初出:2020/8/30(ぷらいべったー)
【風見さんとハロのお話】
飼い主不在の夜を過ごす、風見さんとハロのお話
戀と慈しみシリーズ
〇努めよ、わが背 つつがなく
〇君の匂いと、間抜けな寝顔
〇君は、優しいからな
〇ただの人間に過ぎないあなたのこと
スーパーで、セロリという文字を見かけると、立ち止まるようになった。
今のところ、生のセロリを買ったことはないが、セロリが入ったインスタントのミネストローネ。あれは悪くなかった。いつか、自分でも作ってみたい……ような気がする。
午後九時のスーパー。弁当コーナーの棚は、スカスカだった。唐揚げ弁当は、今日も売り切れで、かつ丼と幕の内弁当の二つで迷う。あれやこれやと考えて、結局、幕の内弁当をかごに入れた。二割引きのミニサラダが目に入る。これも買う。ついでにゆで卵と牛乳も。
俺の上司は、本日より絶賛潜入捜査中。少なくともあと一週間は帰ってこない。
だから、俺がワンちゃんのご飯を準備する。飼い主からは、あまり贅沢を覚えさせないようにと釘を刺されていた。とはいえ、飼い主のいない寂しい夜が始まるのだ。少しばかり、いいパウチを開ける事を許してほしい。
そんなことを考えながら、俺はプレミアムなビールを買い物かごに入れた。
スーパーを出る。パラパラと、細かな雨が降っていた。傘は持っている。だから、俺は傘を差し、街灯の中を歩きながら、今日のことを振り返った。
午前中、部下二名の仕事を手伝っていたら、自分の抱えている案件との思いがけない共通点が見つかって、三人ではしゃいだ。上も喜んでくれて、ポケットマネーで蕎麦屋の天丼をおごってくれた。ざるそばも二枚。とてもおいしくて、きっちり蕎麦湯まで飲んでカイシャに戻った。
午後は、午前のことを踏まえて、新しい指示が下りてきた。
仕事を切り上げたのは、午後八時半。「ゼロからの頼まれごとで、どうしても帰らなけらばならない」という言葉と、うんざりするような書類の束を残し、俺は、カイシャを飛び出した。
だから、明日は、あれらの書類を整理することから始めなければならない。
そんなことを考えながら、俺は夜の街を歩いていく。
目的のドアの前に到着し、合鍵を回した。手の甲を使って、ぱちん、と玄関の電気をつける。
ワンちゃんが一目散に駆け寄ってきた。そして、少し不思議そうな顔をする。雨に濡れた傘を玄関のドアに立てかけて腰をかがめる。
「ただいま」
「アン!」
事情を察したのだろうか、ワンちゃんは、キリっとした目で俺のことを見つめた。その顔を観察する。凛々しい顔をしているわりに、瞳は大きくて、目じりは思いのほか垂れていた。
「お前、誰かさんみたいだな」
その言葉に、ワンちゃんがしっぽをふった。
俺は、上着を脱いで、まずは、トイレの砂をきれいにした。
「シャワー…十五分で終わるから、それまで、ご飯待ってて」
ワンちゃんは、アンと返事をした。
バスルームを借りる。俺がワンちゃんのお世話をするのは、これで、五度目だ。
初めてワンちゃんの世話をした時、俺はこの部屋で寝落ちした。目を覚ますと視界がぼやけて、前がよく見えなかった。
目を細めると犬とじゃれ合う見慣れた男のシルエット。
『あれ…降谷さん? おかえりなさい……?』
『起きたか? 君、眼鏡……かけたまま寝てたぞ』
降谷さんから眼鏡を受け取る。
あちゃー……と思いながら、居住まいを正し眼鏡をかけた。寝落ちする前に食べたカップラーメンの残骸はどこにもない。
ワンちゃんからもらった、大事な骨を胸ポケットにしまう。そして、腹のあたりにかかっていたタオルケットをはぎ取り、ぴしりと折りたたんで畳の上に置いた。
『あの……降谷さん』
『ん?』
『すみません! 降谷さんの部屋で、寝るなどという失態……あの、こちらのタオルケットもありがとうございました』
『……ああ、それな。どうやら、僕のペットがやったみたいだぞ。お礼を言うなら、彼にだな』
『あ……え…ワンちゃん…ありがとうございました』
『それから……この部屋なんだけど』
『はい……』
『僕は、現在、主な生活場所をここにしている。だが、この部屋は潜入捜査官である僕のために、カイシャが借り上げている物件だ』
『……ええ』
『だから、次に、犬の世話をするときは……ここの設備を使っていいからな』
