初出:ぷらいべったー(2020.10.19)
風降
〇つき合っているけど、なかなか会えない系の風降
〇風見さんが降谷さんの愛車を運転する話
「降谷さん、よろしかったら、帰りの運転は俺が……」
そう言ったのは、風見の部下の一人だった。
「いや、大丈夫だよ。君も飲みたいだろ? 僕は、明日早いし、実はこの後も少し仕事を残していてね。残念ながら、今日は飲めないんだ」
僕の言葉を聞いて、彼はそれ以上、何も言わなかった。
明日早いのは事実だが、この後仕事を残しているというのは嘘だ。
けれども、こうでも言わないと、彼のプライドを傷つけてしまうかもしれない。風見が不在の今、彼らは、風見の代わりを買って出ようとしている。運転席を任されない理由が”風見ではないから”だと見透かされるわけにはいかない。
公安部の刑事たちを集めた飲み会。こういう席に顔を出すのも、大事な仕事の一つだ。
以前はピンとこなかったが、ある日、風見裕也が懇切丁寧に教えてくれた。僕が飲み会の顔を出すことで、チームの士気が上がるのだと彼は力説した。
果たして、本当かどうか、疑わしかったが、少なくとも、僕の出席する飲み会で風見は嬉しそうだったし「降谷さんが飲むのであれば」とハンドルキーパーを買って出た。
はしゃいでる風見が、ムードメーカーとなって場を盛り上げる。そして、酒を飲んでいないくせに、誰よりも楽しそうに笑った。だから「チームの士気をあげているのは、本当は君なんじゃないか?」なんて、思ったりしたのだが、そんなことを言ったところで、否定されるのは目に見えているから、今のところ言ったことはない。
乾杯のノンアルコールビールを飲み、みんなの話を聞く。風見がいる時は、そんなこともないのだが、彼不在の時に僕がしゃべり出すと、みんな、どこか緊張した面持ちになる。だから、聞き役に徹しようと思って、にこにこと相槌を打つ。三十分も経過すれば、酒が回り始めるものもいて、場の雰囲気も緩んでくる。
そうして僕は、十九時に始まった宴会を、予定通り二十一時に抜けることにした。幹事に数枚の紙幣を握らせ店を出る。
外の空気はひんやりしていて、薄手のコートがちょうどよかった。自動販売機でホットコーヒーを買う。それを飲みながら、コインパーキングまでの道のりを歩いた。
会場から五百メートルほど離れた場所にある駐車場。そこは、繁華街から離れていて、人通りはほとんどなかった。僕は、コーヒーを飲み干し、パーキングに設置された自動販売機のごみ箱に空き缶を捨てた。愛車の助手席に乗り込み、電話をかける。
その代行運転業者には、高級車やスポーツカーの運転に慣れたスタッフが何名か在籍している。
配車センターのスタッフがはきはきした声で電話を受ける。電話番号と過去の顧客データが紐づけられているのだろう。
『お電話されているのは、安室透様ご本人でよろしいですね。ええ、では、車種は前回と同じFDの……
話がどんどん進んでいく。
「それでお願いします。可能でしたら、この前と同じドライバーさんがいいんですけれども……あの飛ぶという字を書く方」
『ああ、飛田ですね。飛田は、今、別のお客様のところに出ているのですが……予定では、あと十分ほどで戻ってきますので、安室様のところに到着するのは、早くとも三十分後になると思いますが、それでもよろしいですか?』
「はい。それで、お願いします」
僕は助手席のシートを倒し、少しの間だけ目を閉じた。
※※※※※
同僚の運転する軽自動車を降り、俺は、見慣れた白いRX-7まで歩いた。助手席をのぞき込めば、降…いや、安室さんが無防備にも、すやすやと眠りこけている。
夏じゃないから、まだいいかもしれないが、エンジンのかかっていない車内はそれなりに寒いのではないだろうか?
