初出:2021年2月28日 pixiv
【注意】
降谷さんが風見裕也のことを、とんでもない色男だと思っているお話。
風見さんが、ちょっとだけ酷い男かもしれません。
年齢指定をつけるほどではありませんが、性的な表現があります。
警視庁公安部きっての色男が、また女を泣かせたという。
久々に立ち寄った警視庁のフロアでそんな噂を耳にした。
それは、名誉か不名誉か。
時代をさかのぼれば「英雄色を好む」などと、語り草になったかもしれない。しかし、このご時世だ。そのような考えはアナクロニズムもいいところである。
だが、残念ながら、色恋沙汰というものは、本人の意思だけではどうにもならないことがある。また、親密な関係に対する感じ方も人それぞれだ。模範的警察官であるよう指導することはできても、模範的恋愛を推奨することは、あまりに難しいと僕は考える。指導の仕方を少し間違えれば、プライバシー権の侵害やセクハラになりうる。そもそも、模範的恋愛とはなにか? それを定義することは難しい。
公安部きっての色男が誰であるか。その名前を口にするものはいなかった。
それは彼らの情報 ――ことに捜査員の個人特定がされるようなものに対して―― の取り扱いに対する姿勢によるものか。あるいは「公安部きっての色男」で通用してしまうほどに、彼のたらしぶりが有名なのか。
結論から言えば、どちらにも該当するのだろう。
世間話の時でさえ情報の扱いに留意するというのはこの職に就いたものの宿命であるし、僕の知る「公安部きっての色男」は、その通り名に恥じぬ、たいへんな色男だ。
僕は他者に対して冷静でありたいと考えるし、そうあるよう努力してきた。
指揮官は中立公正でなければならない。大勢の捜査官を率いて、作戦を成功に導くためには、個人的感情はじゃまになる。
したがって、右腕をつけるという話が出た際も、特別な存在を作るということに対して、気乗りしなった。
そうはいっても、自分の心がけ次第で、どうにでもなるとも考えた。ようは場面に応じて、切り替えができればいいのだ。ゼロの捜査官として右腕の力を借りるとき。指揮官として現場を監督するとき。その二つの使い分けができれば問題はない。
僕は、日ごろから、トリプルフェイスとして活動し、場合によってはさらにいくつかの顔を使い分ける。したがって、同一人物に対する態度を場面によって変えるなど造作ないことである。
……と、考えていた僕は、侮っていたのだ。公安部きっての色男の本領を。
あまり庁舎に立ち寄らない僕ですら、その噂を何度か耳にした。
例の男は、大変にモテるうえ、本人もなかなかの女好きであることから、多くの女性と関係を持っているらしい。女性は、そういった諸々を納得した上で彼との行為に応じている。彼自身もスマートな男であり、女性と一緒に居る時は可能な限り最大限に相手を大事にするとのことだ。
男は「きれいに遊ぶ」ことが上手らしかったが、相手の女性が自分の気持ちをコントロールしきれず彼の遊び相手から脱落することがある。結果「泣かされた女の一証言」が出回るのだ。
大半の女性は、多少の精神的苦痛に耐えてでも、彼にしがみつきたいと考えるらしい。したがって、彼が、何人の女性と関係を持ったか実態は不明である。もしかしたら、あまりに多すぎて、彼自身も把握していないかもしれない。
さて、その色男は、今日も僕の右腕として働いているわけだが、自分が女性に対して魅力的であることは自覚していても、男性に対してどうか……ということについては無頓着であるらしい。
今日の電話も、ひどいものだった。風見裕也という男は、なにせ声が色っぽい。対面で話す分にはまだいい。しかし、受話器越しに響く声。それも、周囲を気にしてか細く絞った声なんてのは最悪だ。どうしたって、耳元でささやかれるような錯覚に陥る。
ゼロの捜査官として感情コントロール術を身につけている僕ですら、油断すると持っていかれそうになる。きっと、あの声で何人もの女性を魅了してきたのだろう。したがって、電話は基本的にこちらから要件を伝えることを主とし、話し終えると同時に切るようにしている。
そもそも、風見裕也は他者に与える印象がとてもいい。
