ライカと犬

初出:2020/8/16(ぷらいべったー)

〇風降小噺
〇時代背景が1994年
〇「ネガを返して!」というセリフを、降谷さんに言わせたいがために書いたが。まったくエロくない。


 

朝シャンをして、ラルフローレンのストライプシャツに袖を通す。香水はブルガリのプールオム。
我ながらベタだなあと思う。しかし、今日はデートだから、そういう格好をしたい。

昨夜。留守電のメッセージを確認すると、降谷さんからメッセージが入っていた。「明日、デートしよう。時間と場所は追って連絡する」短くて一方的なメッセージ。
俺が休みになったことを、どこかで知ったんだろう。過去にも、こういうことがあった。
本棚から、文庫を一冊引っぱり出し、真ん中に挟んだ写真を手に取った。デートなんて、二か月ぶりだ。

歯を磨きながら、テレビの天気予報を見る。ブラウン管の中のお天気お姉さんは、キャミソールに薄手のカーディガンを羽織っていて、とてもかわいらしかった。夕立が来るかもしれないという予報を聞きながら、お天気お姉さんのバストサイズを推察した。
D…かな?
そう思ったところでポケベルが鳴った。液晶に「エオモサン」の文字。営団地下鉄表参道駅。そこに来いということだ。
俺は、髪にワックスをすり込み、最低限の荷物を持って、家を出た。
八月初旬。平日午前九時。麦わら帽子の小学生とすれ違う。
地下鉄の階段を降り、自動券売機で切符を買った。改札機を通り、駅の売店で板ガムを買う。それから、数十分ほど電車に揺られ、電車を降りると真っ先に伝言用の掲示板を目指した。降谷さんの書き残したメッセージはすぐに見つかった。喫茶店の名前が書いてある。

喫茶店を目指す。二人で二度、立ち寄ったことのある店だったから、迷わずにたどり着くことができた。
店に入る。
ここ数年で、髪を染める男が増えた。それでも、降谷さんの金髪はとてもキラキラしていて美しいから、一瞬で見つけることができた。店員に声をかける。4人かけのテーブル席に降谷さんと向かい合って座った。

「お待たせしました」

と声をかければ、降谷さんは

「早かったな」

と言って、文庫を閉じた。

「君、朝食は?」
「ああ、まだ」
「じゃあ、モーニング頼もうか」
「いえ、あと数時間で昼ですし」
「……いや、おごるから食べろ。食事は体調管理の基本だ」

そう言われてしまえば、断るわけにはいかない。

トーストと、サラダとゆで卵にアイスコーヒー。
パンにバターを塗りながら、デートの予定を立てた。渋谷に向かって散策し、適当な店でランチを食べ、文化会館のプラネタリウムに入る。というざっくりした計画。

「夏休みだし、プラネタリウム混んでるでしょうね……」

トーストに歯を立てる。

「でも、その方が都合がいい」

降谷さんは、コーヒーを一口すすると、文庫本を開き読書を再開した。
俺は、降谷さんの長いまつげを見つめながら、無心でモーニングを食べた。ぽろぽろと。パンくずがテーブルの上に落ちた。

喫茶店のお代は、降谷さんが払った。

今日の降谷さんは、ぶかぶかのTシャツに細身のジーンズを履いていた。靴はハイカットのスニーカー。
キャップを目深にかぶり、顔を隠しているつもりらしかったが、それでも顔のよさを隠しきることはできない。
途中、カメラ店に寄った。降谷さんは、コンパクトカメラを見比べながら、なにやら考え事をしているようだった。潜入捜査で使うのかもしれない。彼の頭の中は、仕事でいっぱいだ。デートの時ですら、ふとしたきっかけで、仕事の顔に戻ってしまう。
俺は、フィルムを三つ購入すると、降谷さんの背中に声をかけた。

「カメラ、買うんです?」
「悩んでいるところだ」
「そういえば、君は、カメラを持っていたよな?」
「ええ。祖父からもらった、おさがりのライカがひとつ」

それは、大学入学のお祝いだった。
『大事な人ができたら、そのカメラで、写真を撮るんだぞ』という言葉と共に贈られた、ライカのカメラ。
降谷さんは、コンパクトカメラを手に取り

