【エアコミケ2新刊】愛と仕事、仕事と愛【サンプル】※在庫なし

【注意事項】
※ねつ造がたくさんある(風見さんの所属先とか……二人の過去とか…とにかくたくさん!)
※降谷さんが、とても不器用。貞操観念が少し緩いかもしれない。
※オリキャラやモブがやたら出てくる
※風見さんが、風俗店やストリップ劇場に出入りする

通販はこちら🐯から


 

【愛と仕事、仕事と愛(サンプル・冒頭部分)】

七月中旬。東都は一週間前に梅雨明けしたばかり。猛暑日が続き、本日もひどく蒸し暑い。
夕刻、警視庁公安部の休憩スペース。風見裕也は、冷たい缶コーヒーを飲んでいる。今日は、とても忙しい一日だった。

朝一で上司に呼び出される。そして、十一時からの会議に間に合うよう資料を作れと指示される。パソコンにはりつきキーボードをたたき続け、資料が出来上がった頃、会議はすでに始まっていた。大急ぎでコピーをかける。
会議室に駆けこむ。時刻は十一時十七分になっていた。初老の上司は風見から資料を受け取ると
「では、いまから資料をお配りします」
涼しげな顔で言った。風見はハンカチで額の汗をぬぐい、参加者一人一人に資料を渡した。
「では、最初のグラフを見ていただきたいのですが……」
上司が資料に目を通した時間は、風見がハンドアウトを配り終えるまでの数分間。それでありながら、彼は記載された数字の意味を正しく理解し、適切な注釈をいれながら、自信たっぷりに意見を述べていった。
質疑応答に備え、上司の後ろに控えていた風見であったが、どうやら出番はないらしい。
警察庁からの出向組。キャリアにしては、出世が遅い方になるらしいが、それでも、ずば抜けて優秀な男。その後ろ姿を、風見は、少し複雑な気持ちで見つめていた。

風見は小学生の頃より運動や勉強がよくできたし、学級員になることも多かった。
中学生の頃、身長がぐんと伸びた。と、同時に視力がぐんと低下して眼鏡になった。二年生になり、友人の誘いで生徒会に入る。部活は野球部に所属。守備位置はファースト、打順は六番、最高学年になってからは副部長を任された。風見少年は、同学年の女子からの評判はいまいちだったが、後輩女子に人気があった。中三の夏、一つ下の後輩に告白されて、人生初の男女交際を経験する。ファーストキスもその子と済ませた。しかし、受験勉強でメールの返信が滞り、つき合い始めてから三か月後にふられる。
高校は地元の進学校だった。入学と同時にコンタクトレンズデビュー。高二の春に身長が一八〇センチを超えた。その年の夏休み、他校の女子とつき合い始め、冬休みに童貞を卒業。友達も多く、充実した三年間を過ごした。
大学は難関校に現役で入学。高校時代の彼女とは一年の夏休みの頃、自然消滅した。アルバイトは塾講師。サークルは草野球とフットサル同好会をかけもち。酒はまあまあ強く、麻雀は小さい上がりを積み上げていくタイプ。身長と人当たりの良さもあり、合コンの勝率はそこそこ高く、お持ち帰りをすることもしばしばあった。就活は公務員試験をメインに大手企業もいくつか受験。
卒後は、府中の警察学校を経て警視庁に入庁。その後、二十五歳で公安部に異動。現在、二十八歳にして階級は警部補。数名の部下を抱えている。
上を見上げればキリがない。
風見は、自分の立ち位置に多少の物足りなさを感じていた。それでも、彼は自分の人生を、それなりに愛している。
選ばれた者たちと同じ高さに登ることは難しいだろう。けれど、このまま努力を続ければ、そこそこ出世し、そこそこ社会貢献し、充実した警察官人生を送ることができるはずだ。

