ブックカバーチャレンジをやりました。
Faceboook(仕事に乗っ取られた哀れな、元・日常垢)で、一度やったことがあり。
これが二度目でした。
7日間を終えたご褒美として、ブックカバーチャレンジの【あとがきのようなもの】を書きます。
(あとがきを書くのが大好きなんだ……)
どういう気持ちで、この本を選んだのかとか
本の表紙を見つめて、あらためて考えたこととか
まあ……ひとことで言えば、本を絡めた【自分語り】なので、苦手な方は閲覧をお控えください♡
【1日目】きらきらひかる 江國香織
引っ越しのほどき切っていない段ボールを、あさったら、この本の表紙がとてもきれいだったので、一冊目にしました。
この本を一冊目にするのなら、クィア作品を中心に上げようかなあなんて、思ったんですが。
結局、そうなりませんでした。
恋愛という現象について、とても、かわいらしく、せつなく、真摯に描いた小説だと思います。
文章もすごくいいんだ。
ちゃんと、このお話を書くための文体で書かれている。文体と内容が一致しているから、ものすごく、心に入ってくる。
私は、三者関係が大好きです。
だから、夫婦+夫の恋人の三者関係を、すごく楽しんで読んでいた記憶がある。
(これを最初に読んだのは、高校生の時だったので、初読の時の記憶があいまいです。)
あと。私は、この小説のあとがきが大好きです。
さっき、久しぶりにあとがきだけ読みました。とってもよかったです。
私も、こういう、あとがきを書きたいと思いました。
そして、こういうあとがきを書くために、一生懸命な小説を書きたいです。
【2日目】南瓜とマヨネーズ 魚喃キリコ
この本、および、痛々しいラヴに出てくる「ハギオ」のことを嫌いな女子っているんでしょうか?
遊び人で、けーはくで、無責任で、甘えんぼなくせに、とっても魅力的。
ハギオの何がかっこいいんだろう?
わからない。
でも、わからないから厄介だ。
こういう人に恋をしちゃったら、大変だ。心も体もぐちゃぐちゃになってしまう。
一方で、経済能力はないけれど、音楽に対して一生懸命で、まじめで、こだわりがあって、自分のことをちゃんと好きでいてくれる「せいちゃん」。
主人公は、せいちゃんのことを、大事だと思っている。
でも、「せいちゃんは、ハギオじゃない」
そう、ハギオじゃないんだ。
というように。
主人公が、二人の男の人の間で揺れながらも、自分なりの生き方を見つけるお話。
これも、ある種の三者関係だな。
私は、自分でも、びっくりするくらいに三者関係が大好きです……
【3日目】現代詩読本 田村隆一
この日の私は。
むしょうに、帰途、という詩を読みたかった。
中学生の国語の資料集に乗っていた、短い詩。
なぜかは、知らないけれど。
小学校の頃って、明るい詩をならうじゃない?
思ったことを思ったままに書きつづろうっていう。そういう授業を受けるじゃない?
私は、あの単元がわりと得意で。自分には詩を書く才能があると信じていた。
だから、国語の資料集の詩なんてものを読んだんだと思う。
「自分は、詩というものをわかっています」という思い上がり。
そして、私は、生まれて初めて「現代詩」というものを食らう。
その「現代詩」が田村隆一の「帰途」ってわけ。
吉本隆明は「日本におけるプロフェッショナルの詩人は3人しかいない」と。そのようなことを述べたらしいが、田村隆一はその三人のうちの一人だ。
生まれて初めて、現代詩を食らった私は、自分が詩を書けない人間だということを知った。
それどころか、詩を読むことすらできない人間であることを知る。
帰途という詩が、なぜ、私の心を揺さぶるのか。
私は、今でも、その理由を理解していない。
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
で、始まる一編の詩。
いくつかの問いかけを繰り返し。
最終的に
言葉なんか覚えるんじゃなかった
という一節は、強烈な意味を伴って、私の心に刺さった。
そして、この一節は、今でも私の心に刺さったままだ。
【4日目】会田綱雄詩集
高校の図書館には、現代詩文庫シリーズがそろっていた。
昔、志の高い国語教諭がいて、現代詩文庫はその先生の置き土産だった。
と、文藝部の顧問が教えてくれた。
私は、その恩恵にあずかり、現代詩を、少しだけ読むようになる。
会田綱雄の詩で、特に好きなのは「鹹湖」と「trash」
「鹹湖」の冒頭4行はすごい。
生きていることが
たえまなしに
僕に毒をはかせる
いやおうなさのなかで
たった4行で、私は自分の中にある、無自覚の加虐性に向き合うはめになる。
「trash」からも、詩の一部を抜粋する
危機という
ことばを愛したことがある
ひとなみに
いまでも愛しているかもしれない
中略
そいつとわかれてから
栗鼠を一匹飼った
てのひらにのせてにぎりしめると
キキキキ
鳴きながらもがいた
その栗鼠が死んだときはつらかった
たったこれだけの言葉にドラマがある。
会田綱雄のpoesy(詩魂)が、私の心を揺さぶる。
高校時代の私は、こういう詩にぶち当たるたび、私の言葉は、なんて、へんてこで、へたくそなんだろうと、ひどく落ち込んだ。
【5日目】誰が風を見たか 増補版 臺弘
自伝を書くことは、精神科医がしなければならない、重要な仕事の一つである。
と、いうようなことを、臺弘の師匠である内村祐之は言ったらしい。
(内村祐之は内村鑑三の息子だ。プロ野球のコミッショナーをしていたこともある)
この臺弘という人は、おそらく、記憶力がずば抜けていい人で、言葉選びも正確だ。
南方での戦争体験記などは、戦場の出来事をとてもリアルに描き出しており、精神科医療に関係ない者にとっても一読の価値がある。
また、東大の赤レンガ闘争に関する記述は、大変興味深い。
臺弘の自伝は、彼の人生をつづったものだが、あまりにも鮮やかに、彼が生きた時代を描き出している。
私は、本書を読むまで、赤レンガ闘争について
「なんか、よくわかないけど、やべえ事件」
くらいにしか思っていなかったのだが(あまりにも、解像度が低い感想)
本書を読み
「は? 赤レンガの一件……最悪じゃん? 東大という日本の頭脳が集まる場所で、彼らの研究や学問を停滞させにかかってるじゃん? 高潔な思想があったのかもしれないけど、やっていることは、クズじゃん?」
という、思いを抱くことになった。
【6日目】Xへの手紙・私小説論 小林秀雄
高校時代、小林秀雄の全集を借り、そのエッセイの中から、小林秀雄のおっちょこちょいエピソードを拾うのが好きだった。
何故、そんなことをしていたかって?
