※とっても個人的な心情(暗め)
※キャラとの心理的距離感を、つかみ損ねている
※二次創作する人の、個人的心情を知りたくない人は読まないほうがよいと思う
※最後に少し、降谷零と風見と諸伏君の話。
仕事で、何年かに一度はお客さんの突然死や自死に遭遇する。
そういう仕事だし。
資格を取るための養成校時代にも、恩師から、そういう話を聞かされていたし。
見習いで通っていたところでも、自死に遭遇した。
お客さんたちの、平均寿命は健常な人たちよりも10年とか15年は短いと言われていて。
突然死が起こりやすい仕組みも、一応、理解してはいる。
だから、突然死に遭遇しても、しばらくはショックだけれど。
どうにかこうにか、折り合いをつけながら、仕事をしてきた。
お客さんたちと一緒に「あの人、いい人だったよね」なんて話をしたりして。
同僚たちと「そういえば、こんなことあったね」なんて、思い出話をしたりして。
そうやって、乗り切ってきた。
けれど、自死については、その限りではなくて。
自分が大した人間ではなく、自分がその人を救うだけの力がなかったことをわかっていても。
職場で、関わった人間たちで集まって、じっくりふり返りをしたとしても。
やっぱり、自分の言動があの人の行動を加速させる一因になったんじゃないか……とか。
そいうことを考えてしまう。
それは、私に限ったことではなくて。同僚たちや、上の人たちもみんなそうで。
だから、自死でなくなった人については、気軽に思い出話をすることもできなくて。
できることといえば、次に同じような場面に出くわしたら、もう少し丁寧に話を聞こうとか。
今いるお客さんや、これから出会うお客さんに何ができるか考えることしかない。
前職で、そういうふり返りをしているとき。
尊敬している人が。
「橋から飛び降りる時、人は街に背を向けずに。街の方向を見ながら、飛び降りる。
やっぱり、最後まで、人とつながりたいと思いながら飛び降りるんだ」
みたいな話をしてくれて
(なんか、出典があるらしかったんだけど、あまり頭がいい方じゃないから、覚えていない……)
そういう、SOSを見落とされてしまった人の、絶望についてみんなで考えた。
仕事でほんの少し関わっただけなのに。
私は、いまでも、折に触れて、自死したお客さんたちのことを思い出す。
これが、もっと、身近な人の死だったらどうだろう……と思うと。
(実際、自死遺族の自殺リスクは高まる)
だから、二次元の……架空の人物に対して、そんな風に考えるのは、ちょっと、自分でも尋常じゃないってわかっているんだけれど。
景光くんのことを思うと、すげえ辛い。
ライがリボルバーを握りしめた瞬間。やっぱり、スコッチは生きようと思ったわけだし。
降谷さんが、ヒロを失ったときのやりきれない気持ちって。私が、経験した感情の、何千倍、何万倍もの大きさだと思っていて。
降谷さんが生きてるだけで、すごいなあと思っていて
当たり前だけれど、赤井さんだって、すごく、つらいはずで……
考えれば、考えるほど、ふるやれが幸せに笑っている姿を想像できなくて。
だから、安室透君として、笑っている時のことを。
あれは一種のサイコドラマなんじゃないかなあと思ってしまったりもして。
降谷零くんは、ずーっと、ヒロのことをひきずるのだろうし。
ひきずっていない、降谷零を想像することが、私にはできない。
でも、引きずり続けることが、不幸なのかと言われると、そんな風にも思っていなくて。
私は、仕事で出くわしたお客さんの自死を、ずっと引きずっていたいと思うし。
引きずり続けるからこそ、学べたこともある。
伊達さんの言う通り、ふるやれが、自分を過信して死ぬようなやつなのだとしたら。
たぶん、ヒロはそれに巻き込まれてしまったんじゃないかという気がするし。
そうなったとき、ふるやれの悲しみや後悔って、恐ろしく深いはずで。
でも、だからこそ、今の用意周到な、ふるやれが仕上がったんだとも思ったりして。
ヒロの死がなかったら、風見が言う「怖い人」たる降谷零は、存在しなかったんじゃないかなあと思ったりして。
だから、ふるやれは、ひろのことをずっと引きずっていていいし。
それは、すごくつらいことだけれど、でも不幸なことじゃないと、私は信じたいし。
そして、風降の民である私は。
風見には、降谷さんが引きずっているものごと、受け止めてくれる人であってほしいと思うんだ。
そして、風見君にそういう思いをさせたくなくて、生き続ける降谷零であってほしいよ。
これは、もう、完全に風降ひいきの考えなんだけれども……