会議における上司の話の持っていき方は完璧だった。彼は、データと話術を巧みに使い分け、必要な予算を見事にぶんどった。退室のタイミングを見失った風見は、結局、会議の終わりまで、上司の後ろに控えていた。
二時間にもおよぶ会議が終わった。参加者たちが退室していく。その一人一人に頭を下げながら、風見は机のレイアウトを定位置に戻す。その背中を、上司が、ポンと叩いて去っていった。
遅い昼休憩となった。
風見は、カップラーメンにポットの湯を注ぎながら、会議の様子を回想する。自席に戻りカップ麺の容器をデスクに置く。腕時計で時間を確認する。そういえば、上司のしていた腕計はずいぶん高そうだった。
ふーっと息を吐き出し、ネクタイをゆるめる。風見は眼鏡を外し、クロスでレンズを拭いた。
コンタクトレンズをやめて、眼鏡生活に戻ったのは、公安部に配属されて数か月後のことだった。休みがあってないような生活。使い捨てコンタクトレンズを買いに行く時間を取れなかった。買い置きを切らした直後は、時間ができたら、すぐにでも買いに行こうと思っていたが、睡眠欲求に負け続けた結果、眼鏡に戻った。
拭き終えた眼鏡を装着し、カップラーメンの蓋を開ける。
風見は閉口した。眼鏡が真っ白にくもった。自分自身にあきれながら、割りばしで麺をほぐす。その瞬間、内線が鳴った。出たくはないが、出ないわけにもいかない。三回目のコールが鳴る前に、風見は受話器を取った。用件だけを伝える電話はすぐに切れた。
ため息をつくと同時に、ラーメンを食べ始める。そして、三分間で食事を終えた風見は、カップ麺のスープの処理を同僚に押しつけ、走り出した。
呼び出された先で、風見は、新しい仕事を頼まれた。最近、ふりあてられる業務が増えた。その理由を風見は知っている。管理者としての自分を試されているのだ。
一人で仕事を抱え込んでいるような男は出世できない。手元にある業務を、適切な配分で部下にふり分け、進捗確認しながら、必要な際にはフォローを入れる。それができなければ、部下を抱える意味がない。
頭ではわかっている。けれども、風見は現場で働く厳しさと楽しさを知っているがゆえに、自分が抱えている業務をうまく手放すことができなかった。
中間管理職とは難しい立場だ。自分の席に戻った風見は、与えられた仕事を分析し工程ごとにばらした。どの仕事を、誰に、どの程度、ふり分ければいいか。そんなことを考えていると、今度は、携帯が鳴る。電話に出れば、よく知る協力者の声。風見は、協力者と接触する必要があると判断し、神奈川まで急行した。

公用車で帰庁したのが午後四時。
協力者の寄越した資料を確認し、報告書を作成するうちに、時刻は午後六時を過ぎた。
重い体を引きずりながら、休憩スペースに向かう。自動販売機のコーヒー代をスマホ決済する。ふと、ふり返れば後輩がいる。当然、彼の飲み物代は、風見持ちになる。
「ありがとうございます」
「うん」
風見は、冷たい缶コーヒーを飲みながら、ぼんやりと窓の外を眺めた。空は見事なオレンジ色だ。
「風見さん、今日、忙しそうでしたね」
「まあな。今日はやたらとお座敷がかかる日でな」
「お座敷が……かかる? ですか?」
首をかしげる後輩。かつての自分を見ているようで、少しだけおかしかった。
「呼び出されるって意味だ」
「ああ。そういう意味ですか」
そんな話をしていたら、スマホが鳴った。画面を確認し風見は苦笑いする。
「またお座敷がかかったみたいだ」

その電話は、警察庁からの呼び出しだった。「急がなくてもいいが、できるだけ早く来い」との言葉に、風見は走る。
受付で名前を伝えると、会議室に通された。風見は備えつけの電話から、事前に指定された四桁の内線番号をコールした。電話は、すぐにつながる。相手は一言「迎えをよこす」と言って受話器を置いた。一人きりの会議室。風見は椅子に座ることなく、迎えを待った。
七分後、会議室のドアが開いた。警察庁からの呼び出しは、今回が初めてではないが、このような待遇は初めてだ。風見は、秘書と思しき男に案内され、執務室に通された。
重厚なドア、応接用のソファセットに、大きな木製のデスク。風見は自分の所属と名前を告げ、深々と礼をした。
「それでは」
案内の男が部屋を去る。部屋の主からソファを勧められ
「失礼いたします」
と、腰を下ろす。さきほど缶コーヒーを飲んだばかりなのに、のどの渇きをおぼえた。両手を軽く握り膝の上に置く。お偉いさんも、風見と向き合うようにしてソファに座った。
こうやって向かい合うのは初めてだが、風見は目の前の男の名前と輝かしい経歴を知っている。雲の上の存在。そんな人物が、命令系統を無視して直接自分を呼び出した。冷や汗が出る。不安と緊張でいっぱいだ。しかし、公安部の職員である以上、見かけ上は平静を装わなければならない。
「時間がもったいないから、単刀直入に言うけどいいか?」
「はい!」
思った以上に元気な返事をしてしまい、風見は恥ずかしさを感じた。お偉いさんの顔が少しほころぶ
「君をとある男の右腕にしたいと考えている」
「右腕、ですか?」
「ああ。君もゼロという名前くらいは聞いたことがあるだろ?」
「ええ、まあ」
そういう組織があるらしいということは知っている。だが、活動の実態は厚いヴェールに覆い隠されており、警視庁公安総務課に所属する風見ですら詳細を知らない。
ゼロという組織の概要と、右腕の役割について説明される。
そこまで聞いてしまえば、この案件を断ることができない。いや、知らされていなかったとしても、どのみち風見に拒否権はない。そう考えれば、今回の呼び出しは良心的ととれなくもない。
一通りの説明を終えると、男は脚を組み
「さて、何か質問はあるかな?」
と言って、ほほ笑んだ。
その所作の優雅さに圧倒される。言葉につまりそうになりながら、風見はどうにか質問をひねりだした。
「あの……どうして、俺が選ばれたんですか?」
「……ああ。今回の人事で、頭を悩ませていた時にな。ある男が言ったんだ。カザボウがいいと思うって」
「え?」
声をおしとどめることができない。まさか、ここで、その呼び名を聞くとは思わなかった。
――風坊(かざぼう)
かつて、風見をそう呼ぶ人がいた。