「やはり、小型の方がいいとは思うのだけれど、かといって、あんまりピンボケしてしまうようなら、話にならないからな……」

と言った。
俺が

「カイシャに、カメラくわしいやつがいるので、聞いておきます」

と、言うと。降谷さんは、カメラを棚に戻した。

「ああ、頼む」

店を出て、散策を続けた。
靴を見たいという降谷さんにつき合って靴屋による。その次は俺のリクエストで本屋に立ちよった。

ランチは、パスタ。降谷さんは和風きのこで、俺はミートソースのやつ。
粉チーズとタバスコをたっぷりとかけて食べるミートソーススパゲッティはとってもおいしい。降谷さんは、かけすぎだと苦笑いするけれど、粉チーズはかけすぎなくらいが調度いいのだ。

食後のコーヒーを飲みながら、タバコを吸う。降谷さんにも、一本すすめた。
しかし、降谷さんは苦笑いしながら

「アメスピは…ちょっとな」

と言った。
ランチ代は俺が支払った。降谷さんは、ラックにあるミニコミ誌を数冊抜き取り、それを小脇に抱えた。

二人で、渋谷の混雑の中を歩く。夏休みだから、中高生が多くて。街はいつも以上に騒がしかった。
プラネタリウムは予想通り、そこそこに混んでいた。
自分と同い年くらいのポロシャツ姿の男が、三歳くらいの子供をあやしながら、妻らしき人物と話をしている。
なんとなくその様子を眺めていると、降谷さんが言った。

「なあ。あれ、写真を撮ってほしいんじゃないか?」

確かに、男の手にはカメラがあった。お上りさんと思しき三人家族。「写真を撮ってください」の一言が言い出せないのかもしれない。
俺が目配せをすると、降谷さんはこくんとうなずき

「じゃあ、チケットは僕が買ってくるよ」

と言った。
ゆったりとした足取りで三人家族に近づく。笑顔を作り

「よろしければ、写真撮りましょうか」

と、声をかければ、ポロシャツの男は

「よろしいんですか?」

嬉しそうに微笑んだ。

「もちろんですよ」

カメラ受け取る。それは、ぴかぴかのライカだった。

「撮りますよ。ハイ、チーズ……もう一枚いきます。いいですか、ハイ、チーズ……はい、いいですよ」
「ありがとうございます」

カメラを返す。

「このカメラ、新品ですか?」

そう尋ねると、ポロシャツの男は、にっこりとほほ笑んだ。

「ええ、来年、二人目が生まれることになりまして……それで買ったんです」
「そうでしたか。元気な赤ちゃんが生まれるといいですね」
「ありがとうございます」

三人家族と別れ、降谷さんと合流した。
次のプログラムが始まるまで、二十分ほどある。休憩用の椅子に腰かけると、降谷さんから、ミニコミ誌を渡された。読め、ということなのだろう。
どこに、どういう情報が転がっているかわからない。例えば、社会人サークルの紹介ページや、ワークショップの募集欄。特に、自己啓発系ワークショップなどは、その背後に、きなくさい団体が隠れていることも多い。

俺は、仕事熱心な降谷さんに惚れた。

それならば、その仕事熱心さにつき合うまでだ。
真剣に、ミニコミ誌を眺めていたら、あっという間に開場時間がやってきた。

プラネタリウムに入るのは久しぶりだった。ドーム型の天井に投影された星を眺める。隣には降谷さん。俺は子どもみたいにうきうきした。
上映開始から、五分が経過したころ、降谷さんの手の甲が、俺の手首をなでた。
ちらり、と。降谷さんの横顔を盗み見る。降谷さんは、表情一つ変えずに、星を眺めていた。
もしかしたら「なでられた」と思ったのは俺の勘違いで、手が偶然当たっただけかもしれない。そんな風に思った。けれど。俺は降谷さんの恋人だから、勇気を出して、その手を握りしめた。