初顔合わせの時、彼は、たいへん一所懸命な挨拶をしてくれた。そして、僕が握手を求めれば、にっこりと笑顔を見せた。
身長は僕よりも少し高くて、骨格はかっちりしており、学生時代に何らかのスポーツに打ち込んでいたのだろう。首から肩・胸にかけて筋肉がしっかりついている。それでいて、背広やシャツは体になじんでいて服飾に対してそれなりの費用をかけていることがわかる。さらに、短く切りそろえられた髪。それは、とてもいい黒色だ。切れ長の目はクールな印象を与えたが、笑うとほんの少し糸目になって、とても優しい顔になる。鼻の形はしっかりしていて男らしく、広めの額は彼の聡明さを象徴するようだった。
すぐに分かった。目の前の男こそ、噂の「警視庁公安部きっての色男」であると。
――この僕が初対面にして、あてられた。
少しの敗北感と、高揚感。
風見裕也とは適切な距離を保つべきだ。そうしなければ、彼の魅力にがんじがらめにされてしまう。
そうは思ったが、どうもうまくいかない。
僕は、なにかと理由をつけて、風見を食事や酒の席に誘った。
カレーを食べに行けばデザートを注文して一緒に居る時間を引き延ばそうとしたし、飲みに行けば当然二軒目に誘うし、草野球の助っ人に風見を招聘したこともあるし、なんなら、洋服選びまで彼に一任している。
上司の権限を使って、僕は、風見の時間をもらう。
だから、かもしれない。
風見が時折、極度の寝不足に陥るのは。僕からの拘束時間が伸びたことにより、女性関係との両立が難しくなり、睡眠時間にしわ寄せがいっているのだろう。
このままでは業務に支障が出るかもしれない。彼の女性関係に対して、直接的な指導をすることは、ばかられるが、釘を刺すくらいはしてもいいだろう。
そう考え、僕は定期連絡の後、部屋に風見を寄せた。
思いがけない来客にハロはずいぶんとはしゃいだ。色男とは、犬に対しても、その本領を発揮するのだろう。ハロは風見と遊ぶのが大好きだ。
僕がお茶を入れている間に、ハロと遊ぶよう指示を出せば
「ワンちゃん! ひさしぶりだな」
風見は、とても楽しそうにハロと戯れた。ハロもすごくよろこんでいる。
やがて、お湯が沸騰し、お茶の準備ができる。食卓に座り、対面で向き合えば、風見は真剣みのある表情で僕を見つめた。
目がばっちり合ってしまう。眼鏡のレンズ越しに、その瞳を見つめる。
視線をそらさなければ……と思うが、同時にずっと見つめ合っていたくもある。
異様な雰囲気を察してかハロは別室に移動した。
「あの、降谷さん、用事というのは?」
真面目な話をするとき特有の、いつもよりも少し低い風見の声。その顔が、その声が、業務時間外だからって、ちょっとゆるめたネクタイが……すべて問題だと僕は思う。
上司と部下という関係じゃなければ、あさましくも彼のことを求めかもしれない。
だが、僕は彼の上司であり、女性関係に起因する寝不足について釘を刺さねばならない。
「なあ、君……公安部きっての色男の話。部署内で、話題になっているのは知っているか?」
まずは、探りを入れる。
「らしいですね」
風見の表情は崩れない。余裕を見せるなんて卑怯だと思う。かっこいい。
「その色男はさ、はたして何人くらいの女性と関係を持っているんだろうな……」
「あー……たぶんですけど、現在進行形で10人くらいですかね?」
あいまいな答え。しかし10人は少し多すぎるように思う。
「……10股か」
相手が10人となれば、月一回ずつの逢瀬であっても、3日に1回は誰かと行為している計算だ。
必ずしも、性行為は伴わないかもしれないが、激務の合間を縫ってデートを重ねていれば必然と寝不足になるだろう。
「体がもつのか……? それ?」
「うーん。……あけすけな話をしますが、どうも女の子の方ががんばってるみたいですね」
まるでひとごとのように、風見は言った。
たしかに、女性の方が奉仕するというスタイルであれば成り立つのかもしれない……と考える。そして、なぜか風見に奉仕する自分の姿を想像してしまった。体が熱くなる。情けない気持ちだ。
でも仕方がない。風見が、あけすけ……というか、えっちな話をするのがいけない。
「あの、降谷さん?」
このタイミングで、その声で、僕の名前を呼ぶのは、やめてほしい。