三年が経った今でも、公安部配属初日のことを、鮮明に思い出すことができる。
その日、風見は、新品のスーツを着込み、意気揚々と出勤した。
担当者より簡単なオリエンテーションを受け、フロアの案内を兼ねたあいさつ回りに出向く。風見をふくめ十七名の新入りが隊列を組んで、ぞろぞろ歩いていく。
あいさつ回りは、昼前に一段落した。その後、会議室にて、それぞれの持ち場が発表される。
「――班は――と、――……」
どうやら、新人は複数名ずつ既存の班にふり分けられるらしい。
風見の名はなかなか呼ばれない。そして、十六人目の名前が呼ばれた時、少し嫌な予感がした。
「最後。風見は――班」
予感は的中する。一人だけの配属になったのは風見だけだった。
「では、昼休憩に入る。一時にこの会議室を閉めるから、それまでに自分の配属先へ向かうように」
そわそわした気持ちで昼食をとった。通勤時にコンビニで買った、おにぎり三つと即席の激辛春雨スープ。他の同期と、少しの距離を感じる。別に、友達が欲しいわけではない。だが、新しい部署で、身近に同期もおらず、たった一人で……という環境に緊張しないほど肝が据わっているわけでもない。
昼食を食べ終え、研修資料を鞄につめる。十三時までは、まだ三十分あったが風見は早々に会議室を離れた。
公安部の仕事に昼休憩は関係ないらしい。フロアでは、多くの職員が動き回っている。風見は直立し、その様子を眺めた。
コーヒーを飲んでいた齢四十ほどの男が風見に声をかける。
「おう。でっかいの……今日からか? 班はどこだ?」
風見が班の名前を告げる。すると、その男は、なんとも言えない表情をして風見の肩をたたいた。
「……がんばれよ。あそこにドアがあるだろ? 君の新しい席は、たぶんだけど、あの奥にある」
不安がこみあげてくる。それでも、風見は、ほほ笑みながら
「ありがとうございます」
と、礼を述べた。顔は少し引きつっていたかもしれない。
殺伐としたフロアを横切り、ドアの前に立つ。深呼吸し、ノックすれば。「どーぞ」と間抜けな声が返ってくる。
「失礼します」
と断ってから入室すれば、そこは四畳半ほどの小部屋になっており、事務机が二つ並べられていた。奥の席には男がひとり。
「本日、配属になりました風見裕也です。よろしくお願いいたします」
「うん。話は聞いてる」
男は、手にしていた風俗情報誌をパタンと閉じた。
「昼休み一時までだろ? やる気があるなあ」
ものはよさそうなのに、くったりとしたスーツ。ゆるめに結ばれたネクタイ。年齢は五十を少し過ぎたくらいだろうか。
「じゃ、風坊、研修行くか」
そう言いながら男は立ち上がった。
こうして、わけもわからず、連れ出された先は、老舗のストリップ小屋。厄介なことになったと風見は思った。

ゼロの右腕。それも、あの「おっさん」が絡んでいるとなれば、かなり厄介な事情が絡んでいるだろう。風見が、所属長と相談した上で返事をしたいと申し出れば、あっさり許可が出る。
三日後の返答を約束し、風見は執務室を後にした。
警視庁の戻る道すがら、今日のうちに所属長をたずねるべきか考えた。しかし、帰宅することに決めた。今日であろうと明日であろうと、どうせ結論は変わらないのだ。
翌朝、所属長に声をかけるタイミングを考えながら出勤すると、自席にメモが貼り付けられていた。他でもない所属長からの呼び出しだった。あわてて内線をかけ、上司の所在を確認する。そして、風見は椅子に座ることすらせず、走り出した。
例の話は上司のところまで下りていた。
話は風見がゼロの右腕になる前提で進んでいく。警察庁への出向の話、従来業務との兼ね合い、仕事のふり分け。勤め人の悲哀。風見の希望が入り込む余地はない。
そこから先は、すべてが流れるように進んでいった。
出向までの期間は、わずかに二週間。協力者とのやりとりなどは、さすがに引き継ぐことができなかったが、それ以外のほとんどの案件は、きれいさっぱり風見の手から離れていった。

