『Omoide in my lover’s car』
風降小説・全年齢・WEB再録集(再録5本+書下ろし1本)
文庫(A6)/44P(表紙込/目次など4P)(文字数:1.8万字程度)
書店頒布価格:660円(税込)
とらのあな様: https://ec.toranoana.jp/joshi_r/ec/item/040030926920/
発行日:2021/8/29
【ゆりかごのような】
※4000字ほどのss
※サンプル1600字
よりによって、上司の運転する助手席で居眠りをしてしまった。
「風見、着いたぞ」
と、声をかけられた時の絶望と言ったらない。失態続きの一日だった。入念に準備を重ねて、犯人を追い詰めたのに、俺はしっかりと撒かれた。
『僕はここに待機している。君は犯人をここに追いこんでくれ。二人で挟み撃ちにして確保しよう』
『降谷さんのお手を煩わすまでもなく、俺がお縄にかけますよ』
あんなこと言わなければよかった。心底そう思う。
日頃の健康管理についてお小言をいただき、俺は、それなりにへこんでいた。
睡眠を削ったのも、食事をおろそかにしたのも、よかれ、と思ってのことだった。俺には、寝食より優先すべきことがあると考えた。
降谷さんの仕事が、円滑に進むように。生存確率が、少しでも上がるよう。そうやって自身の世話をおろそかにした結果がこのざまだ。
降谷零という男が、簡単にやられることはないと理解している。けれど、今日の犯人は刃物を持っていた。俺が犯人に撒かれたことで降谷さんの背負うリスクが上がったことは事実である。
そんな失敗の直後に、上司の運転する助手席眠りこけてしまったのだから立つ瀬がない。降谷さんのおすすめの焼き鳥屋。長い説教を覚悟する。
「君な、上司の運転する車で寝るなんて……ちょっと、どうかと思うぞ」
「す、すみません……」
「……眠ったこと自体を責めているわけじゃない。そのコンディションで現場に出たあげく僕の愛車を運転しようとしていたことについて反省を求めている」
「はい……今後は、このようなことがないように健康管理に気をつけます」
「……よし。じゃあ、ここから先は息抜きの時間だ。適度な息抜きも健康増進には必要だからな」
ずいぶんと短い説教だった。いや、説教というよりも、俺を慮る言葉だったように思う。
「いいか? 砂肝には鉄分や亜鉛が豊富に含まれている。そして、鉄分や亜鉛は、ビタミンCと一緒に摂取すると、吸収効率があがる。レモン汁かけてもいいか?」
そういえば鉄と亜鉛には疲労回復の効果があったな……なんて思いながら。俺は中ジョッキに、口をつけた。
医者の不摂生という言葉があるが、上司の不摂生という言葉は存在するだろうか。先日、俺に十分な睡眠とバランスの取れた食事をとるよう説いたわが上司は、どうやら寝不足らしい。『降谷さんだって寝不足になるんじゃないですか』と言ってやりたい気がしたが、ぐっとこらえる。
庁舎での打ち合わせを済ませ、降谷さんを現場まで送っていくことになった。白いRX-7。運転は俺、助手席は降谷さん。現場までの所要時間はおおよそ三十分が見込まれる。
「降谷さん、着いたら声をかけますんで、仮眠取ってくださいよ」
「仮眠?」
「……寝不足、でしょ? 顔に出てますよ?」
降谷さんは、不機嫌そうに、助手席のサンバイザーを下ろし、備え付けの鏡をのぞき込んだ。
「え……? そんなとこに鏡ついてたんですか?」
「ああ……。身だしなみチェックのためにルームミラーを動かされるの好きじゃなくてな……。自分でつけかえたんだ」
「助手席で……身だしなみのチェック……ですか? ああそうか。女性を乗せる時もあるんですね?」
「言っておくが……君が思っているような関係じゃないからな」
ギロリと降谷さんが俺をにらんだ。
「え……ああ、いや。別に、そういうのを疑ってるわけじゃないんですけど……一応、これ……公用車ですから」
「そんなの、君に言われなくてもわかってる」
……失言だ。以前も、部屋に女性をあげてるんじゃないかと失礼な質問をしてしまったことがある。
なぜだか俺はこの人に親しい女性がいるのではないかということが気になって仕方がない。
「しかし……君にはわかってしまうんだな」
「え……? 女性を車に乗せてるってことですか?」
「……そっちじゃない。僕のコンディションのことだよ」
「え? ああ……まあ、そりゃあわかりますよ。俺は、あなたの右腕なんですから」
「そうか……」
「ええ。……というわけで、現場に着くまでの間、仮眠取ってくださいね」
「ありがとう。だが、寝れない事情があるんだ」
「はあ……? そうですか」
「ああ、そうなんだ」
言葉の通り、降谷さんは一睡もしなかった。