「風見」
「……はい」
「ちょっと……僕がいいと言うまで、黙っていてくれ」
その言葉に、彼はうなずいた。風見裕也……僕に対してはこんなに従順なのに、ベッドの上では女性を従わせているというのか? ちょっと理解が追いつかない。頭が少々混乱する。
とはいえ、言うべきことは、言わねばなるまい。
「風見。僕は、警察庁公安部の職員だから、君たちを指導する立場にある。しかし、これは僕個人の考えであるが、基本的に私的な交遊関係にまでは口出ししたくない。だが、状況によって仕方ないこともある。例えば、そういった交遊関係にいそしむあまり、本業に影響が出た場合などだ。加えて、上司は部下の健康状況に気を配り、部下が健やかな社会生活を営めるよう支援する責任を担っているとも考える。たとえば、過剰な女遊びが性依存によるものであれば、いい病院を紹介するし、場合によっては定期的な受診や治療プログラムに参加しやすいよう合理的配慮をする必要がある……。とまあ、そういうわけだ。……君自身は、この問題についてどう考える?」
風見は少々、驚いたような顔をしてこちらを見た。
自分では、うまくやれていると思っているのかもしれない。
「え……? 俺の意見ですか? そうですね……あいつに関しては、もう少し自重した方がいいんじゃないかと、個人的には思っているんですけど……いかんせん業務はきちっとこなす男です。数年前に一度、当時の上司から指導を受けて、一か月ほど禁欲生活を送ったらしいんですけど。途端に、ぼんやりする時間が増えて……。結果的に、あいつの女遊びについては容認という形になったと聞いてます」
「あいつ?」
「ええ、だって、公安部きっての色男と言えば……」
風見の発言に、僕の混乱は深まる。
そして
「君じゃないのか?」
墓穴を掘った。
「……え?」
「だって、君の声とか聴いてると、僕、本当にだめだし。さっきも、つい、君とそういうことしてる自分を想像してしまったし……。君は色男であり、そして、君のセックスアピールはちょっと尋常じゃない」
僕は、とても大きな墓穴を掘ったのだ。
「いやいや。ちょっと待ってください。いいですか降谷さん。公安部きっての色男は、俺のことじゃないですよ」
「……でも、しかし、君すごくセクシーだし……」
「いや、俺、セクシーとか言われたことないですよ。まあ、声に関しては褒められたことあるので、そうかなとは思うんですけど」
「……じゃあ、公安部きっての色男じゃないにせよ、君はすごくモテるだろ?」
その問いに、風見は少し首をかしげてから
「いや……人並程度じゃないですかね?」
と言った。
「人並程度の男が10股なんてしないだろ?!」
「いや、だからそれ、自分の話じゃないですよ。あいつの話ですって」
「じゃあ、なんで……? 僕は、感情のコントロールには自信がある。今までだって強い感情の波に揺さぶられても、どうにかやり過ごしてきた。その僕が、君の声を聴いただけで、冷静さを失いそうになるんだ? どう考えても、君に問題があるだろ……!」
まさに今、僕は冷静さを失っている。
「……あのー。降谷さん、それ、単純に降谷さんにとって俺が魅力的なんじゃないですかね?」
「え……?」
「なんか、そういうのあるじゃないですか。たとえば、B級映画だけど、この映画が一番好き……とか」
「ああ、あるだろうな。そういうことは」
「つまり、そういうことです。世間一般とは、ちょっとずれたところにつぼがあると、そういうことも起こりうるわけです」
風見の説明を受けて少し冷静になった。
「まあ、俺はあなたの右腕ですから。そんな風に、妙にツボに入っちゃってもいいんじゃないですか? 少なくとも、そりが合わないよりはましでしょう」
「そうか……? でも、僕のそのツボは、君が思っている以上に浅いところにあって、ちょっとした刺激でも電流が走るくらいの衝撃があるんだ」
「……それは、なかなかですね」
「君、声をもう少し……そのー、なんていうか、間の伸びた感じにできないか?」
「ええーっと、ゆっくり、しゃべればいい……です、かね?」
「あ、だめだ、それはれでいい」
本当に、どうしたらいいのだろうか?