小林秀雄は、当時の私にとって『最推し』だった。
最推しのおっちょこちょいエピソードとか、最高じゃん???
お気に入りのおっちょこちょいエピソードが載ってる巻は、何度も借りた。
これこそが、正しい小林秀雄全集の活用法だって、同時の私は思っていたし、今でもそう思っている。
さて。
「Xへの手紙」とは、小林秀雄の「Xに対するクソデカ感情」の塊である。
推しが、第三者に対する自身のクソデカ感情をつづった文章……。
この世にこれほどまでにも、尊い文章があるだろうか。
と、このように。
とても不純な動機で小林秀雄を読んでいた私だが。
読み続けていく中で、まじめな気づきもある。
中でも、
「○○を書くための文体」については、見習いたいと思っている。
(志はある。だが、私の精神は貧弱だ)
「○○を書くための文体」
おそらく、それは、二次創作にも通用する哲学だ。
風降を書き始めてから半年。
私は未だに、風降を書くにふさわしい文体を身に着けていない。
風降を書くにふさわしい文体とは、どのようなものなのか、今の私にはまったくわからない。
だから、自分のために書き下ろす風降本では、文体についても考えたいと思っているのだ……
(思うだけなら自由)
(私の創作は必敗の歴史の積み重ねの上に成り立っているので、多分失敗する……笑)
【7日目】続・吉原幸子詩集
Twitterでこういう、つぶやきをした。
文章が下手だという自覚がある
でも
「わー!!! 私は、絶対にこのレベルに到達できないから、いい文章を書くのは諦めよう🥳」
という、開き直りの境地にいるので。
「日本語っぽい文章になってればいいや🥰」
という、悟りのもと二次創作等をしている。
レトリックなんざ、とうの昔に放棄した
— きょうや (@kyo_ya_yona) August 12, 2020
そう、レトリックなんざ、とうの昔の放棄した。
少なくとも、web上にあげている文章については、積極的にレトリックを仕掛けようとはしていない。
続・吉原幸子詩集。
この本の表紙には「兇器」という詩からの引用がある。
ああ 血 ぴすとる ないふ
私の持てないたくさんの兇器
ことに刃もの
のしろい光
つきたてたい 世界に すべてに
つきたてることによって加はりたい
吸ひこまれたい とどかないすべてに
つきたてることによって殺されたい
こんなもの……読んでしまったらさ?????????
無理くない??????
私の言葉選びのセンスは、どうあがいても、吉原幸子には到達しない。
もう、なんでもいいよ。
私は日本語っぽい文章を書ける。
たまに「てにをは」が、おかしいけれど。それでも、意味はギリギリ通る日本語を書けるよ。
だから、その、少しブロークンな日本語で風降を書く。
私には、センスがない。
でもいいよ。
ちょっとダサい、もっさりした文章で風降を書くよ。
風見と降谷がいて、日本語っぽい文章でストーリーを書き綴る。
シンプルに考えようぜ。
たった、それだけのことで、風降の二次創作は成立する。
高校時代の私にとって文章が下手だと自覚することは、絶望だった。
吉原幸子の詩は、いともたやすく、私のパンドラの箱を開けた。
だが、パンドラの箱の底には、いつだって、希望が残っている。
だから、私は。
文章下手でも、風降書けばいいじゃん!
ギリ読める日本語で、風降書きなぐっていこうぜ!
という。あまりにも軽率な姿勢で、風降の二次創作をしているのだ。
【まとめ】
最初は、まじめに本の解説を書きたかったのだけれど。
同人女の感情シリーズとか
小説の書き方とか
小説の練習をするかどうかとか
そういうのを、TLで見かけたこともあって。
本に絡めて自分自身の創作に関する想いなどを書いてしまった。
なんというか。私は心底「書く」のが好きなんだなあって思った。
何を隠そう、この記事も4000文字を超えている(本当に、書くの好きだよね……)
風降という大好きなCPと。
書くという大事な作業。
風降の二次創作って、この二つを掛け合わせている。
そりゃあ、やめらんねえよな……って。
7日間のブックカバーチャレンジを通して、私は、そんなことを思ったのである。