風見が警察庁に出向してから半月が経った。研修づけの日々。「ゼロの右腕」と言えば聴こえがよいが、その実態はゼロに尽くすなんでも屋に過ぎない。合法的なものから違法作業まで頼まれごとを滞りなく遂行するためには、幅広い知識と技術が要求される。
その日の研修は「鍵」に関するものだった。
小さめの会議室で、風見は講師と対面する。思わず息をのんだ。
目の前に現われたのは、ファッション誌のモデルのような美男子。
金髪につややかな褐色の肌。きらびやかなまつ毛に、ブルーの瞳が印象的である。すらっと伸びた手足に、細身ではあるが貧相ではない体躯が、ライトグレーのスーツを美しく着こなしていた。
鍵の仕組みと脆弱性に関する「実践的」講義。
きれいな形の手が練習用のドアノブに、針金のようなものを差し入れた。そして、ものの数秒で鍵を開けてしまう。
「さあ、君もやってみろ」
風見は指導されたとおりに手を動かした。しかし、開錠まで二分近くかかってしまう。空調は効いているはずなのに、額に玉の汗が浮かぶ。
「……もう少し練習が必要そうだな」
「はい。申し訳ありません……」
「いや。悲観するほど悪くはない。僕は、そろそろ次の仕事があるから、今日の講義はここでおしまいだ。僕が指導したことを、よくよく復習しておくように」
「お疲れさまです! ご指導ありがとうございました」
「……お疲れ。片づけ、よろしくな」
風見は深々と礼をして男を見送った。
そして、物品の片づけをしながら気がつく。講師の名前を聞き逃したことに。
出向の身とはいえ、半月も経てば雑談相手ができる。休憩室で鉢合わせた先輩にさきほどの講師に心当たりがないかたずねた。
「ああ、あの人か……。まあ、どうせすぐにわかるだろうから、名前は伏せておくよ」
「はあ……そうですか。では、有名人なんですね?」
「……まあ、有名人と言えば有名人だな」

九月。警察庁での研修も一か月が経過した。
そんな折、かねてからの協力者からの呼び出しがあった、風見は現場に急行した。久々の公安らしい仕事。協力者とやりとりし、次の指示を伝えていく。
協力者との接触を終えた風見は、警視庁に立ち寄り、一か月ぶりに自席と対面した。上着を脱ぎ席につく。そして、引き出しからチョコレートバーを取り出してそれをくわえた。
少し溶けたチョコをほおばりながら、風見は報告書作りに取りかかる。二時間後、完成した書類を提出し、警察庁に戻る。久しぶりの現場は楽しかった。
警察庁に戻ると、息つく間もなく、呼び出しがあった。
指定された会議室に駆け込めば、警察庁における上司と三十歳くらいの青年が風見を待っていた。
二人の表情は対照的だ。どっしりと構え穏やかにほほ笑む上司と、目をきょろきょろさせながら表情をこわばらせる青年。
「お待たせしてすみません!」
風見が頭を下げれば、上司が手ぶりで着席を促す。
「失礼します」
椅子に座り、改めて二人と対面する。青年の顔を見て、気がついた。風見はその男を知っている。
「今日は、君の新しい仕事について引継ぎを行う。もっと早くできればと思っていたのだが、前任者の都合がつかなくてな」
どうやら、この青年が風見の前任者であるらしい。風見は自己紹介し、彼からのあいさつを待った。しかし、青年は軽く会釈をしただけで、自分の名前を言うことすらしない。
異様な雰囲気が漂う。
「……後任の風見に伝えておきたいことはあるか?」
上司がたずねると、青年は首を横に振った。
「そうか。じゃあ、君は帰っていい。あとは私から風見に説明しておく」
青年は静かに部屋を去った。
こんな引継ぎがあってたまるものか。そんな気分になりながら、風見は上司にたずねる。
「さきほどの彼は、確か…公安一課の……?」
「知り合いか?」
「いえ、顔を知っているだけです」
「さっきの……アレな。これで三人目なんだ」
「何がアレで三人目なんです?」その言葉をぐっと飲みこむ。
「風見……そんな顔をするな。お前なら大丈夫だろうというのが、われわれの判断だ」

