てられ、ほんの少し動揺する。
「いや……」
「承知の上ですよ。先輩にも、笑われましたから」
確かに、その時計には、少しの背伸びを超えるほどの価値がある。
信号が赤になり、ゆっくりと、車が制止した。
「俺の爺さんが」
「うん」
「昔、世界を放浪してて……で、置き引きにあって、素寒貧になったことがあったらしいんです。場所はどこって言ってたかな……? まあ、ヨーロッパのどこかで」
「……ホォー」
「そんときにね。金の懐中時計を質に入れて、そのお金で、どうにか、旅を続けて日本に帰ってきたらしいんですよ。まだ、円ドルが固定相場だったころの話です……」
「では、君も、それで?」
「まあ、時計はいいものを持てっていうのは、風見家の家訓みたいなものです。それに……」
風見が右手で、時計の盤面を撫でた。
「金は、あの世には持っていけないですからね」
風見は、表情を少しも変えず、そう言った。そして周囲の状況確認を怠らない。
「……そうか。しかし、困るんじゃないか? 将来、嫁さんをもらう時に、貯金がなかったら」
僕は、冗談めかしてたずねた。
「そしたら、この時計を、質に入れるまでですよ」
堂々とした受けこたえに感心する。ただの堅物だと思っていたが。
なるほど、この男は、なかなか使えるかもしれない。
理屈ではなく、肌で、そう感じた。
風見裕也は、あの世に行く覚悟を決めている。
彼の左手首に輝く、高級腕時計は、その証左なのだ。
あれから、数年が経って。
風見は腕時計を変えた。
安物ではないが、質入れしたとしても結婚資金には、到底届かないであろう、それ。僕は、妙なさみしさを覚えた。
急に、金が必要になったのかもしれない。
なんの報告を聞いていないが、突然、結婚が決まったのかもしれない。あれこれと、さまざまなことを考えた。
しかし、腕時計を変えた理由をたずねる理由もなくて。だから、真相はわからないままだ。
とはいえ。
さすがに、数年、僕の側にいただけあって。風見は、僕の疑念に気がついていた。
公園のベンチで背中合わせ。風見が僕の弁当を食べながら言った。
「降谷さん……腕時計、どうしたんだろうって思いました?」
「……まあ、変えたことには気がついていたが」
「みなさん、結構、すぐに気がつくんですよね……。質に入れるくらいなら、俺に売ればよかったのにとか……。まさか盗まれたんじゃないかとか……言いたい放題」
「ホォー……」
「まあ、全部、適当に流したんですけど……降谷さんには、本当のことを言っておきますね」
僕は、ドキリとした。
なぜ、僕にだけ、本当のことを? と。
いや、それは、僕らの関係が、ゼロの捜査官と右腕という特殊なものであり。どんな些細なことであっても、共有する必要があるからだ。
頭では、そうわかっている。
しかし、彼にとって、あの時計は、彼なりの覚悟だったはずだ。そこに、どのような、心変わりがあったのか知るのがおそろしい。
「実は……俺、ですね…あなたに頼まれて毛利小五郎のことを調べているうちに……」
「ああ……?」
毛利小五郎の名前。思いがけない切り口だ。
「沖野ヨーコさんのファンに……なってしまいまして」
「え?」
僕は、思わずふり向きそうになった。
それはそうだろう。それが、腕時計の話と、どうつながるのかよくわからない。
「それで……ですね。降谷さん。時間は巻き戻せないじゃないかですか?」
「……ああ、そうだな」
いろいろと、問い詰めたい気持ちを抑えながら、風見の言葉を待つ。
「アース・レディース時代のグッズとか……初版CDとか……今買おうとすると、結構プレミアがついてて……」
「まさか、君……」
「ええ。時計を売りました……。思いのほかいい値が付いたんですけど……今度のヨーコさんのツアーグッズを全種買いして、それで……あの時計を売った金は消えます」
なんと言っていいか、わからなかった。
この堅物が、そんな理由で、三ケタはするだろう時計を売り、散財するとは、少しも想像していなかった。
「なかなか、豪快な金の使い方だな」
なんだか、白けた気分だ。あきれて、ものも言えない。だけど
「まあ、金はあの世に持っていけませんので」
という、風見の言葉を聞いて、僕は笑った。
「あ……いい年して、アイドルに熱をあげるなんて……変、ですよね」
「……いや、違うよ。僕が笑ったのは」
「なんです?」
「うれしいんだ」
あの腕時計は、どこかに売られてしまったが。風見裕也の覚悟は変わらない。
「……そうですか? まあ……降谷さんがよろこんでくださるなら……」
「ああ。ポアロ常連の女子高生が言ってたけど、推しは推せるときに推しておけ……って格言があるらしいぞ」
「なるほど、肝に銘じておきます」
明日ここに、僕らが存在している確証なんて、どこにもないのだから。
「風見」
「……はい」
「ありがとう。君が、相変わらずで、うれしいよ」
風見が、こちらをふり向く前に。立ち上がり、姿をくらます。
「降谷さん……? あれ?」
ベンチで、きょろきょろと辺りを見渡す風見をしり目に、キャップを目深にかぶる。
あの世に。どころか、地獄に行く覚悟を新たに。僕は、バーボンとしての仕事に向かう。
【あとがきなど】
風見裕也も、降谷零も死ぬ覚悟決めてるから……
ブレイクダンス決めることができるんだって、そう思っている。