降谷さんが俺の手を握り返す。

たったそれだけのことが、すごく嬉しくて、やっぱりデートっていいなあってそんなことを思った。

夕飯は、簡単に牛丼で済ませた。牛丼屋を出ると、二人で、別々の電車に乗り、俺の家を目指した。

俺の方が先に家につく。
クーラーのスイッチを入れ、気がついたところを軽く掃除する。やがて、玄関のチャイムが鳴って、降谷さんが部屋に入ってきた。降谷さんの手には、レンタルビデオ屋の袋があった。
缶ビールを用意して、二人掛けのソファに座る。降谷さんは、テレビの前でビデオデッキを操作していた。

「何を借りてきたんです?」
「シェルブールの雨傘」
「……お好きなんですか?」
「なんていうか……デートっぽいだろ。フランス映画って」

その言葉に、なんだか、ワインを開けたい気持ちになった。

「……降谷さん、今日、ワイン開けてもいいです?」
「うん。いいよ。それで乾杯しよう」

モーターの音がして、ビデオデッキから、カセットテープが飛び出す。
降谷さんは、テープを抜き取ると、無言のまま、それをもう一度デッキの中に差しこんだ。はっとする。あわてて、降谷さんに声をかけようとするが、いい言葉が思いつかない。
かくして、それは再生された。

――イラマチオ、からの、顔射

それは……いわゆる「ヌキどころ」というやつだった。

「へえ……」
「いや、あの。それは……なんといいますか…偶然そこで止めてただけで、別にそこに深い意味はないと言いますか……」
「へー……君、粉チーズとタバスコだけじゃなくて……これを、かけるのも好きだったんだな」

その言葉に、ひんやりとした気持ちになる。

「なんていうか、すみません……」
「……それより、ワインは?」
「はい…! 至急、準備いたします!」

降谷さんは、ビデオを止め、それを抜き取った。
今度こそシェルブールの雨傘を差し込み、リモコンを持って、ソファに腰かける。

俺は、缶ビールを片付け、ワイングラスと、買い置きのクラッカー、冷蔵庫に入っていたチーズをテーブルに並べる。
オーストラリア産ワインのハーフボトルのコルクを抜いて、グラスに注いだ。
乾杯をして、映画鑑賞を始める。
ソファのクッションを抱きかかえながら、クラッカーを食べる降谷さんがかわいらしくて。映画よりも、そちらの方が、よほど魅力的だった。
降谷さんのこめかみにキスをする。それだけで、すごく幸せな気持ちになる。

映画を見終えて、俺は、テーブルの片づけをした。手持ちぶたさになった降谷さんが、俺に尋ねる。

「風見、この辺の本、読んでもいい?」
「いいですよ」

と、答えた。
そして、ワインで、ほんの少しだけ酔っぱらっていた俺は、失態を犯したことに気づかなかった。

「風見…」

降谷さんが、俺の名前を呼ぶ。

「なんでしょう」
「君は、僕たちの職業がどんなものか、理解しているよな」
「ええ。もちろん」

俺は、食べ残しのクラッカーを一枚、口に含んだ。

「では、どうして、こんなものを隠し持っているんだ?」

それは、一枚の写真。

「……」
「これ……君のベッドの上だよな。いつ撮ったんだ?」

写真には、恋人の寝顔が写っていた。
クラッカーを飲み込む。
写真は、真実を写すと書く。それなら、弁明のしようがない。だから、正直に答えた。

「半年前、あなたに、バレンタインチョコをもらった日の晩です」

間髪入れずに、降谷さんが言う。

「ネガもあるのか? なら、ネガを返せ」

そして、写真をびりびりに引き裂いた。
降谷さんの声は、とても厳しい。

「嫌です。返せっていうか……そもそも、あれは俺のものです」
「……わかっているだろ。……僕に関する情報は君のものじゃない」

そんなの、わかっている。
わかっているからこそ、写真立てに飾らず、アルバムにも納めず、こうやって文庫本の間に挟んでいた。
現像だって、カイシャの暗室を借りて自分でやった。

「頼む……返してくれ。何でもするから……さっきのやつ…してもいいから。だから、ネガを返して……」

めずらしく、降谷さんの声が震えていた。

「……さっきのやつって……なんですか?」
「君の……お気に入りのビデオのやつだよ」

すごく悔しかったけれど、取引に応じることにした。
別に、降谷さんの顔に思いっきり、ぶっかけたくなったからではない。最初から、俺には選択肢はなかったという、それだけのことだ。