上司は、滔々と語る。ゼロの捜査官・降谷零と、その右腕を勤めた三人の男の顛末について。
降谷零の所属は警察庁警備局警備企画課。年齢は風見の一つ下だ。
さる巨大な国際的シンジケート。その組織は本邦においても、活発な動きを見せている。英語が堪能な降谷零は数年前より、仲間と共に組織への潜入捜査を開始した。
当時の降谷は、ほとんどの時間を組織の仕事に充てていた。そのかいあって組織から信頼を得ていく。そんな折、降谷は心的外傷が懸念されるような事件に遭遇する。
上層部は降谷を組織から引きはがすことを考えたが、別の人材を送りこむとなれば、新たに数年の月日を費やすことになる。何より、降谷がその仕事から引くことをよしとしなかった。
結果、組織の仕事を減らしつつ、警察庁職員としての時間を増やすという折衷案が取られた。その際、上は降谷に右腕をあてがった。
「ここまでで、質問はあるか?」
「その……降谷さんが遭遇した事件というのは?」
「それはそのうち……本人から……」
「はい……わかりました」
答えてもらえないことは、想定内だった。ならば最初から質問の機会を設けないでほしいと風見は思う。
上司は話を続ける。
降谷は優秀な人物であるが、少々、不器用なところがある。それを補えるような存在が必要だった。しかし、そう簡単に、ことは進まない。
上層部は降谷零という人間の特徴を考慮し、右腕に適任と思われる人物を抜擢した。だが、降谷は右腕になった男たちを、ことごとくスポイルしたのだ。
「スポイル、ですか?」
「まぁ……露骨な話をすれば肉体関係だな」
「あー……」
風見は降谷零を男だと思い込んでいたが、肉体関係と聞いて、その認識を改めた。
「どうもやら組織の仕事で、そういうやり方を覚えたらしい」
「いわゆる……ご褒美的な? ですか?」
「……。どちらかと言えば、その関係を盾にとって、部下を支配していく感じではないかと推察している」
風見は、さきほど対面した前任者の様を思い出した。実に厄介なことに巻き込まれてしまった。
「降谷さんという方、女王様気質なんですね」
「女王様?」
「ええ。だって彼女……肉体を武器にして部下を完全なる統制下に置きたがるんですよね?」
自分も骨抜きにされてしまうのだろうか。風見は不安になる。だが、
「風見。言っておくけど、降谷は男だぞ?」
という上司の一言で、不安は驚愕に上書きされた。
『零』という名の男が、右腕としてあてがわれた男たちと肉体関係を持ち、彼らを支配して使いつぶす。情報と感情の処理が追いつかない。
「まあ、君は女好きだと聞いているし…なんとかなるだろ」
「あの……俺を推薦した人は、そんな情報もあなた方に?」
「まあな。君には申し訳ないが、いろいろと聞いている。正直、あの人の意見を聞くのはためらわれたが、正攻法で攻めた結果があの三人だからな……」
「お前を選んだのはダメもとだ」と言われたような気がして、風見は少し腹を立てた。
「あの、一応、申告しておきますが。確かに、俺は女好きですし、男性と恋愛関係に発展したことはありません。しかし、一度だけ、竿付きのニューハーフと関係を持ったことがありまして。ですから、俺が降谷零と肉体関係を持たないという保証はいたしかねます」
上司の顔がゆがんだ。
「……やっぱり、あの人の意見なんて聞くもんじゃないな」

新たにスマホが一台支給された。降谷零と連絡を取るための捜査備品である。
新品のスマホを開封すると、風見はとりあえず待ち受け画面を変更した。初期設定のまま、一つのアプリも入れていないスマホなんて、怪しいことこの上ない。風見はメッセンジャーアプリをインストールし、続けてゲームや電子書籍リーダーを落としていった。アラサー男性らしいスマホづくりを。いっそのこと、マッチングアプリを入れてもいいかもしれないと思ったところで着信があった。
「もしもし……」
風見が電話に出れば、どこかで聞いたことのある男の声。それは、降谷零からの呼び出しだった。この声を聴いたのは、いつ、どこだったろうか。うまく思い出せない。
風見は、社用車を走らせ、指定された場所まで急行した。
待ち合わせは、雑居ビルの一室。指定されたオフィスのドアは閉まっている。スーツ姿にビジネスリュック。風見はドアの前で深呼吸した。
コンコンとノックをすれば「入れ」という、男の声。風見はドアノブに右手をかけた。しかし、ドアは開かない。ドアノブをガチャガチャさせていると、中の男が言った。
「どうした? 入ってきていいんだぞ」
ようやく、風見は状況を理解した、リュックからいくつかの道具を取り出す。
小型のライトと、針金状の金属。
しゃがみこんで鍵穴をのぞき、金属を挿しこんで中の形状を確かめる。構造はディスシリンダー錠。それほど複雑ではない。風見は、金属を引き抜き、多少の加工を加え、再度、鍵穴に挿入した。中をカチャカチャさせれば、シリンダーが回る。
ふうと、息を吐き、道具をポケットにしまい込む。風見は襟を正してから
「失礼します」
扉を開けた。
「四十二秒」
ラフな格好をした金髪の青年。肌は褐色で瞳は青い。
「筋は悪くないが、できれば、三十秒以内を目指してほしいな」
風見は息をのんだ。風見に鍵の開錠の仕方を教えた講師。その人こそ、降谷零だった。