「降谷さん、両価的感情を抱いている時、どちらか、片方の感情に肩入れをするのは悪手です」
「ああ、それはそうだな。君に心惹かれる自分と、それを禁じようとする自分……今の僕が、後者に対して肩入れしているのは事実だ」
「そうです」
「人間の心はあまのじゃくだからな……禁じられているからこそ、余計にそれを求めたくなる」
「ええ。ですから、俺への感情や衝動を抑え込もうとするのではなく、いっそのこと容認してしまうというのはどうでしょう?」
風見の提案に、心が揺らぐ。
「つまり、君への感情や衝動を抑えなくていいということだな?」
「そうです」
自分の感情や情動を一度受け入れ、それを飼いならしていく。これなら、なんとかなりそうな気がする。
しかし、一つ懸案事項がある。
「でも……セクハラに該当してしまうのではないか?」
「安心してください、俺、今フリーですし。降谷さんに、そういう風に思われるの、全然嫌じゃないです」
「そうか……じゃあ、お言葉に甘えて……さっそくお願いしてもいいか?」
「いいですよ」
「なあ……風見。……僕を抱いてくれないか?」
風見は、下を向いて笑った。
「え……なんで、笑うんだ? だって、君が、さっき……ちょっと、えっちな発言したから……僕」
「そんな発言しましたっけ?」
「ほら、女の子の方ががんばってるとか、そういう……」
「あー……あれが、えっちになっちゃうんですね」
「かざみ……だめだ、えっちとか言うな。僕、本当に君の声がだめで……」
風見への想いを容認したが、感情を飼いならすどころではない。むしろそれは悪化したような気がする。心じゃない。体全体が切なさを訴えてくる。
「ごめん……抱いてほしいなんて……いきなり」
「あ、いえ。びっくりしちゃっただけです。それに……まあ、降谷さんならいけると思うので」
「僕なら、いける……?」
「ただし、部屋の明かりは少し残して、降谷さんの顔がわかる状況でお願いします」
「……? なんか、それ、すごく恥ずかしいやつじゃないか?」
「俺に顔を見られるのが、恥ずかしいです? でも、俺、男を抱いたことないですし。最後までいけるか自信ないんですけど。降谷さんの顔見ながらなら、いける気がするんですよね」
最低なことを言われている気がするが、でも、そんな悪い風見も、かっこいいと思えてしまって、僕はもう本当にだめかもしれない。それに、明るい中なら、僕も風見のそういう顔を見れるわけだ。
「僕の顔、好きなのか?」
「ええ。とてもかわいくて大好きですよ」
「……ありがとう、嬉しいよ」
「あー……降谷さん、お顔……」
「なんだ?」
「なんか、ちょっと、えっちな感じになってますよ」
風見が僕をからかって笑う。
人並にしかモテないなんて、絶対に嘘だと思いながら僕は彼に身をゆだねることにした。
そして、ベッドの上で揺さぶられながら、公安部きっての色男って、やっぱり風見なんじゃないかと疑ったが、やがて思考はとろけ
気がつけば朝になっていた。