「安室さん、起きてください」
そう声をかければ、助手席の彼は、ぱちりと目を開き、ドアを開いて車のキーを俺に渡した。
行き先を確認し、同僚の乗っている軽自動車まで戻る。俺は、ひざ掛けを手に取りながら、行き先の住所を伝えた。同僚のカーナビ操作が終了したのを確認し、すぐさま、お客様のところに戻る。
運転席に座り、エンジンをかけ、安室さんから駐車券と千円札を受け取り、ゆっくりと車を動かす。
「どこか寄りたいところはありますか? コンビニですとか」
「いえ、今のところ、大丈夫です」
駐車場の精算を済ませ、ゆっくりと公道に出る。同僚の運転する軽自動車が、後をついてきた。
「安室さん、こちらのひざ掛け、お使いになりますか?」
俺がひざ掛けを手渡せば
「……風見、そろそろ大丈夫だろう?」
降谷さんが、いつもの調子で言った。
「……なにか、作戦の変更でもありましたか?」
その問いに、答えが返ってこない。ちらりと、助手席をうかがえば、降谷さんはひざ掛けを広げ、自分の体に引っ掛けているところだった。
「冷えました?」
「うん」
目の前の信号が赤になって、停車する。シフトレバーを握る俺の左手に、降谷さんが右手を重ねた。
「作戦の変更はない」
その言葉に、俺は、驚愕した。
そもそも、俺が代行運転業にいそしんでいるのは、転職をしたからではない。これは、降谷さんの立てた作戦に基づいての行動だ。
三か月前、高級車を数台所有している監視対象が、この代行運転業者を利用していることがわかった。俺が、仕事の合間を縫って二種免許を取得したのが二か月前のこと。そして、飛田として代行運転業者に就職した俺は、夜な夜な対象の高級車を運転する機会を狙っている……と、いうわけだ。
したがって、降谷さんが俺を呼んだということは、仕事に関する話をするため……のはずなのだが、どうも今日はそういうわけではないらしい。
「……飲み会があったんだ」
降谷さんの手が、俺の左手をさする。
「酒の匂いがしませんが?」
「うん。僕は飲んでいない」
「では……なぜ、代行を呼ぶ必要があったのでしょうか?」
「君の部下が、いつも君がしてくれるみたいに、ハンドルキーパーを買って出たんだ」
話が見えてこないな……と考えていると、信号が青になった。
左手の甲から、しっとりとした感触が消える。
「君のいない飲み会は寂しくて、唐突に、君の運転が恋しくなった」
その言葉を聞きながら、俺は、戸惑いを隠せない。
こうしている間にも、対象が運転代行の依頼をかけてくるかもしれない。
俺は、ただの部下ではない。降谷零の右腕なのだ。だから、質問をぶつけた。
「降谷さん……もし今、この瞬間。配車センターに対象からの電話がかかってきていたら、どう責任を取るおつもりですか?」
その質問に、降谷さんは、静かに答えた。
「その心配はないよ。対象は今日から明後日まで仙台に出張だから」
俺は、静かに自分を恥じた。何を思いあがっていたんだろう。降谷さんが、仕事よりも俺との私的な時間を優先するはずないのに。
「でも……。なあ、風見。……もしも、君が指摘した通り、僕が、作戦の遂行よりも、君との時間を優先させていたとしたら、失望するか?」
その質問に、答えることができなかった。
失望するかもしれないし、暗いよろこびを感じるかもしれない。答えは出そうにない。
それに、俺だって聞いてみたい。
「逆にお聞きしますが、俺が、それをよろこんだとして、あなたは失望しますか?」
――ああ、失望するな
――君、やっぱり、よろこぶのか?
――話をはぐらかすな
いくつかの答えを予想して、急ごしらえの想定問答を作ろうと画策する。けれど、答えは返ってこない。
そして、しばしの沈黙の後、降谷さんが弱弱しい声で言った。
「……わからないな」
その言葉に、俺は仕事中であることを忘れそうになった。
「なあ、風見」
「はい」
「君の運転が、好きだよ」
「ああ。……俺も、降谷さんの車を運転するの、好きですよ」
そのやり取りの後、車内は沈黙に包まれた。
降谷さんの愛車を丁寧に操作し、目的地を目指す。見慣れた建物が近づいてくる。あっという間に、降谷さんの借りている駐車場にたどり着いてしまった。ゆっくりと、慎重に、車庫入れをする。
代金のやり取りの際、降谷さんが小銭を足元に落とした。二人、足元をのぞき込むふりをして、瞬く間ついばむだけのキスをした。
車を降りる。俺は、丁寧にお辞儀をしてから、代金の入ったポーチとひざ掛けを手に軽自動車の助手席に戻った。
「お疲れさまです」
運転席から、ねぎらいの声。
「お疲れさま」
なんとなしに、後ろをふり返る。しかし、あの人の姿は見当たらない。
そして、俺たちは、世間話をしながら、次の客のもとへ向かう。
「飛田さん、ああいう車を運転するの緊張しないんですか?」
「ああ。さっきのは、大丈夫だな。まあ、慣れているし」
「えー? 慣れてるんですか? 飛田さん実は、いいところの御曹司だったりします? この仕事を始めたのも、実は金持ちの道楽とか?」
助手席で、ひざ掛けをたたみながら、少しもったいぶって答える。
「いや……実は、恋人があの車に乗ってるんだ」
「え……?! 飛田さん恋人いたの? しかも高級車乗るような???」
「うん。一つ年下なんだけれど、すごく美人で、料理が上手で……」
期間限定の同僚に、ここぞとばかりにのろけ話をしながら、俺は、唇に指を添え、先ほどのキスの感触を思い出していた。
【あとがきなど】
他人のふりして逢瀬する風降って好きだなあと思いながら、夜の街を散歩していたら、代行運転業者の軽自動車とすれ違いました。
そして(あ、なるほど。代行ね)
と思って、書き始めたのがこれです。
二種免許の件ですが。
飛田さん名義で代行運転業者に就職するなら、免許も飛田さんのやつを使うだろうし、二種とる必要なくない??? と思ったんですが。降谷さんの倫理観的には、NGじゃないかなという気がして、風見さんに二種免許を取得させました。