降谷から命じられたのは、さるアングラ劇団の監視。
雑居ビルでの顔合わせから二日後。風見は降谷から渡されたビラを眺めていた。公演は明日、九月十日から二十三日まで。場所は杯戸町にある演劇ホール。演目は人間の喜怒哀楽と、欲望をテーマにしたオリジナル脚本……と書いてある。
降谷が風見に出した指示は、少々、不可解だった。
『公演期間中、毎日劇場に通い劇団の動きを監視してくれ。できれば、公安警察が来ているとわかるような形でお願したい。もしも、向こうからの接近があれば、その人物を取りこんでほしい』
『……降谷さん、この作戦の目的は?』
『……そうだな。君を正式に右腕として迎え入れるための儀式のようなものだ。……とにかく、約二週間。よろしく頼む』
かき集めた資料に目を落とす。
劇団の旗揚げは二十七年前。主宰はアナーキストを宣言する危険人物だが、文化人としての名声があり、テレビ局の情報番組にコメンテイターとして呼ばれることもある。
主宰者は芸術大学在籍時に演劇活動を開始。政治運動にも積極的だった。劇団には、パトロンがついており、多額の資金が流入しているという指摘があったが、詳細については解明されていない。
マネーロンダリング・違法薬物の売買・いわゆる過激派団体とのつながりなど、さまざまなうわさがあるが、どの情報も決め手に欠ける。劇団の結成当初から、公安一課は彼らの動きを注視していたが、近年は大きな動きが無いことから監視体制は緩んでいる。
以上が、この二日間における調査の成果だ。風見は、資料に目を通しながら首をかしげる。正直、この団体を監視する意義を見出せない。確かに、はたけば埃が出てきそうな気配がある。だが、ゼロで取り扱うような案件には思えないし、降谷が潜入している組織とも無関係であるらしい。そもそも、これは公安一課の案件だ。対象に動きがあれば、まずは彼らが対応するのが筋だ。
降谷の言葉を思い返す。これが自分を『正式に右腕として迎え入れるための儀式』だとしたら、なんらかの仕掛けが存在しているのかもしれない。

九月十日。風見は、杯戸町の演劇ホールにいた。
客入りはそこそこ。出入口付近の壁によりかかり、風見は腕を組んで客席を見渡した。
降谷の注文通り、いかにも公安の刑事らしく服装はスーツ、眼鏡は細身のメタルフレームを選んだ。
照明が落ちて、上演開始となる。風見は客席に目を光らせつつ、劇の内容にも意識を向けた。
役者たちが、異様なテンションで叫び・歌い・踊り狂う。前衛芸術に明るくない風見でさえも、すごみのようなものを感じる。そして、クライマックス。全身白塗りの裸体が絡み合った。局部は白いタイツによって隠されているが、その動きは大変に生々しい。まぶたや耳・手のひらまで白く塗られた身体がぐにゃりと揺れるたび、風見は眉間の皺を深くした。
監視開始から五日が経過した。今のところ降谷に報告を上げるような情報は得られていない。
ただ、受付の女と顔見知りになった。
公演は夕方から。風見は、いつものようにチケットを買い、会場前のベンチでコンビニのサンドイッチをほおばった。
日が短くなってきたとはいえ、昼のうちに熱を蓄えたアスファルトは、少しも冷えていない。上着を脱いでも、汗が噴き出る。ペットボトルのお茶を飲む。
風見は、劇場の出入り口付近にいる誰かに見張られていることに気がついていた。タイミングを見計らって、視線をやる。しかし、そこにはもう誰もいなかった。
開演時間が迫る。ホールの扉を開け、風見はいつものように出入り口付近に立つ。
上演内容は日ごとに姿を変えていった。即興に次ぐ即興。しかし、話の筋書きそのものが変更になるわけではない。風見は、この演目に飽き飽きしていた。
舞台が終盤に差しかかった頃。通用口につながる暗幕が小さく揺れた。人の姿。その人物は、忍び足で風見の隣までやってきた。腕を組んだまま視線を動かすとスラックスのポケットにメモをねじ込まれた。
劇団の受付の女。『向こうから、接近があれば、その人物を取りこんでほしい』という降谷の指示を思い出す。
風見は、彼女が立ち去るのを見届けてから、紙片を取り出した。
――この後、お茶でもどうですか?
ことは、あまりにもスムーズに進んでいる。