『はあ……? 設備……ですか?』
『ああ。キッチンも、風呂も、ベッドも好きに使ってかまわない』
俺は『お心遣いだけで、十分です』と答えた。
けれど、仕事を終えて、ワンちゃんの世話をしてから家に帰るのは、とても面倒なのだ。 だから、次にペットシッターを頼まれた時、俺は恐る恐る設備を使ってみた。
……一度使ってしまえば、こっちのもんというやつだった。
こうして俺は、ワンちゃんの世話を頼まれた期間、この部屋で生活するようになった。夜は降谷さんのベッドで眠る。そして、体臭なんてほとんどないと思っていたあの人にも、それなりに匂いがあることを知る。
三日、四日と経つにつれ、ベッドが自分の匂いで上書きされていくことが、少しだけ申し訳なかった。
シャワーから出て、ワンちゃんに、少しだけ上等な食事を提供する。「本当にいいの?」とでも言いたげなワンちゃんの顔。俺は、にっこり笑って
「鬼のいぬ間にってやつだ」
ビールのプルタブを引き、最初の一口を飲んでみせた。
「……うんまー!」
その様子を見て、ワンちゃんも、おずおずとご飯を食べ始める。
やがて、夕餉を終え、俺は食器を片付け、歯を磨いた。
明日は仕事前に、ワンちゃんを散歩に連れていく予定だ。
和室に置かれた簡易ベッド。俺は、照明を落とし、ゴロンとうつぶせになった。ばふっと枕に顔をうずめ、クンクンと匂いを嗅ぐ。数十秒ほどして、顔をあげ、眼鏡をはずした。暗いし、よく見えないけれど、なんとなくワンちゃんの視線を感じた。
「……変なことしてる自覚はあるんだ。でもな、この匂いを嗅ぐと、俺は、たまらない気持ちになるんだ。あの人も人間なんだなあって、なんか、そんなことを思うんだよ」
ベッドマットがほんの少しひずんだ。ふわふわとした感触。ベッドに上がってきたワンちゃんの体を、ぎゅっと抱きしめる。ペットシッターを頼まれるたび、俺がこのベッドで眠る理由。
ワンちゃんが、俺の頬をぺろりと舐めると、なぜ、あの人が犬を飼うのか、わかるような気がした。
飼い主のいない寂しさを寄せ合いながら、俺がこのベッドで寝起きすることについて考える。例えば、一週間後、俺の匂いが染みついた枕について、あの人はどう感じるのだろうか、とか。
そして、眠る前の日課。頭の中で明日の予定を整理し確認していく。
五時半に起きて、ワンちゃんと散歩をし、シャワーを浴びて、ベランダの植物に水をやる。登庁したら書類の整理をしなければならない。少し憂鬱な気分になる。
ふと、初めてペットシッターをした時のことを思い出した。俺は、ワンちゃんのことに一所懸命になり過ぎて、仕事が滞り、叱られた。
カイシャにはいろんな人がいて、いろんなことが起こる。誰かに会ったら挨拶をする。部下の相談に乗ってやる。捜査方針の違いで、刑事部の連中とぶつかり合う。そういう俺の日常。
寝返りを打って、もう一度、枕の匂いを嗅いだ。ただの人間にしか過ぎないあの人のことを思うと、俺はいつも、たまらない気持ちになる。
だから、明日も仕事をがんばろうと思った。
だって、今の自分にできることは、それしかないのだから。
【あとがきなど】
先日、ハロ好きの方とお話していて。
「ハロは凛々しい顔をしているのに、目がとても大きく、しかも結構なたれ目である」
ということを再認識し。
そういう所も、飼い主に似ているんだなあと思い。
風見さんに「お前、降谷さんに似てるな」って言わせたい!!!!!
という欲望を発散させるために書いたのがこれです。ちょっと、違う言葉になりましたが、意味は一緒だからおっけーです☆
私は茶の『ワンちゃん!!』回が、本当に好きです。
『ワンちゃん!!』回、定期的に読み返してしまう。
ラストで降谷さんの風見さんへの想いが垣間見えちゃうの本当に最高ですよね……
『ワンちゃん!!』回……ありとあらゆるパターンで二次創作していきたいです!!!
あ……私。なんでだろう……?
『ワンちゃん!!』を連呼しすぎて。
「風見さん!!!! そこだ!!!!! ワンチャン決めるんだ!!!!!! いっけええええええ!!!!」
という気持ちになってきた。
どう考えても、あの回……風見さんが起きた後のふるまい次第では、ワンチャンあるから、是非ともずぶりと決めていただきたい。