都心の小さな美術館の一番奥の展示室にて

初出:2020/9/18(twitter 画像ssより)

芸術鑑賞の秋だなあとか、そんなことを思いながら。


 

バブルの頃に、とある企業がメセナの一環として始めた西洋絵画中心の小さな美術館。教科書に載るような有名画家の作品は展示しておらず。ジャンルも、風景画に偏っている。
一応、ミレーと同じバルビゾン派で活躍した作家の作品が”目玉”ということになっているが、その画家の名前を知る日本人が何人いるだろうか。
入場料、大人九百円。平日の午後四時半。閉館まであと三十分。一番奥の展示室には背の高い男が二人いるだけだった。

風見裕也はすでに、必要な情報を降谷零に渡していた。
定期連絡の場所を、この美術館に指定したのは降谷零である。降谷は先ほどから、一枚の絵の前に立ち、その場を動かない。風見裕也も、同じ絵の前に立つ。そして、絵を見ては降谷の横顔を見つめ、また絵を見ては、視線を降谷の横顔に戻した。
降谷は、風見の視線の動きに気がつきながらも、それを指摘することはしなかった。

降谷が、腕を組み、平坦な声で述べる。

「君は、虹彩の色の違いが、光の見え方にどう影響するか知っているか?」

その質問に風見は「いいえ」と答えた。
降谷は、目の色の違いによる光の感じ方の差異と西洋絵画の色彩的特徴について解説する。

「まあ、目の色の違いだけでなく、脳の処理の違いもあるから、世界の見え方は百人百色だ。たとえば……この絵一枚にしても、これをどう認識するかは、君と僕では全く違うんだろうな」
「そうですね」

風見は、体をぐいっと乗り出して、目の前の油絵をまじまじと眺めた。降谷は胸で組んだ腕をほどき、手の甲で風見の指先をさすった。

「……君が、この絵をどう認識しているのか、ちょっとだけ、知りたい気持ちになるよ。まあ……僕は君になれないから、これは、絶対に不可能なことなんだけれど」

風見は、すぐに言葉を返さなかった。
しばしの間、ひたすらに、絵を見つめ続ける。それから、数分が経過し、風見の手が降谷の手首を捕まえた。

「……俺も、あなたの見る世界がどんなものか、興味があります。しかし、俺は、俺の見ている世界こそ最高だと思っているので、あなたがどんな世界を見ているか知ることができなくても別にいいかなって思っています」
「君は自分自身のこと……結構好きだよな」

風見が、にっこり笑いながら、降谷に体を向けた。

「ええ。俺は俺の世界の見え方が、大好きですよ。だって、この世で俺ほどに、あなたを美しく認識できる神経回路を構築した人間はいないでしょうからね」

降谷の目が泳ぐ。

「……君って、平気で恥ずかしいことを言うよな」
「そりゃあ、明日をも知れぬ身ですから」

ふぅ、と。
降谷は息を吐き、それから、深呼吸をした。

「……では、僕も、明日をも知れぬ身ではあるが。……明後日の話をする。僕……明後日の夜、空いている……」

風見の指が、降谷の手首から、手背を伝った。そして、降谷の細くて長い指に、自らの指を絡ませる。

都心の小さな美術館。入場料大人九百円。閉館までは、あと十八分。
その一番奥の展示室には、二人の男しかいなかった。

 

0