カーテンコールを見届け、客が引けるのを見届けたところでホールの外に出た。五日間、皆勤賞で劇場に通っている客が五名。風見は、五人の特徴を手帳に書き留めた。
ロビーへの階段を降り、受付の女に声をかける。仕事が終わる時間をたずね、二十時に近所の喫茶店で会う約束をした。
徒歩で移動し喫茶店に入る。待ち合わせであることを伝え、テーブルにつく。
水出しのアイスコーヒーを注文し、風見は、スマホを取り出した。
SNSを立ち上げ、劇団の名前で検索する。今日の日付でいくつかの投稿が見つかる。続けて演劇ホール・演目・出演者の名前でも検索をかけていく。その結果、皆勤賞で劇場に通う五人のうちの三名が熱心なファンであると特定できた。
一般人をふるい落とし、より怪しい人物をピックアップしていく作業。ネットの台頭で便利になった面もあれば、情報の氾濫で解析に苦慮することもある。
風見は眼鏡を外して、目薬をさす。ティッシュで目頭を抑えていると
「お待たせしました」
という女の声がした。ティッシュを丸め、眼鏡をかけ直してお辞儀をする。くすくすと彼女が笑う。
――二十五歳フリーター。脚本や舞台演出の勉強をしつつ、劇団の雑務を手伝っている。
彼女はそう自己紹介した。
風見もいつも使っている設定に少しのアレンジを加え、自己紹介する。三文雑誌の専属ライター・飛田男六。
「あの演目、刺激的なシーンが多いのに、若い女性の客も多いから……。それをまあ、面白おかしく記事にまとめろってのが編集長のオーダー……。だから、劇団関係者の君からいろいろ聞けたら、すごく助かるな。若い女性のコメントも欲しいし」
そう言いながら、アイスコーヒーを飲めば、彼女はあいまいな顔で笑う。
「……ごめん。ちょっとトイレいいかな?」
風見は席を立ち店内を見回した。
「すみません、トイレって?」
店員にトイレの場所を聞きホールを横切る。
手短に用を足し、風見は洗面所で手を洗った。店内には、劇場で見かけた男がひとり。ナポリタンを食べていた。ハンカチで手を拭きながら考える。立地と時間帯を考慮すれば、男は観劇後にここに立ち寄っただけかもしれない。しかし、気を抜くことはできない。
席に戻る。会話はそれなりに弾む。ナポリタンを食べていた男は、いつの間にか店を出ていた。
「もっと、あなたのことを知りたい」という女の目はうるんでいる。風見は「いい店があるんだ」とほほ笑み伝票を手に取った。
タクシーを使って繁華街に向かう。タクシー代を半分出そうとする彼女を制止し
「これも仕事の一環だから」
と言ってタクシーチケットの券面を見せた。架空の出版会社の名が印字されたそれは、風見の捜査備品の一つだ。社名は偽物だが、問題なく精算できるようになっている。
タクシーを降りれば、女の両腕が風見の右腕に絡みついた。
ノースリーブのワンピースから伸びた白い腕を見て、夕方に見た舞台のことを思い出す。