夏場。まだ、シャワーは浴びていない。俺のブリーフの中は、とても蒸れていて、それを降谷さんに咥えさせるのは申し訳がなかった。

「手でいいです」

一応、そういう提案をした。
だが、その申し出は、あっさりと却下され。
降谷さんは、俺の股間に顔をうずめ、もごもごと口を動かした。その様子を見ただけで、すごく心地がよかった。

(本当は、かけるだけじゃなくて、喉の奥に先っぽをゴリゴリさせるのも好きなんです)

などと。
そんなことを言ったら、降谷さんは、それを受けいれてしまうだろう。だから、我慢をした。
降谷さんの唇が届かない根元を自分の右手で扱いた。快感は、あっという間にせりあがってきて

「降谷さん……そろそろ…」

降谷さんの口から、ペニスを引き抜いた。降谷さんが、右手を俺のものに添え、手コキを始める。降谷さんの顔に出すんだと思ったら、すごくたまらない気持ちになって、そこから先は情けないほどに、あっという間だった。

俺は、ドロドロの白濁を、きれいなきれいな降谷さんの顔にぶちまけた。

それから、二人でシャワーを浴び、降谷さんを抱いた。
狭い風呂場に、大きな男が二人。腰を打ち付けるたびに、肉と肉がぶつかり合う音が響き渡った。

翌朝。俺は、おはようのあいさつをする前に、降谷さんにネガを渡した。
ネガを受け取りながら、降谷さんが言う。

「なあ、君のカメラ見せてくれないか? おじい様からもらったというやつ」
「……いいですよ」

俺は、棚からライカを取り出して、降谷さんに渡した。
降谷さんはカメラをじっくりと観察し、俺にレンズを向けて構えた。

「シャッター切ってもいいですよ。フィルム、入っていないんで」

降谷さんは、カメラを構えたまま言った。

「……こうやって、ファインダー越しに君を見ていると。どうして、君が、僕の写真を撮ったのか……なんとなくわかる気がするよ」
「そうですか?」
「まあ、僕は、隠し撮りなんて。仕事以外でする気にはなれないけどな」

その言葉に、苦笑いする。
そして、俺は、昨日買ってきたばかりのフィルムを箱から取り出し、降谷さんに一つ提案をした。

三日後、俺は写真立てに写真を飾った。
男の手が二つ並んでいる、ただそれだけの写真。

白が基調で金色の細工が施してある写真立ては、なんと5980円もした。

 

【あとがきなど】

先日、少し古めのBLCDを聞いていたら

「ネガを返して!」

という、言葉に出くわし。
ふるやさんにも「ネガを返して!」と言わせたくなりました。
しかし、フィルム写真なんて……今はほとんど撮らないし……そんな風に葛藤していたところ。

ある方から「それならば、タイムスリップさせればいいのでは?」という天才的アイデアをいただきました。

自分の中で、検討を重ねた結果。
コナン連載当初(1994)の時代背景で風降を書くことにしました。

風見さんと同世代の人がパパをしていたり、飲食店で食後のタバコを吸ったり、ビデオテープだったり……
1994年って、そういう感じだったなあと、記憶を手繰りながらこの話を書きました。
ただし。私は、1994年の日本を生きていましたが、1994年の東京はエアプなのでおかしなところがあるかもしれません。

あと……当時のリアル公安さんのことを考えると、あんまりにもつらいので。
この世界線では、あの集団も、一連の事件も存在しなかったことになっています(そもそも、コナンの世界だしな!)

それから、私は、風見さんへの感情をこじらせているので。
ラルフローレンのシャツに、ブルガリの香水……なのにタバコはアメスピを吸わせます(風見さんは、少し、へんてこなところがあってほしいので、マルボロじゃだめなんです)。
そして、1994年の風見さんには、トランクスではなく、ブリーフを履かせたい。

「ネガを返して!」

という言葉。
本当は、もっとエロい感じで使いたかったのですが……
なぜか、エロくない仕上がりとなりました。
こういうのじゃなくて。ちゃんと、えっちな「ネガを返して!」を見たいので、この言葉がリバイバルすることを、心からお祈りしています。

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