「あの……。ここは?」
彼女は目をきょとんとさせながら、風見を見上げた。
「ストリップと言っても、ここは初心者向けだし、君みたいな若い女性の常連もいるから大丈夫だよ」
「えーと……」
「ここは俺が仕事でたまに立ち寄る店だから、俺も変なことをするつもりは無いよ。もちろん、一席あけて座るし、君が帰りたいなら帰ってもらっても……」
「いえ。大丈夫です!」
二人分の入場券を買う。時刻は十時を少し過ぎたところで、最終公演もすでに半分が終わっていた。
適当な座席に座る。一つ席をあけてと提案したが、彼女は風見のすぐ横に座った。
最初の数分こそ、身をこわばらせていた彼女だが、気がつけばショーに熱中している。もしかしたら、舞台演出の勉強をしているという話は、本当なのかもしれない。
頃合いを見て、風見は彼女に耳打ちした。
「ごめん、編集長からの電話だ。ちょっと出てくる」
客席を離れ、細い通路を通る。そして、扉を開ければ
「あれ? 風坊じゃん?」
そこはダンサーたちの楽屋だった。
「久しぶりー! 私のステージ見てくれた? この前より、ぜんぜん上手になってたでしょ?」
「あー…すまん。今日は、ステージ見る余裕がなくて」
風見はパイプ椅子に腰を下ろし、楽屋の隅に置かれたモニターを指さした。
「客席のワンピースの女」
液晶画面に映し出された監視カメラの映像。
「あと、店の前でうろうろしているこの男……たぶん、ぐるだ」
喫茶店でナポリタンを食べていた男がストリップ劇場の入り口前で右往左往している。
出番を終え、下着姿のまま思い思いに過ごしていた踊り子たちが、風見を取り囲む。
「じゃあ……風坊はこの人たちを巻くために来たってわけか」
そう言ったのは、一番付き合いの長いダンサーだった。
「えー? じゃあ、遊びに来てくれたわけじゃなかったの? 次に来るときはプライベートで見に来てくれるって言ってたのに」
半年前に入店した新米ダンサーが口を尖らせる。
「はいはい。ごめんなさいね」
そう言いながら、風見は、彼女たちの下着に千円札を数枚ずつ挟んでいった。
「あーあ。しけてるなあ。おっさんの時は、いつも万券だったのに」
「……あの人と俺じゃ、使える予算が違うんだよ」
風見は立ち上がり、楽屋の奥にあるドアに向かう。
「風坊、次来るときは差し入れ、よろしくね!」
「了解。リクエストあればメッセージで送って」
周囲を確認し外に飛び出す。細い路地を通り抜け、繁華街から脱出した。地下鉄の階段を下りながら風見は苦笑いする。
その晩、風見は久しぶりに湯船に浸かった。
公安部での新人時代を思い出す。二人だけの作業班。「おっさん」と「風坊」の二人でいろんな場所を出入りした。
風俗、酒場、メイドカフェ、違法バカラ、公園将棋……。日常と非日常の境界線。深入りしていい場所、そうでない場所。
まるで、その見分け方を教えるように、初老の男は仕事の合間を縫って風見をいろんな場所へ連れて行った。

 


 

【愛と仕事、仕事と愛(サンプル・R-18一部抜粋)】

風呂場に反響する水音と、いつもよりも高い自身の声。耳元では、風見裕也の呼吸。それは、全力疾走の直後のように、荒くなっている。
降谷は風見の後頭部に手を添えた。風見の短い髪を、なでまわしてぐちゃぐちゃにしながら、腰を揺らしそうになるのを必死でこらえる。
二人で入る風呂は狭い。風見の太ももの上。正面から抱き合うように、体を密着させながら湯船につかる。脱衣所でキスをした時からずっと、二人は性器を昂らせていた。
降谷の直腸内を風見の指が出入りした。事前に仕込んでおいたローションが、湯によってトロトロと溶け出す。風見は何度かの行為を通して降谷の気持ちいい場所を特定していた。それなのに、なかなかそこを触れてくれない。
「降谷さんのココ、ドロドロになってるけど……やっぱ、狭そうですよね……」
「意外とっ……ど…どうにかぁ……ッなるものだから、試しに君のものを……挿れて…みれッばぁ……いい」
「そうですね、本当、誰かさんが意地を張らなければ、すぐにでも、そうしたいんですけどね」
「……意地を張ってるのは……んんぁっ……君のほ…だろ? こんなに……大きくして……!」
右手を風見の性器に伸ばしたら後頭部をガシッと掴まれた。降谷が小さく叫べば、その声を飲み込むみたいに、風見が口を大きく開け、しゃぶりつくようなキスを始めた。
風見の性器を扱こうとしていた右手は、途端に握力を失う。深い口づけと、体の中心を駆け上がるような、下からの刺激。
さきほどまで、核心を避けていたはずの風見の指が、容赦なく降谷の前立腺をえぐる。耐えきれなくなって、降谷の腰が動いた。そのたびに、湯船のお湯が波立ち、ジャバジャバと音を立てた。降谷の性器の先端が、風見の腹筋にぶつかる。
ごーっと、ボイラーが燃える音がして、給湯口から温かな湯が流れ込んできた。
鼻からは、甘ったるい声が抜ける。降谷の後頭部から、風見の手が離れていった。けれど、キスは終わらない。降谷は自ら、風見の舌に吸いついたし。風見の舌は、降谷の口の奥の方まで入り込んでいた。
風見が降谷の右手に手を添えた。そして、二人分の性器を束ねるようにして、そこを握りこむ。
口腔内は犯されて、直腸内をかき回され、男性器を刺激される。
温かい湯を揺蕩いながら、降谷は自分の体が液体になって溶け出してしまうような気がして怖かった。
左手を、風見の背に回す。風見裕也を感じる。
二人の性器がびくびくとして、ポコポコと精液を吐き出したのは、それから間もなくのことだった。

 

 

0